2017年7月13日木曜日

侵略者 6 - 1

 アメリカ・ドームの中は微妙な緊張感が漂っていた。
 遺伝子管理局長ローガン・ハイネ・ドーマーが1年4ヶ月の長い眠りから覚めて、今はクローン観察棟に幽閉されている、と言う噂がドーマー達の間に広まっていた。誰が広めたのかわからない。ケンウッドもパーシバルも喋った覚えはない。執政官が己の立場を危うくする様な話を、例え事実であっても、ドーマー達に喋るはずがない。それに、ローガン・ハイネ自身が望まなかった。彼はドームの中の秩序が乱されることを嫌った。幽閉されていることは腹立たしいが、彼はまだ病身でいつ深い睡眠に陥るかわからないγカディナ病の後遺症に悩まされている。彼を神様みたいに尊敬し愛してくれている若いドーマー達の前で倒れる訳にいかなかった。彼は秘書を通じて、療養しているだけなので心配しないようにとドーム内ネット通信で呼びかけた。
 それでもなお、遺伝子管理局長がサンテシマ・ルイス・リン長官の手で虐待されていると言う噂が密かに流れていた。
 リン長官も噂を消そうと躍起になっていた。他の大陸のドームから遺伝子管理局宛の通信などが来ると、大急ぎで内容を検め、本部へ廻した。自身に不都合な内容は自身で返答を送った。この作業は遺伝子管理局に手伝わせる訳にいかない。リン長官はおかしな方向で多忙になった。
 執政官達は以前にも増して慎重にドーマーに接しなければならなかった。贔屓のドーマーを抱きしめたり、キスをしたりしていたファンクラブも、ただ取り囲んでご機嫌を取ったり、贈り物をする程度に自重した。誰かが月の地球人類復活委員会に告げ口するかも知れない。アメリカ・ドームではドーマーをペット扱いしている、と。

 ケンウッドとパーシバルはクローン観察棟のハイネの部屋を訪ねていた。ヤマザキ医師も一緒だった。彼等はハイネではなくハイネの第1秘書のグレゴリー・ペルラ・ドーマーの古傷の診断結果を持って来たのだ。そんな用事でもなければ訪問し辛い。リンに睨まれるのは平気なつもりだったが、ドーマー達からハイネを慰み者にしているのではないかと疑われるのは御免だった。
 ハイネは昼食後の昼寝をしていた。こま目に休息を取ることで後遺症の昏睡状態に陥る時間を減らす努力をしているのだ。ケンウッド達は今回の「患者」は彼ではないので、ペルラ・ドーマーを会議用テーブルに呼んで診断結果を報告した。
 ペルラ・ドーマーの古い火傷の痕に起こる不快な痛みは、やはり神経の先端の痛みだった。

「君は無意識に怪我をした体躯の左側を庇って行動している。だから身体に歪みが生じて筋肉に無理を強いているんだ。筋肉の歪みに末梢神経が反応していると思われる。」
「傷が治って長いですが・・・」
「癖になっているのだろう。これは病気とは言えない軽い病気だ。でも君は不快なのだろう?」
「ええ、疲れた時は特に・・・」
「医療区のリハビリセンターにプログラムを組んでもらってマッサージを定期的に受けると良いよ。健康維持はドーマーの仕事だ、遠慮なくリラックスして体をほぐしてもらえ。」
「有り難うございます。」

 ペルラ・ドーマーは面倒な病気でないと判明して、晴れ晴れとした表情になった。ヤマザキ医師がちょっと好奇心で尋ねた。

「一体その背中の火傷はどうして負ったんだね? ドームの中でそんな大きな事故があったのか?」

 ペルラ・ドーマーはちらりと昼寝中のボスを見た。そして博士達に視線を戻した。

「この背中の傷は、外で負ったんですよ。」
「外? ああ、君は局員だったんだね。任務中の事故なのか。」
「しかし、普通は支局巡り程度の安全な仕事がメインだろう? メーカー相手の捕り物かい?」
「メーカーではありませんでした。」

 秘書はちょっと躊躇った。彼自身の過去だが、ドーマーの過去はドームの過去でもある。執政官相手と言っても、当時ここに居なかった人々に喋って良いものか、と迷ったのだ。結局、彼は喋りたいと言う誘惑に負けた。

「博士の皆さんは、『死体クローン事件』をご存じですか?」