2017年11月1日水曜日

退出者 3 - 1

 出産管理区長キーラ・セドウィック博士はその日予定されていた3人目の新生児を無事に取り上げることが出来た。途中で母親の体力が尽きかけ、急遽帝王切開になってしまったが、母子共に危険を脱した。赤ん坊は産湯を浸かり・・・女の赤ん坊とすり替えられ、母親が存在を知らない第2の新生児室へと送られた。この子は何処かの街へ養子に出される。一生実の親の顔も名前も知らぬまま、あかの他人の男性に引き取られ育てられるのだ。
 キーラはそれ以上のことを考えないようにしている。彼女の同僚も部下も皆同じだ。母親と赤ん坊に同情などしてしまったら、地球は大混乱になる。

 遺伝子学者達は一体何をもたもたしているのだろう。

 ちょっと腹立たしく思いつつ、シャワーを浴びて着替えてから執務室に戻ると、客が待っていた。凡そ84年程前に母親から盗まれた子供だ。スリムだが筋肉はしっかりついた体をダークスーツで包み、真っ白な髪を少し伸ばして頭の後ろで束ねて小さな尻尾みたいに括っていた。肌は84歳とは絶対に信じられない、艶々で張りがある。体調が良いのだろう、その日は40歳前に見えた。

「あら、珍しい・・・貴方がここに来るのは初めてではありませんこと?」

 彼女の驚きの声に、先刻誕生した子供の遺伝子情報ファイルを眺めていたローガン・ハイネ遺伝子管理局長が顔を上げた。

「1度ぐらい君の仕事ぶりを見ておこうと思った。」
「では、ガイド付きで見学なさったのね?」
「うん・・・アイダ博士に丁寧な解説付きで案内してもらった。」
「分娩もご覧になった?」
「うん・・・」

 ハイネは帝王切開のシーンを思い出して、ちょっと身震いして見せた。

「女は凄いな・・・産む方も産ませる方も・・・」
「あの母親は自然出産を望みましたの。でも難産になりかけたので、帝王切開しました。直に回復しますわ。」

 キーラは執務机に着いて、ファイルを開き、先刻の分娩状況を記録した。ハイネは来客用の席から彼女を眺め、彼女が記録を終えてファイルを閉じると気配で察した。

「君はヘンリーの子供を産むつもりなのか?」

 単刀直入に質問され、キーラはびっくりして彼を振り返った。

「なんですの? 藪から棒に・・・」

 ハイネが真面目な顔で言った。

「君に先刻の母親の様な目に遭って欲しくない。」

 キーラは彼を見返し、彼の言葉の真意を探る目つきをした。

「私に子供を産むなと仰るの?」
「君は50歳を過ぎている。出産は無理だ。」
「体力があれば大丈夫です。」

 ハイネは父親として娘を案じてくれている、と彼女は悟った。それで彼女は重大な秘密を打ち明けることを決意した。

「地球勤務を希望した時、私は執行部の保健部に私の卵子を預けました。女の子が欲しかったし、地球で女の子を産めない体になるかも知れないと危惧したからです。その卵子を戻してもらって、ヘンリーと子供を創ろうと思っています。」
「卵子は1つか?」
「2つ。失敗した時の保険に。遺伝子管理局の許可は必要ありませんから・・・」
「知っている。」

 ハイネは少しイラッとした。産まれて来る子供を彼は見ることが出来ない。宇宙の住人とドーマーの交信は禁じられているからだ。外にいる地球人だったら商売上通信が自由なのに・・・。

 交信が許されていたら、この子が生まれたことも知っていたはずなのに。

「ヘンリーは君の希望を知っているのか?」
「彼は子供が欲しければ養子をもらうと言っていました。でも私の決意を告げたら、2人で頑張ろうと・・・今度地球回診の時に貴方に彼の口から告げることになっていましたの。お願い、反対しないで。」

 ハイネは小さな溜息をついた。

「私に反対する権利はない。」

 キーラの端末に電話がかかってきた。彼女が出ると副区長のアイダ博士からで、交替の準備が完了したと言う連絡だった。「では後はよろしくお願いね」とキーラは言って電話を終えた。そしてハイネを振り返った。

「私は今日はこれで終わり。帰ってご飯を食べて寝るだけです。」
「私もこの後の予定はない。」

 ハイネが立ち上がると、彼女もバッグを手に取った。

「ご一緒しません? 出来れば回廊を歩きたいわ。」