2017年11月19日日曜日

退出者 6 - 5

 その日の夕刻、ケンウッドが業務を終えて秘書を帰らせた直後に、副長官室に訪問者があった。彼が電話連絡を受けてからものの5分もしないうちにその客はやって来た。

「廊下のそこの角から掛けたのか?」

とケンウッドが笑って言うと、客も苦笑して頷いた。

「お仕事が終わる頃にお伺いして申し訳ありません。」
「構わないさ、君の元気な顔を見られて嬉しいよ、グレゴリー。」

 元遺伝子管理局長付き第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーの頭はボスのハイネに負けないくらい真っ白になっていた。しかし肌はまだ艶があり、皺もそんなに目立たない。引退したドーマーの終の棲家である「黄昏の家」の管理者となって活き活きとして見えた。若いドーマー達は「黄昏の家」に行くことを許されないが、「黄昏の家」の住人は好きな時にドームに出かけて来られる。ペルラ・ドーマーは備品や薬品の調達にやって来るのだが、地下通路の出口が中央研究所の建物内にあるので、どうしてもコロニー人の世界を通ることになるのだ。
 ケンウッドはペルラ・ドーマーは買い物に来たのだろうと見当を付けたので、端末を持って立ち上がった。

「今日は終わるつもりだったので、一緒に店か食堂へ行かないか?」

 店とは、ドーマーやコロニー人が日用品を購入するドームで唯一のコンビニのことだ。するとペルラ・ドーマーはちょっと躊躇った。

「今日は買い物で来たのではありません。副長官にお願いしたいことがありまして・・・」
「お願い?」

 ケンウッドは来客用の椅子をペルラ・ドーマーに勧めて再び席に着いた。
 ペルラ・ドーマーはまた少し躊躇ってから言った。

「15代目がいけません。」
「マーカス・ドーマーが?」

 ケンウッドはドキリとした。第15代遺伝子管理局長だったランディ・マーカス・ドーマーは一月前から寝たきりになっていた。老齢で衰弱してきたのだ。
 マーカス・ドーマーはケンウッドがアメリカ・ドームに着任した時には既に現役を退き、「黄昏の家」に移住していた。ケンウッドが彼に初めて会ったのは副長官に就任した時だ。16代目のハイネより10歳上で、ケンウッドにハイネの生い立ちとも言える若い頃の話を聞かせて、コロニー人が地球人に優越感を抱き創造主の様に振る舞うことがないよう戒めた。ケンウッドの目には、彼の前ではハイネがほんの若造に見えた。それだけ威厳があり迫力のある老人だった。

「危ないのか?」

 胸に重いものが振ってきた様な感覚だ。マーカスの存在はハイネの心の支えでもあるはずだ。コロニーの技術で延命処置を施せば、まだあの老ドーマーは10年は生きられるだろう。しかしドーマー達はそれを望まない。地球人として地球の大地に戻って行くことを願って一生を終える。

「今夜のうちに、と医師が言っていました。」

 ケンウッドは端末を出した。

「すぐハイネに・・・」
「いけません!」

 ペルラ・ドーマーの鋭い声に、彼は驚いて動きを止めた。

「駄目?」
「駄目です。現役のドーマーには『黄昏の家』の住人の生死など教えないものです。ドームは地球人が生まれて来る場所。死ぬ者の情報など元気なドーマーに教えてはなりません。」
「しかし・・・最期を看取る者を呼べる決まりになったじゃないか・・・」
「ですから・・・」

 ペルラ・ドーマーは懇願の目でケンウッドを見つめた。

「15代目は貴方にお願いしたいと仰せです。」

 ケンウッドは脱力した。端末を執務机の上に投げ出した。

「それは光栄だが・・・ハイネは最後に彼に会いたいのではないかな・・・」
「局長は決まりをご存じです。ですから、15代目がこちらに来られた面会の時は、必ず別れ際に『最後』の握手をされました。何度でも、『最後』の握手を。」

 ペルラ・ドーマーは涙を抑えたのか、目尻を指で押さえ、もう一度ケンウッドを見た。

「15代目は昔ながらの習慣通り、執政官に看取られて逝きたいと仰せです。先刻、長官にもお願いしてきました。正副両長官にお見送りをお願い致します。」