2016年10月18日火曜日

リンゼイ博士 17

 警察が到着したのは通報から10分後だった。その間に理事たちは汚れた顔や衣服を少しでも清めようと手洗いに行った。モスコヴィッツ理事長は医師に肩を支えられてやっと歩ける状態だ。 ダリルは隣室を覗いて見たが、大統領の母親はどこにも姿がなかった。
 理事たちは空の隣室に集められた。ダリルとクロエルも警察の事情聴取を受けるので、一緒だ。彼等は警察が現場検証する間、狭い部屋の中で静かに座っていた。女優がすすり泣き、弁護士が慰めているのを聞いていると、彼女達はラムゼイまたはリンゼイ博士を尊敬して友情を抱いていたらしい。彼の突然の非業の死がまだ信じられないのだ。
 警察と共に現場にいたリュック・ニュカネンが刑事を1人連れてやって来た。刑事はスカボロと名乗った。彼は自己紹介してから、女性達に大丈夫ですかと尋ねた。女優も弁護士も目を赤くしながら大丈夫だと答えたので、事情聴取を行うことになった。
 スカボロはモスコヴィッツの理事長室の使用を願い出て、茫然自失状態がまだ続く彼に変わってビューフォードが許可を出した。
 スカボロはニュカネンをちらりと見た。

「遺伝子管理局の人から始めて良いですか? あんたら、後回しにするとドームが五月蠅いから。」
「良いとも。但し、私も同席する。何があったのか知りたいのでね。」

 ニュカネンは警察に対して高飛車だ。ドーマー時代の悪習が抜けないのだろう。ドームの用件は全てに優先すると言う・・・。

 最初はダリル・セイヤーズ・ドーマーからだった。ダリルはラムゼイとの会話の内容を語っても、スカボロには理解出来ないだろうと思ったので、今日の面会の約束を理事の1人を介して取り付け、面会してリンゼイと名乗る老人がメーカーのラムゼイだと確認したことをかいつまんで話した。スカボロ刑事は、仲介した理事の名前を聞かなかった。政財界の有力者ばかりが会員になっているトーラス野生動物保護団体を怒らせたくないのだ。

「ラムゼイと問答をしているうちに、突然クロエル局員が 『止せ、危ない!』と叫んだ。その直後にラムゼイの体が天井に向けて飛び上がり、頭部を天井に激突させた。後は見ての通りだ。」
「クロエル局員は、何を止めようと叫んだんです?」
「知らないよ。私は何が起きたのか、全く見当が付かない。」

ダリルは重力サスペンダーに関する疑問を口に出さなかった。クロエルが何かに気が付いたはずだ。スカボロが尋ねた。

「問答していたと仰いますが、彼を追い詰めたと言うことですか?」
「心理的に、と言う意味なら、違う。ラムゼイは余裕を持っていた気がする。」
「では、切羽詰まって自殺した訳ではない?」
「自殺したとは思えない。」

 スカボロはニュカネンを見た。ニュカネンは質問がなかったので、首を振った。
次のクロエルの事情聴取にダリルは同席すると言った。

「私も彼が何に気が付いたのか知りたい。」

 ニュカネンが渋い顔をしたが、異論は唱えなかったので、スカボロも渋々許可した。
理事長室に入って来たクロエルは疲れた表情だったが、それは理事達の愚痴を聞かされていたからだった。
 彼が語った事情は概ねダリルと同じ内容だった。

「それで、クロエル局員、貴方は亡くなったラムゼイ? の何を危ないと思ったんです?」

 クロエルはチラリとダリルを見た。ダリルは目で「教えてやれ」と指図した。クロエルは刑事を見た。

「爺様の重力サスペンダーがですね、あの部屋に入った時からモーターから変な音をたてていたんです。それが段々大きくなっていくのに、誰も気が付かない。爺様も気が付かない。」
「貴方は耳が良いんですね?」
「僕はアマゾンのジャングル育ちなの。虫の足音も聞こえるの。」
「はぁ・・・そうですか。それで、何が起きたんです?」
「爺様がサスペンダーのレバーを押したんです。多分どこかの椅子に座る為に移動しようとしたんだと思う。だけどその瞬間にサスペンダーのモーターの異常音が変化した。僕はサスペンダーが爆発するのかと思った訳。だから、止せって言ったんだけど、その直後に爺様が天井に向かって発射されちゃった。」
「ふむ・・・」

スカボロ刑事が顎に手をやって考え込んだ。

「重力サスペンダーってヤツは、確か飛行能力はなかったですよね・・・平行移動専門の歩行器だ。」
「そうだ、ユーザーの体重を登録して体を持ち上げるが、足は必ず地面に着くことが前提になっている。ユーザーは自分で歩くんだ。」

 ニュカネンは言ってから、ラムゼイに起きた異変がかなり異常であることに気が付いた。

「サスペンダーに細工しなければ空中へ飛び上がったりしない。ラムゼイは現場に来る迄に何回かレバー操作をしたはずだから、その間は正常に動いていたのだ。これは、モーターの故障が原因の事故か?」
「事故だろうか?」

とダリル。

「もし、メーカーがここで捕まって困るヤツの仕業だったとしたら?」