2018年9月30日日曜日

捕獲作戦  2 2 - 1

 ポール・レイン・ドーマーは疲れ切っていた。着ているスーツは埃だらけだったし、靴も泥だらけだ。乗っている航空機は乱気流に上手く対処しているが、それでも小さな揺れが感じられ、気分も良くない。彼は手にした端末の画面をぼんやり眺めていた。
 散々躊躇った挙句ハイネ局長に送った報告書は短かった。

ーー彼を確保。

 それだけだった。それ以上書く気力が起こらなかった。そして1分後に返信が来た。

ーー機内で引き渡せ。

 局長は彼の短過ぎる報告書で全てを理解したのだ。レインが4Xを取り逃がしたことを。
そしてセイヤーズの息子にも逃げられたことを。

 否、逃げられたんじゃない・・・

 それ以上考えたくなかった。ライサンダー・セイヤーズが背中を麻痺光線で撃たれて川に転落したなんてことを。そして少年の姿を濁流の中で見失ったことを。更に目的の少女が何処にも見当たらなかったことを。
 部下達も疲弊していた。少年達を慣れない山道で追跡して撃ち合いをした。そして手ぶらでまた長い道のりを歩いて帰った。部下達はまだ自分達が誰を追いかけていたのか知らされていない。メーカーの残党だと思っている。レインは彼等にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。まだ真実を話す許可を上からもらっていない。ドーム空港に到着すればわかるだろうが、それまでは沈黙を守らねばならない。
 彼の座席は、遺伝子管理局専用の小型ジェット機にある指揮官専用席だ。小さな部屋だが固定されたベッドがあり、その上にダリル・セイヤーズが横たえられている。セイヤーズはレインが自ら打った注射で昏睡している。息子が川に落ちて行方不明になっていることを知らないで、生まれ故郷のドームに運ばれて行くことも知らぬまま眠っているのだ。唯1人秘密を明かされた部屋兄弟のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが時々セイヤーズの口に栄養ドリンクを少量ずつ流し込んでやって世話をしていた。ワグナーは黙り込んでいた。セイヤーズを山の小屋で見た時は興奮して喜んでいたが、レインが任務に失敗したと告げると、無表情になった。彼も4Xの重要性を理解していたし、セイヤーズが同居していた少年が何者か見当が付いていた。それに、レインがセイヤーズを捕らえた時、元恋人に対して行った暴力も察していた。それが2人の兄貴達の仲にどんな影響を及ぼすのか、ワグナーには想像がつかなかったが。
 やがて機長からドーム空港に着陸態勢に入ったと連絡が入った。シートベルトを締めて着陸の軽いショックを受けた。
 航空機は搭乗ウィングへ向かうバスに静かに横付けした。降機する順番は自由。出口に近い座席にいた局員達が先に降りてバスに乗り込んだ。ワグナーが後から来て、バスの乗務員に指図した。

「脱走者を降ろす。 ストレッチャーを用意してくれ。局員諸君は暫く待機!」

 遺伝子管理局の男達は固まった。脱走者とは?
 彼等は自分達がレインに率いられて山狩りに出ている間に、ワグナーが一足先にヘリコプターで運んで航空機に乗せた人物の存在をその瞬間迄知らなかったのだ。1人だけ、ワグナーが抱えて運んで来た男を見た者がいた。衛星データ分析官のアレクサンドル・キエフ・ドーマーだ。彼はセイヤーズの顔も経歴も知らなかった。だから、何故その人物が指揮官専用席に入れられたのか、理由がわからなかった。わからないから、偏愛するチーフ・レインが関心を寄せる人物に早くも嫉妬を覚えていた。
 ストレッチャーに乗せられた男にレインが付き添ってバスに乗り込んだ。乗務員にレインは言った。

「脱走者を逮捕した。」

 バスの中に衝撃が走った。アメリカ・ドームで「脱走者」と呼ばれる人間は1人しかいなかったから。