2016年10月15日土曜日

リンゼイ博士 12

 ダリルは慎重に老婦人に近づいた。彼女の肌に触れないように気をつけながら、彼女の肩を支えて椅子に座らせた。

「全ての女性がわざわざドームに集められて出産するのは、地球人の種を維持する為です。大異変の後、地球では女性の出生率が極度に減少し、男女比率が大きくバランスを崩してしまいました。」

 女性が全く誕生しない、とは言えなかった。現在の地上の女性全てがコロニー人のクローンだとは口が裂けても言えない。

「女性を安全に且つ文化的に高い教育を受けられる家庭に託すのが一番だと、コロニーと地球政府の初期指導者たちは考えたのです。ですから、貧しい家庭や問題のある保護者がいる女の子たちを豊かな家庭に託すことにしました。両親を騙す形になりますが、養女では数が少ない女性を奪い合って、金で売買される危険があります。それで取り替え子が行われました。貴女の息子さんは、決して貧しい家庭に与えられた訳ではありません。貴女と同じ裕福な子宝に恵まれない家庭に養子として育てられました。彼は幸せです。だから、哀しまないで下さい。」

 アーシュラ・R・L・フラネリーはダリルを見上げた。

「貴方はドーマーね、ミスター・セイヤーズ?」
「ええ、そうです。」
「ドーマーは親がいないのよね。」

 この婆さん、手強い。ダリルは気を引き締めた。何と言っても、あのポール・レイン・ドーマーの母親だ。

「引き取り手がない子供がドーマーになるのです。」
「そうは思えない。」

 アーシュラは自分を取り戻した。

「貴方は美しいし、とても賢そうだわ。健康で運動も出来る。ドームで見たドーマーはみんなそうだったわ。ドームは特別優秀な子供だけを残してドーマーに育てるのではなくて?」
「・・・」
「貴方は私が手を掴んだ瞬間に私の力を見抜いた。貴方の近くに私の息子がいるはずです。あの子もドーマーにされているのでしょう?」

 ダリルは「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか迷った。ポール・レイン・ドーマー本人の意見が聞きたかった。ポールは教育棟で「親」と言う人間がいると知った時、親に会いたいとは言わなかった。ドーマーは殆ど皆そうだ。親身になって育ててくれる養育係が親だった。執政官たちが暇を見て遊んでくれたから、生みの親の存在を知らなくても幸せだった。それにポールとダリルは一緒にいる時が一番幸福だった。ポールは40歳を過ぎてから親と対面したいと思うだろうか。

「貴方も親御さんに会いたいとは思わないのかしら。」

 アーシュラが囁いた。ダリルの表情から彼が迷っていることを見抜いていた。

「もし息子に会わせて頂けるのなら、リンゼイ博士に面会する手筈をつけます。彼がメーカーだとは信じがたいですのですが、貴方方遺伝子管理局がそう言うのだから、間違いないでしょう。誤りなら、こちらも法的手段を採らせて頂きます。宜しいですか?」

 政治家の妻であり母親である女性は強引に取引をもちかけてきた。ダリルは仕方なく譲歩した。

「友人に話してみます。ですが、面会はラムゼイを逮捕した後です。それで宜しいですか? また友人が面会を拒めば、無理に連れて来ることは出来ません。」
「結構です。」

アーシュラが頷いた。

「もし、彼が面会を拒否するのでしたら、遠くからでかまいません、一目だけでも姿を見させて下さい。あの子に会わずに死ぬのは嫌です。」

 母親の執念は強い。ダリルは気迫で負けた。

「わかりました、約束は必ず守ります。」
「明日の午前10時に団体のオフィスにお出で下さい。私の名前を出して頂ければ結構です。」

 ダリルは礼を言って、アーシュラの部屋を辞した。
 リビングではクロエル・ドーマーが幸福感に浸りながらテーブルの上の食べ物を掃討していた。出迎えた時は固い表情だった秘書が、そんな彼を憧れの目で見つめていた。クロエルは本当に女性によくもてる。こんなに可愛らしい男が、実の母親に存在を否定され、この世から消されかかったのだ。
 世の中、どこかでバランスを取っているとしたら、それは人の幸福と不幸が半々と言うことだろうか? それとも幸福ばかり来る人と不幸ばかり来る人がいると言うことか?