2017年7月2日日曜日

侵略者 4 - 12

 ケンウッドの端末に電話が着信した。見るとヘンリー・パーシバルからだった。ケンウッドはペルラ・ドーマーに断って医療区のロビーに出た。

「すぐに僕のアパートに来てくれないか?」

と電話の向こうでパーシバルが懇願した。声音から察するに、何か酷く困惑している様だ。ケンウッドは一瞬迷った。ハイネの肺洗浄が始まる。しかし、通路から見ているだけで何の手助けも出来ないのは事実だ。

「わかった。すぐに行く。」

答えて、電話を切ると、通路に戻ってペルラ・ドーマーにその場を外れると伝えた。

「パーシバルが呼んでいるので、ちょっと行ってくる。君は仕事の方は大丈夫なのか?」
「私はセルシウス・ドーマー(第2秘書)に任せて来ましたから。」

 グレゴリー・ペルラ・ドーマーにしても今出来ることは何もなかったが、ボスが生きるか死ぬかの瀬戸際なので目が離せないのだ。彼はガラス壁の向こうを見たまま言った。

「行って下さい。お仕事を疎かにしてはいけません。」

 パーシバルの用事は恐らく私用だとケンウッドは推測したが、素直にドーマーに従うことにした。

「もし何かあったら直ぐに連絡をくれないか。用事が終われば出来るだけ早く戻るつもりだが・・・」

 ガラス壁の向こうでは、看護師達がハイネの体をジェルから出して洗浄を始めていた。ハイネはぐったりとしていたが、手を動かしていた。
 ケンウッドは後ろ髪を引かれる思いで医療区を離れた。
 走ると目立つので出来るだけ早足で歩いて男性執政官用アパートに向かった。パーシバルの部屋はケンウッドの部屋の2部屋おいた隣だった。チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いてパーシバルに中に引き込まれた。訪問者の顔はチャイムを鳴らした時点で内部のスクリーンに映るので、確認の必要がないのだ。
 部屋の中に入って、すぐに呼ばれた理由がわかったような気がした。さほど広くない単身者用アパート用のリビングに置かれた2人掛けのソファの真ん中に若い男が座っていた。背中を丸めて蹲っている様にも見えた。若者の髪は照明で緑に輝く黒髪だった。
 ケンウッドは若者に声を掛けた。

「ポール・レイン・ドーマー、相棒は一緒じゃないのか?」

 西ユーラシア・ドームに飛ばされる恋人と可能な限り一緒の時間を過ごさないのか? ケンウッドはレインがコロニー人のアパートに来たことを奇異に感じた。レインはリン長官のお気に入りだが、彼自身はコロニー人が好きではない。それは訓練所で彼が授業を受けていた頃からケンウッドは感じていた。美しい彼にはコロニー人のファンクラブが2つもあって、いつも取り巻きがいたが、彼は滅多に相手にしないのだ。恋人のセイヤーズを奪われようとしている時に、コロニー人のアパートにやって来るとは、どの様な了見なのだろう。
 パーシバルが優しくドーマーに話しかけた。

「ポール、さっきから黙り込んでいるが、それじゃ何を訴えに来たのか、わからないじゃないか。」

 ケンウッドは鎌を掛けた。

「セイヤーズの転属を止めて欲しいのか?」

 え? とパーシバルがケンウッドを振り返った。驚いていた。彼は知らなかった様だ。
リン長官は本当に誰にも相談せずに勝手に決めてしまったのだ。
 ケンウッドはパーシバルに簡単に説明した。

「サンテシマ・ルイス・リンが、遺伝子管理局に無断でドーマー交換を決めてしまったんだ。セイヤーズを西ユーラシア・ドームに譲ってしまったんだよ。」
「まさか・・・」
「私もペルラ・ドーマーから聞かされて仰天した。セイヤーズは恐らく無理矢理だろう、長官の下で転属願いを書かされたと思われる。」
「順番が逆じゃないか! ドーマーの転属願いは遺伝子管理局で書いて、長官に提出するんだ。」

 するとレインが顔を上げた。血の気のない唇で彼は言った。

「セイヤーズが転属を承知しなければ、クラウスを西ユーラシアへ飛ばすと、長官は言ったんです。クラウスにはキャリーと言う恋人がいます。離ればなれにするのは可哀想だと、セイヤーズのヤツ、長官の言葉を受け容れたんです。」

 まるで人質を取って脅迫しているのと同じだ。ケンウッドは唸った。

「ドーマー交換は、遺伝子管理局の承認なしに行ってはならない、と遺伝子管理法にあるじゃないか。」
「局長代理が承認の署名をしています。」

 レインがケンウッドを見つめた。

「ケンウッド博士、ハイネ局長はまだ退院されないのですか? 一体、あの人は今どうされているのです? ドームの中では、あの人はもう死んでしまったと言う噂まで・・・」
「ポール!」

 パーシバルが大声でレインの名を呼んだ。レインがビクッとして口をつぐんだ。パーシバルが何か言う前に、ケンウッドが割り込んだ。

「レイン、ハイネ局長は本当に病気なのだ。今必死で病と闘っている。」

 彼は声のトーンを落とした。

「恐らく、今夜が山だ。医療区の医師達が集まって彼にかかりきりになっている。」

 パーシバルはその意味を理解した。したが、納得いかないと言う表情をした。

「手術は、彼が意識を取り戻して体力をつけてから、と言うことじゃなかったのか?」
「意識は戻った。だが、黴も活発化したので、急遽手術することになった。」

 パーシバルは両手を口元に当てた。

「あの体で手術なんかすれば、彼は・・・」

それ以上は言えなかった。ポール・レイン・ドーマーが暗い目で2人の執政官を見比べた。彼等が何の話をしているのか、半分しか理解出来なかったが、一つだけ明確になった。ハイネ局長が今死にかけている、と言うことだ。

「レイン、申し訳ないが、今はセイヤーズを助けられない。彼を助けられる人が医師の助けを必要としている最中なのでね。だが、絶望しないでくれ。君達はまだ若い。30歳になれば住むドームを君達で決められる。それまでに、君達を食い物にしている連中をこのドームから追い払ってみせるよ。」

 ケンウッドは守れない約束はしない主義だ。彼はリン長官をアメリカ・ドームから追い払うために、どうしてもハイネ局長を完治させたかった。