2017年11月9日木曜日

退出者 4 - 4

 遺伝子管理局長付第1秘書ジェレミー・セルシウス・ドーマーはドームの森の中を歩き回っていた。時刻は午後4時で、遺伝子管理局本部では殆どの職員がその日の業務を終えて運動施設へ体力創りと格闘技などの武術の練習に出かけていた。局長室では通常秘書が先に仕事を終えて部屋を出るのだが、その日は局長が早々と日課を片付けてしまい、「お先に失礼」と部屋を出てしまった。局長室独自のルールでは、3人の部屋の住人のうち最後まで残った者が戸締まりをして本部を出ることになっている。多くの場合、局長が最後まで残って、大概は午後6時頃まで仕事をしているのだが、たまには秘書が遅くまで残ることもあるのだ。
 そして、こんな時に限って、外廻りの局員から緊急連絡が入った。ことの重大さに驚いたセルシウスは局長の端末に電話を掛けたのだが、局長は運動中は電源を切っていたので出なかった。それで仕方がなくセルシウスは部屋を施錠して自らボスを探しに出て来たのだ。彼のボスは運動施設にはいなかったので、彼は森へ足を向けた。早く帰る時、局長は森で昼寝をする習慣だったことを思い出したのだ。
 歩いていると音楽が聞こえて来た。セルシウスはそれが昔懐かしいドーマーのロックバンド「ザ・クレスツ」のオリジナル楽曲だと気が付いた。「ザ・クレスツ」は昨年1回だけ、ヘンリー・パーシバル博士の送別会で復活したが、それを最後に解散したはずだ。
それに今聞こえてくる演奏は、お世辞にも上手とは言えなかった。誰かが「ザ・クレスツ」の曲を練習しているのだ。
 東屋のそばで、若いドーマー達が楽器を演奏していた。教えているのは「ザ・クレスツ」のドラマーで前ドーム維持班総代表のエイブラハム・ワッツだった。ワッツは引退後教育棟で情操教育を担当していた。日頃は子供を教えているのだが、この時は大人の若いドーマー達に指導していた。趣味のバンド活動のはずだが、ワッツは真剣だ。教わる方も真面目にやっていた。
 セルシウスは足を止めて彼等の演奏を暫く眺めていたが、東屋の向こうの芝生の上で寝そべっている人物に気が付くと、そちらへ足早に向かった。
 「ザ・クレスツ」のリードギター担当だったローガン・ハイネ遺伝子管理局長は芝生の上に肘枕で横になって、ワッツ達を見物していた。昼寝したかったのかも知れないが、そばで演奏をやられたので、眠れなかったのだろう。若いギター奏者が下手くそなので、ちょっとご機嫌斜めだ。その証拠に彼は秘書が近づいて来るのを知っていながら無視した。
 セルシウスは少し距離を置いて立ち止まり、ボスに声を掛けた。

「局長、リュック・ニュカネンから緊急連絡が入っています。」

 ニュカネンと聞いた途端に、ハイネはパッと身を起こした。その名の部下が誰と同伴しているのか、知っていたからだ。彼は秘書に向き直った。

「副長官に何かあったのか?」

 とても84歳とは思えぬ姿の彼は、やはり84歳とは思えぬ身軽さで立ち上がった。セルシウスは情報の重要性を考え、身振りで歩きながら報告しますと合図した。ハイネは直ぐに本部に向かって歩き出した部下に並んだ。
 秘書が小声で報告した。

「副長官が怪我をされた模様です。」
「何があった?」
「暴漢による銃撃です。」

 ハイネは眉を寄せた。

「ケンウッドの怪我は酷いのか?」
「詳細の報告はまだです。ただ、お命に別状はないとのことで・・・」

 ハイネは黙って頷いた。彼は本部に入る迄部下に連絡を取ることはしなかった。一つだけ秘書に尋ねた。

「リプリーにはその知らせは行っているのか?」
「いいえ・・・詳細がわかってからと思いまして・・・」
「それで良い。」