2017年7月15日土曜日

侵略者 6 - 2

 死体クローン事件。 それは30年前に起きた犯罪だった。
ヘンリー・パーシバルは事件の概要は知っていたが当時は関心がなかったのでよく覚えていなかった。ヤマザキ・ケンタロウは医大で真面目に勉学に励んでいたので、事件そのものも覚えていなかった。ニコラス・ケンウッドだけが当時のことを記憶していた。
 火星にある地球人類博物館に保存されている4千年前の人間を傷つけた者がいた。古代人はアルプスの氷河から発見された成人男女1体ずつと男の赤ん坊の遺体だった。その赤ん坊の細胞を盗んだ者がいたのだ。警察の捜査で犯人が割り出された。地球のアメリカ・ドームで女性のクローン製造に携わっていた遺伝子学者サタジット・ラムジーだった。
地球側の捜査で、ラムジーが古代人だけでなく、ドームの外で捜査協力をしていた警察のモルグから死体の細胞をも盗んでいたことが判明した。ラムジーは汎宇宙連合で禁止されている死体からクローンを造る実験をしていたのだ。
 これは人類社会にとって大スキャンダルだった。死んだ人間からクローンを造る、神の領域を侵す大罪だと騒ぐ宗教団体や、死者から生まれた人間の遺産相続権はどうなるのかと法曹界で大論争にもなった。
 結局人類社会を大騒ぎにしただけで、論争の決着は曖昧に終わってしまったが、事件そのものも曖昧に終了した。
 サタジット・ラムジーがドームの外へ、地球の何処かへ逃亡し、行方知れずとなったからだ。 彼の消息はアメリカ大陸の東海岸でぷつりと途絶え、それきりだった。

「グレゴリー、君はラムジーを追跡したのか?」
「アメリカ・ドーム遺伝子管理局としては、自分のところのスキャンダルでしたから、局員総動員で追跡しました。しかし、ラムジーは見事に足跡を消してしまい、今もって発見されていません。」
「君の火傷はその時のものなのか?」

 するとペルラ・ドーマーは恥ずかしそうに語った。

「当時、私は北米南部班に所属する局員でした。同僚と2人1組でラムジーの立ち寄りそうな場所を探していました。ラムジーはまだ死体から盗んだ細胞を持ち逃げしている疑いがあり、遺伝子管理局としては彼の逮捕は勿論ですが、盗まれた細胞の奪還もしくは回収を命じられていました。外の警察もドームからの要請で動いていましたが、彼等は細胞の重要性を知りません。細胞を破壊される前にラムジーを見つけることが我々の使命でした。」
「でもラムジーは見つからなかった?」
「1度だけ、彼の手がかりをミシガン湖の近くの街で見つけたことがあります。そこは古い廃屋の様なビルでした。同僚は応援を待とうと言ったのですが、私は気が逸ってビルの中に入りました。応援と言っても、局員の仲間は全米に散開して捜査していたので、来るのは地元警察だとわかっていたからです。
 今思えば、私は単純だったのです。ラムジーはただ逃げ回り、隠れ廻るだけの愚かな学者と思えました。しかし、ラムジーは老獪でした。
 その古いビルは彼が事件が発覚する前から密かに持っていた彼の研究所だったのです。彼は自身の研究が奪われるのを恐れ、ビル全体に罠を仕掛けていました。敵が侵入すれば自動的にビルが自爆するような仕組みです。
 私は彼が仕掛けた罠に掛かり、迷路の様なビルの中で出口を見失ってしまいました。
ラムジーがビル内に仕掛けた仕組みが作動して火災が発生しました。ビルの最深部で爆発が起こり、煙が充満しました。私は煙の中を闇雲に走り回り、呼吸が出来なくなって床の上に腹ばいになって空気の確保を試みました。その時、天井が燃えながら落ちてきて、背中に当たったのです。
 私は床の上を転げ回って火を消そうとしました。しかし、煙の中ですから火が消える前に呼吸が困難になり、気を失いました。幸いなことに、同僚が私の端末の位置確認をして、救助隊と共に中に入り、私を発見してくれました。私が気を失ったと同時に見つけてくれたのです。さもなくば、私はあの場所で焼け死んでいたことでしょう。
 意識が戻った時、私は医療区のジェル浴室に中にいました。」

 パーシバルがからかった。

「それでジェル浴室の時からハイネの見舞いの手際が良かったんだな。」
「ヘンリー、グレゴリーをからかっては可哀想だ。彼はラムジー確保までもう一歩のところまで行っていた。優秀だよ。」
「有り難うございます、ケンウッド博士。でもラムジーがあの時あのビルの中に居たかどうか、今でもわかりません。彼の研究施設は綺麗に焼け落ち、実験道具の残骸が辛うじて鑑識の結果で見つかっただけです。勿論、盗まれた細胞がそこにあったのかどうかもわかりませんでした。」

 その時、不意に彼等の背後で声がした。

「ラムジーはそこでクローンを造っていた形跡があった。」

 一同はびっくりして振り返った。いつの間に起きたのか、ハイネ局長がすぐ後ろに立っていた。今日もTシャツとジーンズ姿だ。もう寝間着は飽きたのだろう。幽閉がドーム内に知れ渡ってから、遺伝子管理局の幹部クラスの部下達が時々職務上の面会を求めて観察棟にやって来る。局長が寝間着で面会するのは拙いだろうし、かと言って制服同然のスーツはまだ支給されていないので、ラフな私服姿になるしかないのだ。
 パーシバルはこの前の面会時からかなり時間を空けていたし、ハイネの私服姿は初めて見た。この美男子好きの博士は内心大喜びで彼を鑑賞した。
 ケンウッドが尋ねた。

「そう言えば、君は内務捜査班だったね。ラムジーの事件を捜査したのかい?」
「ええ、最初に事件を嗅ぎつけたのが、我々の先輩でしたから。執政官の1人が何やら頻繁に機材の出し入れや薬品の購入をしていたのに気が付いたのです。普通は一括購入する物ですから、個人で行うのは可笑しい、と睨んだ訳です。ラムジーがあまりにも堂々と帳簿の誤魔化しをしていたので、誰も気が付かなかったのです。」

 ハイネはペルラ・ドーマーを見て微笑んだ。

「君の話に割り込んで御免よ。」
「いいえ、かまいませんよ、局長。私が知っていることは全部話してしまいました。局長の方が事件の内容をよくご存じでしょう?」
「座りなさいよ、局長。また倒れられては、僕が困る。」

とヤマザキが自身の正面の席を指した。ハイネは苦笑して、「仰せの通りに」とテーブルを廻って空いている椅子に着席した。