2017年11月1日水曜日

退出者 3 - 2

 出産管理区のゲートが閉じられると、ローガン・ハイネ・ドーマーとキーラ・セドウィックは回廊に2人きりになった。キーラが片手を彼の方に伸ばした。

「手を繋いで下さる?」

 ハイネは躊躇いもせずに彼女の手を握った。彼女の歩幅に歩調を合わせてゆっくり歩いて行った。

「母の話はしましたっけ?」
「聞いたかも知れないが覚えていない。」
「ではお聞きになっていないのよ。」

 ハイネが何も言わないので、彼女は簡単にマーサ・セドウィックの「その後」を語った。
 ドーム勤務から解任されたマーサは故郷の火星コロニーに戻り、実家の父親のクリニックでキーラを出産した。暫く父親の外科クリニックを手伝っていたが、キーラが2歳の時にコロニーの大学に職を得て遺伝子工学の教室で教鞭を執った。そして同じ学部の男性と結婚した。キーラはこの義理の父親をよく覚えていない。ジャックと呼んでいたことは記憶にあるが、遊んでもらったり何かを教わった覚えはなかった。ジャックは理性的な人だったらしく、子供の前で夫婦喧嘩をしなかった。しかし結婚して2年も経たないうちに彼等は離婚した。

「母は何か夫に不満があると必ず地球にいる王子様の話を持ち出したのですわ。夫と彼を比較した訳です。当然、夫は怒りますよ。ジャックにどんな落ち度があったのか、私は知りませんが、今なら彼に同情を覚えるでしょうね。」

 キーラはうっすらと苦笑して見せた。
 マーサ・セドウィックは離婚して1年後には別の男性と恋に落ちていた。恐らく彼女は寂しかったのだろう。次の夫はクリストファーと言ってやはり医師だった。キーラは彼をクリスと呼んでいた。

「母はクリスの息子を産みました。私の異父弟ですわ。義弟の名前はロナルド。現在は外科医として祖父のクリニックを継いでいます。
 クリスは良い人でした。私を娘として可愛がってくれました。ロナルドと私を連れてよく遊園地に遊びに行ったのを覚えています。私は彼に懐いたのですけど、母には不満があったようです。母にとって、地球の王子様が一番で、他の男性は王子様の足許にも及ばない僕でしかなかったのでしょうね。何が悪いと言う訳でもないのに、気に入らないのです。
 私はジャックが居た時より成長していましたから、母とクリスの喧嘩を察していました。夫婦として5年保ったかしら? マーサ・セドウィックとしては一番長続きした男女関係でしょうね。
 クリスは1月に1回息子に会うことを条件に家を出て行きました。恐らく私はロナルドより激しく泣いたと思います。義弟はまだ幼かったので、父親がいなくなったことを理解出来ていませんでしたの。
 私は義父がいなくなったのは母のせいだと理解していました。地球の王子様を忘れられない彼女のせいで周囲の人が傷つくのです。
 母はその後も数人の恋人をつくりましたけど、結婚はしませんでした。どうしても比較してしまうのです。
 母は86歳の今でも元気で、何人目か知りませんが、ボーイフレンドがいますの。流石にお相手が白髪ですし、年の功で紳士的に振る舞われるので、王子様と比べるのを諦めたみたいです。」

 キーラは無言で聞いているハイネをそっと伺い見た。

「母はこの10年ほど春分祭のテレビ中継を冷静に見られるようになったと申しております。2度と地球に戻れないと悟ったのですわ。40年かけて・・・
 それでも貴方が病気でテレビに映らなかった3年間は心配していました。私に何度もメールやメッセージを送って来ました。王子様はどうなさったのかと。」
「何と答えたのだ?」

 キーラはクスッと笑った。

「カメラから逃げるのが上達しただけよ、と言っておきましたの。余計な心配をかけて新しいボーイフレンドとの仲がこじれたら、私としても嫌ですもの。折角落ち着きのあるお婆さんになったと言うのに・・・」

 ハイネが可笑しそうに笑った。