ケンウッドはダニエル・オライオンに、ハイネの気鬱が治れば彼の方から連絡させると約束した。守れない約束はすべきでないと言うのが彼の信条だったが、彼はこの約束をどうしても守りたかった。別れ際、オライオンが冗談めかして言った。
「もし、仕事でローガンに用事があるのに捉まらない場合は、大きなネズミ獲り罠を仕掛けて置くと良いですよ。餌は勿論チーズです。必ず捕まえられますから。」
ケンウッドはオライオンと固く握手を交わして別れた。
ドームに帰ると、医療区では既に手術の準備が整っていた。ただ患者の体力がかなり低下しているので、高カロリーの栄養剤を血管に注入して少しでも施術に耐えられる力を付ける迄時間をおいているのだった。
「胃から栄養を摂れるぐらいに体力が戻れば良いのだがね。」
とヤマザキ医師が言った。
「勿論、手術の前だから何も食べさせてやれないが、本人にその気が出れば良いんだ。しかし、眠ったままだからなぁ・・・」
ケンウッドはガラス越しに患者を眺めた。ジェルカプセルは斜めに傾けられ、ハイネの頭部がジェルから出ていた。γカディナ黴はいきなり重力を感じると爆発的に増加する。だから徐々にジェルによる無重力状態から地球の重力状態に戻しているのだ。黴は肺の中に居るので、ガス交換のマスクだけは顔から外せない。カプセルの背中部分に設置されている体内走査パネルが黴の位置をモニターに映し出している。黴は大人しく左肺に留まっているが、大小合わせて4箇所も赤い点が現れていた。一番大きな2,3ミリの点が親株で、小さいのは親株が除去された途端に成長する悪魔の予備軍だ。
「マスクさえ外さなければ、菌が彼の体から出ることはないのだろう?」
ケンウッドの質問に、ヤマザキが訝しげに彼を振り返った。
「何を考えているんだ、ケンさん?」
「彼に耳寄りな情報を提供したいんだ。」
ケンウッドは防護服を着ながら答えた。
「私はマスクなしで中に入る。出る時はちゃんと隣の消毒室に入るから、準備しておいてくれ。」
「おい・・・」
ヤマザキは呆れた。
「彼に直接語りかけるつもりか?」
「今まで彼はジェルの中に居て音が聞こえなかった。我々は防護服のマイクを通して会話していた。1年半、彼は誰の声も聞いていなかったんじゃないのか?」
ヤマザキはそれ以上何も言わなかった。
ケンウッドはジェル浴室に入った。中の空気は冷たく、消毒薬の匂いしか感じられなかった。湿った感じがするのは、γカディナ黴が乾燥地帯に生きる黴で空気中では湿度があれば成長出来ない特性を考慮して、看護する人間が濡れない程度にミスト状態にしているからだ。
ケンウッドはハイネに近づくと、少し身をかがめ、患者の耳元に囁きかけた。
「やぁ、ハイネ。気分はどうだい?」
白い髪が伸びている。ドーマーは男社会で生きるので、力尽くの喧嘩を防ぐ為に青年期に入るとホルモン調整をされる。女性ホルモンを投与されるのだ。ハイネはその提供が途絶えているので、髭も伸びていた。看護師が剃ってやるのだが、今も少し無精髭が生えている。
「君は髭も似合うんだな。」
ハイネは聞こえているのだろうか。身動き一つしない。ケンウッドは語り続けた。
「君の弟に会ってきたよ。ダニエル・オライオン、君のたった1人の弟だ。とても元気だ。君と話しをしたがっている。早く起きて連絡を取っておやり。」
目の錯覚だろうか、ハイネの睫が少し揺れた様な気がした。
ケンウッドは考えた。ハイネは心をドームの外のオライオンのところに飛ばしているのかも知れない。テレパシーとかそう言うのではなく、夢の中で弟と過ごした楽しかった日々を辿っているのだ。こちら側に戻りたくないのだ、きっと。だが、現実に戻ってもらわなくては困る。
どうすれば彼を現実に戻せる?
ケンウッドはハイネが意識を失う直前にしていたことを思い出そうと試みた。遺伝子管理局長は、新人の入局式を画像中継で見て、それから秘書のペルラ・ドーマーに入院中の仕事の指示を出して、ジェルの中に入った。
仕事を秘書に託して安心してしまったのか!
ケンウッドは通路に居るヤマザキにマイクで呼びかけた。
「ヤマザキ博士、ペルラ・ドーマーを呼んでくれないか? 何でも良いから、職務に関する連絡事項をハイネに報告させてくれ。ハイネの裁断が必要なレベルで、もう終了してしまっている事案で良いから。」
「もし、仕事でローガンに用事があるのに捉まらない場合は、大きなネズミ獲り罠を仕掛けて置くと良いですよ。餌は勿論チーズです。必ず捕まえられますから。」
ケンウッドはオライオンと固く握手を交わして別れた。
ドームに帰ると、医療区では既に手術の準備が整っていた。ただ患者の体力がかなり低下しているので、高カロリーの栄養剤を血管に注入して少しでも施術に耐えられる力を付ける迄時間をおいているのだった。
「胃から栄養を摂れるぐらいに体力が戻れば良いのだがね。」
とヤマザキ医師が言った。
「勿論、手術の前だから何も食べさせてやれないが、本人にその気が出れば良いんだ。しかし、眠ったままだからなぁ・・・」
ケンウッドはガラス越しに患者を眺めた。ジェルカプセルは斜めに傾けられ、ハイネの頭部がジェルから出ていた。γカディナ黴はいきなり重力を感じると爆発的に増加する。だから徐々にジェルによる無重力状態から地球の重力状態に戻しているのだ。黴は肺の中に居るので、ガス交換のマスクだけは顔から外せない。カプセルの背中部分に設置されている体内走査パネルが黴の位置をモニターに映し出している。黴は大人しく左肺に留まっているが、大小合わせて4箇所も赤い点が現れていた。一番大きな2,3ミリの点が親株で、小さいのは親株が除去された途端に成長する悪魔の予備軍だ。
「マスクさえ外さなければ、菌が彼の体から出ることはないのだろう?」
ケンウッドの質問に、ヤマザキが訝しげに彼を振り返った。
「何を考えているんだ、ケンさん?」
「彼に耳寄りな情報を提供したいんだ。」
ケンウッドは防護服を着ながら答えた。
「私はマスクなしで中に入る。出る時はちゃんと隣の消毒室に入るから、準備しておいてくれ。」
「おい・・・」
ヤマザキは呆れた。
「彼に直接語りかけるつもりか?」
「今まで彼はジェルの中に居て音が聞こえなかった。我々は防護服のマイクを通して会話していた。1年半、彼は誰の声も聞いていなかったんじゃないのか?」
ヤマザキはそれ以上何も言わなかった。
ケンウッドはジェル浴室に入った。中の空気は冷たく、消毒薬の匂いしか感じられなかった。湿った感じがするのは、γカディナ黴が乾燥地帯に生きる黴で空気中では湿度があれば成長出来ない特性を考慮して、看護する人間が濡れない程度にミスト状態にしているからだ。
ケンウッドはハイネに近づくと、少し身をかがめ、患者の耳元に囁きかけた。
「やぁ、ハイネ。気分はどうだい?」
白い髪が伸びている。ドーマーは男社会で生きるので、力尽くの喧嘩を防ぐ為に青年期に入るとホルモン調整をされる。女性ホルモンを投与されるのだ。ハイネはその提供が途絶えているので、髭も伸びていた。看護師が剃ってやるのだが、今も少し無精髭が生えている。
「君は髭も似合うんだな。」
ハイネは聞こえているのだろうか。身動き一つしない。ケンウッドは語り続けた。
「君の弟に会ってきたよ。ダニエル・オライオン、君のたった1人の弟だ。とても元気だ。君と話しをしたがっている。早く起きて連絡を取っておやり。」
目の錯覚だろうか、ハイネの睫が少し揺れた様な気がした。
ケンウッドは考えた。ハイネは心をドームの外のオライオンのところに飛ばしているのかも知れない。テレパシーとかそう言うのではなく、夢の中で弟と過ごした楽しかった日々を辿っているのだ。こちら側に戻りたくないのだ、きっと。だが、現実に戻ってもらわなくては困る。
どうすれば彼を現実に戻せる?
ケンウッドはハイネが意識を失う直前にしていたことを思い出そうと試みた。遺伝子管理局長は、新人の入局式を画像中継で見て、それから秘書のペルラ・ドーマーに入院中の仕事の指示を出して、ジェルの中に入った。
仕事を秘書に託して安心してしまったのか!
ケンウッドは通路に居るヤマザキにマイクで呼びかけた。
「ヤマザキ博士、ペルラ・ドーマーを呼んでくれないか? 何でも良いから、職務に関する連絡事項をハイネに報告させてくれ。ハイネの裁断が必要なレベルで、もう終了してしまっている事案で良いから。」