2016年10月16日日曜日

リンゼイ博士 15

 ダリルは老人が理事長の横に来るのを見ていた。重力サスペンダーの音が以前と違うような気がした。何かが引っかかるような・・・
 クロエルはこんなに歳を取ったコロニー人を見るのは初めてだったので、珍しげに眺めた。ドームの外で暮らすとコロニー人も地球人も表皮の劣化速度は変わらないんだ、と思ったのだ。ラムゼイ博士はそんな彼を見て微笑み、ダリルに声を掛けた。

「なかなか魅力的な連れを伴って来たもんだな。」
「貴方はドーマーを見るといつもそう言う。」

ダリルの返答に彼はフフンと笑った。理事達を完全に無視して、ドーマーだけを相手にすることに決めたらしい。

「おまえが来るとは予想外だったな、脱走ドーマー。」
「そうかな。私の息子を抑えたのは私を呼ぶためじゃなかったのか?」
「儂を逮捕することが、おまえの免罪符になるのかね?」
「残念ながら世の中そんなに甘くなくてね。私は貴方をドームに連行したら、また囚人になる。」
「なんでそんな物好きなことをする? 折角の逃亡のチャンスなのに。」
「ドームには、守りたい人がいるのでね。」
「倅のもう片方の親か? まだ仲が続いているのだな。結構なことだ。」
「貴方の息子もついでに守ってやるさ。」

 ラムゼイが眉をひそめた。

「儂の息子だって?」
「ジェリーのことだ。それとも、彼は只の使用人か?」

 ラムゼイが理事長を見た。他の理事たちも見た。まるでダリルが重大な秘密を暴露してしまったみたいだ。ラムゼイはジェリー・パーカーの存在をトーラス野生動物保護団体に知られたくなかったのか?
 その時、クロエルの端末にメールが入った。クロエルがちらりと(彼には充分だ)見て端末を仕舞った。そして初めてラムゼイに話しかけた。

「ジェリーの意識が戻ったらしいよ、爺さん。」
「何のことだ?」
「彼は逮捕された時、自殺を図ったんだ。」

 本当は、自殺を図ったので麻痺光線で撃たれ、麻酔でずっと眠っていただけなのだが、ラムゼイにはジェリー・パーカーが重傷を負った様に聞こえたはずだ。
 ラムゼイの顔が苦悩で満ちた。ダリルが初めて見る表情だった。

「ジェリーは儂が創ったクローンだ。だが、ただのクローンではない。あれはオリジンだ。あれの価値が、おまえたちにはわかるか?」
「オリジン?」

 モスコヴィッツが怪訝な顔で尋ねた。 ダリルは先祖の記憶に答えを求めた。

「baseか? 人類のbase なのか?」

 クロエルも何か思い出したようだ。

「50年前の『死体クローン事件』で盗まれた細胞があの男なのか?」

 モスコヴィッツや他の理事たちには、ラムゼイとダリルたちの会話の意味がまったくわからない。ラムゼイは解説するつもりはなかったし、ドーマー達にもそんな暇はない。
ダリルとクロエルは少しずつラムゼイに近づこうとしていた。隙を見て老人を取り押さえるつもりだった。
 ラムゼイは、ドーマー達がきちんとドームの歴史の授業を覚えていたのだな、と笑った。

「ジェリーは火星にある人類博物館の赤ん坊のミイラから創った。死んだ細胞からクローンなど創れっこないとみんな思っていたらしいがな。ちゃんと赤ん坊になり、育った。古代のエジプト人そのままにだ。あれのDNAは、地球に異変が起きるより4000年も前のものだ。正常な人類のDNAだ。あれは女の子を創れる。」
「では、農場にいた女性、シェイは何者だ?」
「あれはコロニー人の女だ。クローンではない、純粋にコロニー人だ。地球育ちだがね。」
「コロニー人の親から盗んだのか?」
「買ったのだ。どこでも金に汚い人間はいるのさ。お陰でクローン製造の時に必要なジェネシスを得ることが出来た。」
「クローン製造に用いる卵子の提供者のことだな。彼女は今どこにいる?」
「さて、何処かな?」

 ラムゼイは薄ら笑いを浮かべた。そして重力サスペンダーに手を当てた。クロエルがその動作に気が付いた。

「止せ! 危ない!!」

 しかし、次の瞬間、ラムゼイの体はロケットの様に空中に飛び上がった。モスコヴィッツが驚いて身を退くと、ラムゼイは天井に激突し、そして今度は床に叩きつけられた。
女性達が悲鳴を上げた。赤い物が室内に飛び散って人々に降りかかった。
 清潔第1のドーマーには恐怖の瞬間だ。ダリルとクロエルは殆ど本能的に部屋の隅に逃げた。