2017年7月29日土曜日

侵略者 8 - 6

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、西ユーラシア・ドームの遺伝子管理局から「直便」が来ていることを知らなかった。もっともこれは珍しいことではない。「直便」は生細胞をやりとりする執政官同士の間の連絡さえあれば良いのであって、上司にわざわざ報告するような重要性は滅多になかった。それに「直便」は毎週往来していたので、長官が気にする存在でもなかった。それにリン長官はその日、予定外の重要な用事が入って忙しかった。
 医療区から連絡が入ったのだ。

 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーの見極め診断を行うので立ち会いをお願いする。

 医療区長サム・コートニーから前夜遅くに要請が来た。「見極め」と言うからには、ハイネの病気が完治したと言う宣言を、医療区は出したいのだ。リン長官としても、最近のハイネの噂を耳にして、もう病気はすっかり治っているのではないか、と思っていた。ヤマザキ医師が患者を手放したがらないだけだ。幽閉を続けるのも危険だし、自由に出歩かせた方が、却って捕まえやすいのではないか、とリンは思った。遺伝子管理局長は勤務時間は本部の局長室に篭もっているが、自由時間は単独行動をしている。独りになったところを捕まえれば良い。眠らせて細胞を採取して開放すれば、誰も犯行に気が付かない。ハイネ本人も。
 ヘンリー・パーシバルがダリル・セイヤーズ・ドーマーを連れて遺伝子管理局本部に入ったのと同じ時刻にリン長官は医療区に入った。既にハイネ局長は更衣室に入って検査着に着替えているところだった。リン長官は検査室の一画で医師達と患者が来るのを待っていた。コートニーとヤマザキは検査項目のチェックに忙しく、看護師や技師達も準備に熱中していた。だから、ハイネが入って来た時、リン長官は彼と2人きりになると言う滅多にない機会に遭遇した。
 長官は検査着姿の局長を上から下までじろりと眺めた。

「貴方のその姿を拝めるのも、これが最後でしょうな。」

 と彼が言うと、ハイネも頷いた。

「私もそう願います。この服は好きではありません。」

 コートニーがやって来た。2人に挨拶して、検査項目の説明を行った。核磁気共鳴画像法と聞いて、ハイネが嫌そうな顔をした。コートニーが、短時間で済むし、痛くも痒くもない検査だ、と言っても、彼は気が進まない風だった。他にも多くの検査項目があって、1日を縛られると聞いて、彼は逃げ出したいと呟いた。リン長官はちょっと可笑しく感じてからかった。

「80年も生きてこられて、まだ恐いものがおありなのですな。」

 ハイネはムッとして、

「世の中、恐い物だらけですよ。」

と言った。

「恐い物がないと言う人ほど、早死にしますぞ、長官。」

 そして、ヤマザキに導かれて検査台に向かった。長官に声を聞かれない距離で、彼は医師に囁いた。

「これでアイツを1日ここに足止め出来るかな?」
「退屈させないよう、なんとか努力しますよ。」