2016年10月18日火曜日

リンゼイ博士 16

 ダリルは咄嗟にソファの後ろに跳び込んで難を逃れたが、ラムゼイのすぐそば迄接近していたクロエルは汚い赤い汚物を被った。ダリルはその様子を目撃して、彼に怒鳴った。

「早く手洗いへ行け! ここは私が見張っている!」

 クロエルは平気だと思ったが、素直に室外へ出て行った。
理事達は茫然自失の状態で立ちすくんでいた。女性たちの衣服にも赤い滲みが飛び散っている。モスコヴィッツは頭髪から雫が垂れていた。医師がラムゼイだったモノに近づこうとした。ダリルは「動くな」と命令した。 ビューフォードは壁に背を押しつけて立っていた。
 ダリルは端末でその場の様子を記録した。そしてニュカネンに電話を掛け、すぐに来いと言った。反論は許さなかった。次いで警察にも連絡した。理事達は何も口出ししなかった。
 やがてビルの警備責任者が監視カメラの映像を見て駆けつけた。ダリルは彼にフロアの封鎖を命じた。警察と遺伝子管理局以外は入れるなと命令したのだ。
 それから、やっと理事たちを金縛り状態から解放した。
 女性達は互いに身を寄せ合い、体に付着した赤いモノを取り合った。モスコヴィッツはまだ動かない。腰が抜けて立ち上がれないのだ。医師は果敢にも遺体に近づき、死んでいることを確認した。検屍官が来る迄触れてはいけないので上から覗いただけだが、誰が見てもラムゼイは頭部に酷い損傷を受けて死んでいた。
 ダリルは重力サスペンダーを見た。機械はラムゼイが床に落ちた時に壊れていた。

 誤作動なのか? それとも・・・?

 ニュカネンがクロエルと共に入って来た。クロエルは上半身を脱いで、見事な肉体を曝していた。肌に直接銃ホルダーを掛けていた。シャツもスーツの上着も汚れてしまったのだ。ダリルは自分の上着が汚れていないか自信がなかったが、脱いでクロエルに渡した。クロエルのドレッドヘアから水の雫が垂れている。ここが片付いたらすぐ入浴させるべきだろう。
 ニュカネンは遺体を見て、思いっきり不機嫌な顔をした。昨日から死体ばかり見せられている気がした。それでも、するべきことはした。遺体からサンプルを採取してDNAで身元確認をしたのだ。

「木星第3コロニー、第5セクション出身、サタジット・ラムジー 84歳 男性。」

 彼が結果を読み上げると、室内の人々は無言で顔を見合わせた。
 最初に口を開いたのは、クロエルだった。

「ラムジー? やはり『死体クローン事件』の中心人物だった、あの遺伝子学者ってこと?」
「そうだ。マザーコンピュータに登録されているコロニー人は、執政官とジェネシスだけだ。」

 ニュカネンはその場に居た人々を見回した。

「何があったんだ?」
「それは後で説明する。」

とダリル。
 ビューフォードが言った。

「自殺だ。彼はメーカーだとばらされて、逃げられないと悟って自殺した。」

 ダリルとクロエルは顔を見合わせた。ラムゼイが自殺するような人間とは思えなかった。