2017年7月5日水曜日

侵略者 5 - 5

 ローガン・ハイネ・ドーマーが意識を取り戻したニュースは、リン長官に反発する執政官達がすぐにドーム内に流してしまった。ハイネが病床に伏していると言う噂を聞いていたドーマー達は、皆一様に安堵した。もしかするとリンにこっそり暗殺されたのではないかと疑っていたドーマー達は、なおさらだ。ドーム中から注目されると敵は手を出しにくくなる。
 遺伝子管理局はさらにリン一派の巻き返しを阻止する為に、局長代理解任要請を公式に長官に提出した。長官室と同時に届くように、一足先に月の地球人類復活委員会にも同じ要請が送られていたので、リン長官はノバックを元の個人秘書に戻すしかなかった。
 ヴァシリー・ノバックは初めて医療区に足を運び、離任の挨拶をした。彼がガラス越しに対面したローガン・ハイネ・ドーマーは、髪をきちんとカットしてもらい、髭も剃って、寝間着姿だったが、綺麗な姿で上体を起こしたベッドの上に座っていた。 ノバックに付き添った医療区スタッフは後に、ノバックがハイネの美しさに言葉を失って数分間沈黙したまま立ち尽くしていた、と伝えた。
  ノバックが黙り込んで隔離室の中を見つめている間、ローガン・ハイネ・ドーマーはペンを手に取って、ベッドの上に置かれた小さなテーブルに置かれた書類に署名をしていた。まだ指に力が入らず、腕もテーブルの上に置いて、ローガン と書いて休憩し、ハイネ と書いてまた休んだ。署名には「ドーマー」は書かないのだが、身分を表すDの字は姓の後ろに付ける。彼は書いたばかりのDの字が気に入らなかった。右側のカーブが手の震えで歪んでしまったからだ。
 ガラス壁の向こうから知らない男がこちらを見つめていることは承知していた。彼は幼い頃からそんな風に見られることに慣れていた。生まれついての白髪は目立つし、進化型1級遺伝子を持って生まれた子供は何か変わったところがあるのではないかと、いつも観察されていた。見られることに慣れているので、彼はノバックの存在を無視した。
 ノバックに付き添っていた医療スタッフがしびれを切らして通話器を手に取った。

「ハイネ局長、ノバック氏が面会に来られています。」

 署名の出来映えが気に入らなかったので、彼は不機嫌な顔でガラス壁を振り返った。まだ急な動きが出来ないので、ゆっくりと振り返ったのだが、ノバックはそれで緊張度が高まってしまった。

「ああ・・・ヴァシリー・ノバックと言います。貴方が寝ておられた間、私が貴方の代理を務めました。この度の恢復、おめでとうございます。私は今日で離任致します。」

 元気だったら何か皮肉の一つも言うだろうが、ハイネは黙って頷いただけだった。
まだ声を上手く出せないでいた。しかしノバックが彼の言葉を待っている様子だったので、仕方なく出来るだけ声をかすれさせないよう、腹に力を入れて言葉を出した。

「ご苦労。」

 途端に眠気が襲ってきた。

 これはいかん・・・

 書類に傷を付けたくなかったので、ペンをテーブルの端に置いて、腕を下へ下ろした。そのまま睡眠状態に陥った。
 ハイネが目を閉じてしまったので、スタッフはちょっと慌てた。リンの仲間にハイネの後遺症を知られるなと医療区長から指示を受けていたのだ。彼はノバックを促し、ハイネの部屋の前から離れた。

「あの方はコロニー人がお好きでないので、時々あんな風にあしらわれるのです。」

 スタッフの説明に、ノバックは、それでは仕方がないですね、と苦笑いして医療区を去った。
 中央研究所の長官室に入ると、リン長官は1人で仕事をしていた。若いドーマーを弄ぶ時以外は、真面目に科学者として働いているのだ。ノバックは秘書が留守であることを確認して、医療区を訪問したことを報告した。リン長官はコンピュータから目を離さずに尋ねた。

「本物の生きたハイネだったか?」
「ええ、それは間違いありません。」

 ノバックは長官のデスクに歩み寄り、体を机の上に載りだして長官に囁いた。

「先日の映像よりかなり恢復しています。あれの菌は死滅しているんじゃないですか。」
「カディナ病は甘く見てはいかんぞ。」
「しかし、ハイネは『突発性睡眠症候群』を発症しています。」

 リンはコンピュータから視線を外してノバックを見た。

「突発・・・何だって?」
「『突発性睡眠症候群』です。カディナ病の後遺症ですよ。黴が完全にいなくなった証拠です。」

 リン長官は黙り込んだ。医療区が嘘をついたのか? それとも、このドームの医師達はカディナ病に関して無知なのか?
 そもそも1年半近く治療の決め手を発見出来なかったのに、突然患者が目覚めて元気になるなんて、おかしいではないか。

「ハイネは報告よりもずっと早く目覚めていたのではないかな。」

とリンは呟いた。気に入らなかった。ドームのトップは長官ではないのか。何故報告がなかったのだ。
 ノバックが提案した。

「今夜、私がもう1度見舞って来ましょう。」