ドームの中で暮らしていると、雨は無縁だ。コロニー人にとっても雨は無縁だが、ドームでは外の世界がそのまま見えているので、壁の外が土砂降りだったり、雷雨だったりすると、濡れないし音も聞こえないのだが、空が暗くて鬱陶しさは感じられる。
ドーマー達は雨の日が嫌いだ。昼間なのにドームの中が薄暗いし、稲妻は綺麗だが不安をかき立てる。内勤のドーマー達がそんなだから、外勤のドーマー達はなおさらだ。彼等は実際に雨に濡れるし、風に吹き付けられる。激しい雷鳴も聞く。
その年の春分祭はよりにもよって大雨だった。ドーマー達の多くはこの日に休みをもらう。どうしても仕事の手を休められない部署は当直が籤で決められる。春分祭は1年で一番馬鹿馬鹿しいお祭りだ。男性執政官が女装して、ドーマー達が一番の「美女」を投票で決めるのだ。これは地球上の全てのドームで行われるので、宇宙にもテレビ中継される。
男性執政官全員が女装を義務付けられているので、ドーム長官と雖も逃げられない。テレビは「変身前」と「変身後」を見せて視聴者の笑いを誘う。
しかし、視聴者の一番の楽しみはドーマーと呼ばれる地球人を見ることだ。強い子孫を残す為に選ばれた健康な男性達の筋肉美を、重力の弱い世界で生きる人々は羨望の目で見ている。
アメリカ・ドームでは、最近新しいスターが誕生した。ポール・レイン・ドーマーだ。女性も羨む輝く様な美貌で、しかも・・・愛想が悪い。つんとした生意気な印象が女性に人気がある。当人は嬉しくないのだが、テレビカメラが彼の後ろをついて廻る。
「どうして俺が追いかけられるんだ?」
と彼は弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに愚痴った。
「女装した執政官を見るお祭りだろうが!」
「だけど兄さん、ローガン・ハイネ・ドーマーがいないんじゃ、兄さんが注目を集めても仕方が無いですよ。」
「だから、なんで俺なんだよ?」
ケンウッドは赤頭巾ちゃんになっていた。本当は猟師か狼で良かったのだが、それでは女装にならない。幸いなことに、赤頭巾ちゃんは他に3人いたので、落選する確率が高かった。女装で表彰台に上がるのは御免だった。
リン長官は白雪姫だ。この男も女装は好きでないのだが、義務なので化粧してドレスを着ている。かなりグロテスクな白雪姫だった。
テレビ局は複数来ていたが、長官のインタビューはどこも短い時間しかとらなかった。あまり面白くない人物だと思ったのだろうし、長官も相手にして欲しくないオーラを発していた。
ケンウッドはイオTVのスタッフがハンディカメラで撮影して廻っているのを見かけた。この木星コロニー系のテレビ局は執政官を殆ど撮影しないでドーマーばかり撮すので女性視聴者を多く掴んでいる。ケンウッドが見つけたスタッフは誰かを探している様子だった。誰を探しているのかは、すぐにわかった。白いウィッグを付けた執政官に駆け寄って行き、がっかりした顔で離れて行ったからだ。
ハイネは3年連続でこの祭りから遠ざかっているからな・・・
長年の人気者がカメラの前から姿を消してしまい、ファンからブーイングが起きているのだ。コロニー人達はハイネが高齢であることを知っている。進化型1級遺伝子で若さを保っていることも知っている。それなのにカメラの前に出てこないのは、何か深刻な病気なのではないのか、とあながち外れでもない推測が飛び交っているのだ。
リン長官の無愛想も、これが原因だった。コロニー人の不手際で地球人を恐ろしい病原菌に感染させてしまったことを世間に暴露されたくない。人気者を幽閉していることを知られたくない。そして自身が若いドーマーに手を出していることを告発されたくない。
ドーム内は賑やかだった。テレビクルーだけでなく、一般のコロニー人も女装大会に参加費を払えば参加出来るので、大勢の観光客が来ている。彼等は勿論ビジターパスを首から提げており、ドーム内の通路や食堂は日頃の数倍の人間で溢れかえっていた。
食堂は休みで、と言ってもドーマーは家事をしないし、コロニー人はドームの外に出るには別の許可証が必要なので、屋台が出ている。女性執政官やお祭り好きのドーマー達が自身で料理した物を販売する。春分祭の間、食事はこれらの屋台が頼りだった。
ケンウッドは空腹を覚えたので、いくつかのフードブースが並んでいる一画に脚を向けた。どのブースも大盛況だ。何を食べようかと考えていると、香ばしい香りが鼻をくすぐった。チーズが焼ける匂いだ。匂いがする方向を見ると、若いドーマーがパンケーキの上に平たいチーズを載せてバーナーで炙っていた。彼の前に背の高い赤毛の女性が立っており、チーズが溶けるのをまだかまだかと待っていた。ケンウッドは彼女の後ろに並び、それから彼女の体格を見て、男だと気が付いた。頭からざっくり被って着るスモッグの様な長いローブを身につけ、長い赤毛の鬘を被ってサングラスを掛けている。綺麗な横顔だが、ケンウッドより身長が高い。
こんなでかい女がいるものか・・・
ブースのドーマーは丁寧にチーズを炙り、とろとろに溶かしてからコテでパンケーキを皿に取って、セラミックのナイフとフォークを添えて「彼女」に渡した。「彼女」がドーム内でのみ通用するカードを手渡し、ドーマーがリーダーに掛けた。カードは無事に通った。しかし、ドーマーは表示された画面の内容を見て、一瞬固まった。何か問題でも? とケンウッドが不審を覚えた時、赤毛の「彼女」が声を掛けた。
「早くしてくれないか? チーズが固まってしまう。」
ケンウッドはギョッとなった。その声は・・・
「ハイネ?」
ブースのドーマーが「彼女」の顔を見た。
「やっぱり?」
と彼が呟いた。「彼女」が指を自身の唇に当てて、「しーっ」と合図した。そしてカードを返してもらうとチーズケーキの皿を持って立ち去ろうとした。ケンウッドは慌てて追いかけた。
ドーマー達は雨の日が嫌いだ。昼間なのにドームの中が薄暗いし、稲妻は綺麗だが不安をかき立てる。内勤のドーマー達がそんなだから、外勤のドーマー達はなおさらだ。彼等は実際に雨に濡れるし、風に吹き付けられる。激しい雷鳴も聞く。
その年の春分祭はよりにもよって大雨だった。ドーマー達の多くはこの日に休みをもらう。どうしても仕事の手を休められない部署は当直が籤で決められる。春分祭は1年で一番馬鹿馬鹿しいお祭りだ。男性執政官が女装して、ドーマー達が一番の「美女」を投票で決めるのだ。これは地球上の全てのドームで行われるので、宇宙にもテレビ中継される。
男性執政官全員が女装を義務付けられているので、ドーム長官と雖も逃げられない。テレビは「変身前」と「変身後」を見せて視聴者の笑いを誘う。
しかし、視聴者の一番の楽しみはドーマーと呼ばれる地球人を見ることだ。強い子孫を残す為に選ばれた健康な男性達の筋肉美を、重力の弱い世界で生きる人々は羨望の目で見ている。
アメリカ・ドームでは、最近新しいスターが誕生した。ポール・レイン・ドーマーだ。女性も羨む輝く様な美貌で、しかも・・・愛想が悪い。つんとした生意気な印象が女性に人気がある。当人は嬉しくないのだが、テレビカメラが彼の後ろをついて廻る。
「どうして俺が追いかけられるんだ?」
と彼は弟分のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに愚痴った。
「女装した執政官を見るお祭りだろうが!」
「だけど兄さん、ローガン・ハイネ・ドーマーがいないんじゃ、兄さんが注目を集めても仕方が無いですよ。」
「だから、なんで俺なんだよ?」
ケンウッドは赤頭巾ちゃんになっていた。本当は猟師か狼で良かったのだが、それでは女装にならない。幸いなことに、赤頭巾ちゃんは他に3人いたので、落選する確率が高かった。女装で表彰台に上がるのは御免だった。
リン長官は白雪姫だ。この男も女装は好きでないのだが、義務なので化粧してドレスを着ている。かなりグロテスクな白雪姫だった。
テレビ局は複数来ていたが、長官のインタビューはどこも短い時間しかとらなかった。あまり面白くない人物だと思ったのだろうし、長官も相手にして欲しくないオーラを発していた。
ケンウッドはイオTVのスタッフがハンディカメラで撮影して廻っているのを見かけた。この木星コロニー系のテレビ局は執政官を殆ど撮影しないでドーマーばかり撮すので女性視聴者を多く掴んでいる。ケンウッドが見つけたスタッフは誰かを探している様子だった。誰を探しているのかは、すぐにわかった。白いウィッグを付けた執政官に駆け寄って行き、がっかりした顔で離れて行ったからだ。
ハイネは3年連続でこの祭りから遠ざかっているからな・・・
長年の人気者がカメラの前から姿を消してしまい、ファンからブーイングが起きているのだ。コロニー人達はハイネが高齢であることを知っている。進化型1級遺伝子で若さを保っていることも知っている。それなのにカメラの前に出てこないのは、何か深刻な病気なのではないのか、とあながち外れでもない推測が飛び交っているのだ。
リン長官の無愛想も、これが原因だった。コロニー人の不手際で地球人を恐ろしい病原菌に感染させてしまったことを世間に暴露されたくない。人気者を幽閉していることを知られたくない。そして自身が若いドーマーに手を出していることを告発されたくない。
ドーム内は賑やかだった。テレビクルーだけでなく、一般のコロニー人も女装大会に参加費を払えば参加出来るので、大勢の観光客が来ている。彼等は勿論ビジターパスを首から提げており、ドーム内の通路や食堂は日頃の数倍の人間で溢れかえっていた。
食堂は休みで、と言ってもドーマーは家事をしないし、コロニー人はドームの外に出るには別の許可証が必要なので、屋台が出ている。女性執政官やお祭り好きのドーマー達が自身で料理した物を販売する。春分祭の間、食事はこれらの屋台が頼りだった。
ケンウッドは空腹を覚えたので、いくつかのフードブースが並んでいる一画に脚を向けた。どのブースも大盛況だ。何を食べようかと考えていると、香ばしい香りが鼻をくすぐった。チーズが焼ける匂いだ。匂いがする方向を見ると、若いドーマーがパンケーキの上に平たいチーズを載せてバーナーで炙っていた。彼の前に背の高い赤毛の女性が立っており、チーズが溶けるのをまだかまだかと待っていた。ケンウッドは彼女の後ろに並び、それから彼女の体格を見て、男だと気が付いた。頭からざっくり被って着るスモッグの様な長いローブを身につけ、長い赤毛の鬘を被ってサングラスを掛けている。綺麗な横顔だが、ケンウッドより身長が高い。
こんなでかい女がいるものか・・・
ブースのドーマーは丁寧にチーズを炙り、とろとろに溶かしてからコテでパンケーキを皿に取って、セラミックのナイフとフォークを添えて「彼女」に渡した。「彼女」がドーム内でのみ通用するカードを手渡し、ドーマーがリーダーに掛けた。カードは無事に通った。しかし、ドーマーは表示された画面の内容を見て、一瞬固まった。何か問題でも? とケンウッドが不審を覚えた時、赤毛の「彼女」が声を掛けた。
「早くしてくれないか? チーズが固まってしまう。」
ケンウッドはギョッとなった。その声は・・・
「ハイネ?」
ブースのドーマーが「彼女」の顔を見た。
「やっぱり?」
と彼が呟いた。「彼女」が指を自身の唇に当てて、「しーっ」と合図した。そしてカードを返してもらうとチーズケーキの皿を持って立ち去ろうとした。ケンウッドは慌てて追いかけた。