夕陽が回廊の中を黄金色に染めていた。ローガン・ハイネ・ドーマーも金色に光っている。ケンウッドは自身も金色に染まっていることに気が付かずにその場に立ち尽くして、老ドーマーに見とれた。82歳のハイネは光に包まれてまだ20代にも見えた。窓の外をじっと遠く、草原の向こう、地平線の辺りに見えるビル街の上空を見ているのだろう。太陽が沈んでいくところだった。
地球の古い宗教では、太陽が沈む所に極楽浄土があると言う。死んだ人の魂はそこに行って清浄な光に包まれて幸せになると・・・。
ケンウッドの知識はいろいろな宗教のごちゃ混ぜで確かなものではなかった。それでも彼は目を閉じて祈った。ドームの存在を支えてくれた多くのドーマー達の魂に、あの世でも幸福がありますようにと。
どのくらい祈っていただろう? 人の気配がして、目を開くと、すぐ横にハイネが立って彼を眺めていた。金色の光はいつの間にか茜色に変化して、ハイネの白髪がピンク色に見えた。白いシャツも桃色に染まっていた。
ケンウッドが何を言うべきか迷った隙に、ハイネの方が声を掛けた。
「ここは貴方の祈りの場所なのですか、博士?」
ケンウッドはちょっとうろたえて、窓の外を見た。世界が赤く染まっている。
「いや・・・あまりに夕景が美しいので、つい祈りたくなっただけで・・・」
ハイネも外を見た。
「ええ、ここからの夕陽は美しいですね。晴れた日の夕方はよくここに来ていました。」
独りで? と訊こうとしてケンウッドは止めた。ダニエル・オライオンの思い出に介入すべきではないと判断した。
「私を探しておられたのでしょう?」
ハイネが彼の心を見透かして言った。
「泣いていると思われたのですか?」
ケンウッドは微笑んだ。いつものハイネが目の前にいる。ケンウッドは素直に言葉を掛けた。
「ダニエル・オライオン氏の逝去にお悔やみ申し上げる。」
ハイネはゆっくりと頭を下げて、その言葉を受け取った。そして言った。
「彼は幸せだったのだろうかと考えていました。私が弟が欲しいとさえ言わなければ・・・」
「彼はドーマーとして育ったことを誇りに思っていたよ。ドームを出ても、自由を得ても、それは変わらなかった。そして君を本当に愛していたよ。」
ハイネが顔を背けた。ああ、泣かせてしまった、とケンウッドは思った。このままでは、彼もバツが悪かろう。ケンウッドは頭の中を回転させ、ダニエル・オライオンの言葉を見つけた。
「君を探して走り回ってしまったが、オライオン氏の忠告を思い出すべきだったな。今になって記憶が蘇ったよ。」
ハイネが少し擦れた声で尋ねた。
「彼は何と言ったんです?」
ケンウッドが直ぐに答えなかったので、彼は顔をこちらに向けた。少し目が赤くなっているが、夕陽で目立たない。ケンウッドは気づかぬふりをして言った。
「ローガンに用事があるのに捉まらない場合は、大きなネズミ獲り罠を仕掛けて置くと良いですよ。餌は勿論チーズです。必ず捕まえられますから。」
2人は数秒間黙って見つめ合った。そして、いきなりハイネが破顔一笑した。
「貴方に私の弱点を教えたのですね、あの弟は?」
「なんとなく前々からわかっていたさ。君と私が初めて言葉を交わしたのも、チーズが原因だっただろう?」
「困りましたね。」
ハイネが苦笑して、また窓の外を見た。太陽はもう沈んでしまって空が紫色になりつつあった。回廊の天井に照明がぽつぽつと点灯し始めた。
「もう直ぐ夕食の時間だ。 私と一緒に大人しく帰るかね?」
「弱点を知る人には逆らえませんね。」
2人は並んで歩き始めた。
ケンウッドは思い切って胸の内を打ち明けた。
「私は、リン長官を何とかしなければと思っている。実は月の委員会には何度か書状を送って、彼と彼のシンパがドーマー達に行っている破廉恥な振る舞いを訴えているのだが・・・」
「哀しいことですが、それはあまり効果のない訴えです。」
とハイネが言った。
「執政官の貴方にこんなことを言うのもなんですが、昔から執政官の悪戯は絶えません。委員会の執行部でも身に覚えのある人間が何人かいます。彼等が貴方の訴えを握りつぶしているのです。」
「では、どうすれば良い? 私は今のままで良いとは絶対に思えない。ドーマーは実験動物ではないし、ペットでもない、私達と同じ権利を持つ人間だ。」
ハイネはちょっと考えて、言った。
「何か別の方向で、リンの足をすくわねばなりません。」
そして、彼はふと窓の外の空を見上げた。
「星が出て来ましたね。今夜は月がありませんよ。」
ケンウッドも夜空に瞬き始めた星を見た。オリオン座も見えた。
あれはダニエル・オライオンだ、きっと。
彼は何故かそう思った。観察棟に居ては夜空は見えない。回廊にハイネが出て来たので、オライオンも兄貴の顔を見に出て来たのだ。ダニエル・オライオンは兄貴のそばに誰が居てくれるのだろうと、それだけを心残りにしていた。
それなら、ダニエル、私がハイネのそばにずっと居るよ、重力に負けて体がくたばる迄、頑張ってみせる。
地球の古い宗教では、太陽が沈む所に極楽浄土があると言う。死んだ人の魂はそこに行って清浄な光に包まれて幸せになると・・・。
ケンウッドの知識はいろいろな宗教のごちゃ混ぜで確かなものではなかった。それでも彼は目を閉じて祈った。ドームの存在を支えてくれた多くのドーマー達の魂に、あの世でも幸福がありますようにと。
どのくらい祈っていただろう? 人の気配がして、目を開くと、すぐ横にハイネが立って彼を眺めていた。金色の光はいつの間にか茜色に変化して、ハイネの白髪がピンク色に見えた。白いシャツも桃色に染まっていた。
ケンウッドが何を言うべきか迷った隙に、ハイネの方が声を掛けた。
「ここは貴方の祈りの場所なのですか、博士?」
ケンウッドはちょっとうろたえて、窓の外を見た。世界が赤く染まっている。
「いや・・・あまりに夕景が美しいので、つい祈りたくなっただけで・・・」
ハイネも外を見た。
「ええ、ここからの夕陽は美しいですね。晴れた日の夕方はよくここに来ていました。」
独りで? と訊こうとしてケンウッドは止めた。ダニエル・オライオンの思い出に介入すべきではないと判断した。
「私を探しておられたのでしょう?」
ハイネが彼の心を見透かして言った。
「泣いていると思われたのですか?」
ケンウッドは微笑んだ。いつものハイネが目の前にいる。ケンウッドは素直に言葉を掛けた。
「ダニエル・オライオン氏の逝去にお悔やみ申し上げる。」
ハイネはゆっくりと頭を下げて、その言葉を受け取った。そして言った。
「彼は幸せだったのだろうかと考えていました。私が弟が欲しいとさえ言わなければ・・・」
「彼はドーマーとして育ったことを誇りに思っていたよ。ドームを出ても、自由を得ても、それは変わらなかった。そして君を本当に愛していたよ。」
ハイネが顔を背けた。ああ、泣かせてしまった、とケンウッドは思った。このままでは、彼もバツが悪かろう。ケンウッドは頭の中を回転させ、ダニエル・オライオンの言葉を見つけた。
「君を探して走り回ってしまったが、オライオン氏の忠告を思い出すべきだったな。今になって記憶が蘇ったよ。」
ハイネが少し擦れた声で尋ねた。
「彼は何と言ったんです?」
ケンウッドが直ぐに答えなかったので、彼は顔をこちらに向けた。少し目が赤くなっているが、夕陽で目立たない。ケンウッドは気づかぬふりをして言った。
「ローガンに用事があるのに捉まらない場合は、大きなネズミ獲り罠を仕掛けて置くと良いですよ。餌は勿論チーズです。必ず捕まえられますから。」
2人は数秒間黙って見つめ合った。そして、いきなりハイネが破顔一笑した。
「貴方に私の弱点を教えたのですね、あの弟は?」
「なんとなく前々からわかっていたさ。君と私が初めて言葉を交わしたのも、チーズが原因だっただろう?」
「困りましたね。」
ハイネが苦笑して、また窓の外を見た。太陽はもう沈んでしまって空が紫色になりつつあった。回廊の天井に照明がぽつぽつと点灯し始めた。
「もう直ぐ夕食の時間だ。 私と一緒に大人しく帰るかね?」
「弱点を知る人には逆らえませんね。」
2人は並んで歩き始めた。
ケンウッドは思い切って胸の内を打ち明けた。
「私は、リン長官を何とかしなければと思っている。実は月の委員会には何度か書状を送って、彼と彼のシンパがドーマー達に行っている破廉恥な振る舞いを訴えているのだが・・・」
「哀しいことですが、それはあまり効果のない訴えです。」
とハイネが言った。
「執政官の貴方にこんなことを言うのもなんですが、昔から執政官の悪戯は絶えません。委員会の執行部でも身に覚えのある人間が何人かいます。彼等が貴方の訴えを握りつぶしているのです。」
「では、どうすれば良い? 私は今のままで良いとは絶対に思えない。ドーマーは実験動物ではないし、ペットでもない、私達と同じ権利を持つ人間だ。」
ハイネはちょっと考えて、言った。
「何か別の方向で、リンの足をすくわねばなりません。」
そして、彼はふと窓の外の空を見上げた。
「星が出て来ましたね。今夜は月がありませんよ。」
ケンウッドも夜空に瞬き始めた星を見た。オリオン座も見えた。
あれはダニエル・オライオンだ、きっと。
彼は何故かそう思った。観察棟に居ては夜空は見えない。回廊にハイネが出て来たので、オライオンも兄貴の顔を見に出て来たのだ。ダニエル・オライオンは兄貴のそばに誰が居てくれるのだろうと、それだけを心残りにしていた。
それなら、ダニエル、私がハイネのそばにずっと居るよ、重力に負けて体がくたばる迄、頑張ってみせる。