2017年7月10日月曜日

侵略者 5 - 13

 ケンウッドがヤマザキ医師、ヘンリー・パーシバルと共にローガン・ハイネ・ドーマーの部屋に入ると、ハイネは食事のトレイを机の端に追いやってコンピュータで何か作業をしていた。ヤマザキが皿の上を見て顔を曇らせた。

「半分も食べていないじゃないですか、局長。」

 ハイネは顔を上げようともせずに応えた。

「また後で食べます。」

 パーシバルが肩をすくめた。そんなことを言うヤツに限って食べないのだ、と言いたげだ。

「食べなきゃ良くならないですよ。」

と言いつつ、ヤマザキは机を回り込み、ハイネが何をしているのか見ようとした。数日前まで自由に動かせなかった指を自在に使ってキーボードを叩いているのだから、医師は内心驚いていた。ハイネが先手を打って答えを明かした。

「書簡を作成しています。業務のうちです。」

つまり、覗くな、と言っているのだ。ヤマザキは肩をすくめた。ケンウッドは室内を見廻した。狭いが筋トレ用の用具が隅に置かれていた。ハイネは明日になればあれも使いこなすかも知れない。全く、80歳とは思えない。進化型1級遺伝子とは、実に恐ろしい。
彼は会議テーブルの周囲に置かれていた椅子の一つに腰を下ろした。
 暫く静かな時間が流れた。ヤマザキは端末を出して、距離を置いて患者の走査検査を行った。血圧、脈拍、体温などを測定した。パーシバルは自身の端末に誰からメールが入ったので、やりとりで忙しくなった。彼の研究室からのようだ。
 ケンウッドは室内にハイネの私物を求めたが、それらしき物はなかった。アパートの私室にあるのだろう。アパートは住人が1年半近く戻って来なくても掃除ロボットが勝手に掃除するので、清潔なはずだ。

 ハイネの部屋にダニエル・オライオンの写真はあるのだろうか。

 オライオンはドームを出た後、ハイネと再会出来たのはほんの10年前だった、と言った。それから1年に1回ほどの割合で職務上の用件でドームを訪問したそうだ。つまり、再会してから、仲良し「兄弟」は10回ほどしか会っていないのだ。そして、突然2度目の別れがやって来た。オライオンはまだ長生き出来そうだったが、「生きているうちに会うことはないだろう」と言っていた。ドームの中に入る用事がないからだ。「兄貴」は送迎フロアに出ることさえ珍しがられる「箱入り」だったから。
 オライオンに何か用事を創ってやれないだろうか。ドームの中へ、遺伝子管理局に、入って局長と話が出来る様な用事を。
 ケンウッドが物思いに耽っていると、ハイネがヤマザキに話しかけた。

「昼間は騒ぎを起こして申し訳ありませんでした。あの介護人はどうしました?」
「彼はさっさと辞表を出して火星へ戻りました。でも気にすることはないですよ、局長。彼は重力に体を慣らす暇もなしにここに派遣されて来ましたからね。もし留まっていたら、明日の昼頃には疲弊して介護の仕事どころじゃなくなっていたでしょう。彼の体には良かったんですよ。」
「それでも、私は彼のキャリアに傷を付けてしまいました。謝罪の手紙を送っておきます。」

 プリンターから印刷された紙が吐き出されて来た。ハイネはそれを手に取り、さっと目を通してから、一番下に直筆の署名をした。そして丁寧に折りたたんで、机の抽斗から封筒を出して中に入れた。そして先に作ってあった封書と共にヤマザキに差し出した。

「すみませんが、明日朝一の郵送便にこれを入れてもらえませんか?」

郵送便と言うのは、電子メールではなく文書や荷物をドームからドームへ、或いはドームから月の地球人類復活委員会本部へ送るものだ。電子メールと違って途中で傍受されたり消えたりしないし、実物を送れるので、殆ど毎日大陸間や宇宙空間を定期便が飛んでいた。
 ヤマザキではなく、パーシバルが手を伸ばした。

「僕は毎朝サンプル交換を他所の大陸と行っているから、僕の荷物に入れてあげるよ。」

 ハイネは遠慮なく彼の手に封書を渡した。1通は西ユーラシア・ドームの遺伝子管理局宛、もう1通は火星の介護人宛だった。ハイネは詫び状を書いていたのだ。
 ケンウッドは彼に尋ねた。

「ハイネ、オライオン氏には書かないのかい?」

 ハイネが一瞬固まったので、パーシバルがケンウッドを睨み付けた。折角穏やかに交流しているのに、また興奮させるつもりか?と。
 ハイネがケンウッドを見た。弱々しい微笑みを浮かべて、彼は首を振った。

「外から来る郵便は全て消毒班が開いて消毒するのです。ご存じありませんか?」

 つまり、オライオンからの返事が来れば、他人が先に読んでしまうと言っているのだ。
ハイネは弟と彼の間に他人が割り込むのを好まない。私信は読まれたくない。普通の個人として当然の感情だ。ケンウッドは己がドームの規則を全部知っている訳ではないと悟った。

「ドームに住んで5年近くになるのに、まだ私は初心者なんだな。」

 ケンウッドは思わず自嘲した。
 ハイネが顔を背けてあくびをした。ヤマザキがいつでも彼の体を支えられるように、後ろに回った。ハイネは苦笑した。

「まだ寝ませんよ、博士。食事の続きをしなければ・・・」