2018年3月9日金曜日

泥酔者 1 - 2

 ケンウッド長官は午後の業務を睡魔と闘いながらこなしていた。今日の仕事は急を要するものではないので、明日に延ばしても良いのだが、それではいつになっても片付かないだろうから、やってしまうのだ。
 2人の秘書は既に午後の休憩に入っていた。チャーリー・チャンとジャクリーン・スメア、どちらもコロニー人だ。ケンウッドはどちらか片方はドーマーで、と思ったのだが、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが引退する時に後任を推薦しなかったので、仕方なく地球人類復活委員会推薦のコロニー人女性を採用した。スメアはキビキビと働く有能な秘書で、先輩のチャンが食われそうな勢いだ。大企業で働いた経験があり、地球へは海の青さに惹かれて来たのだと言う。休暇を取ってダイビングに行くのが趣味だ。ヤマザキ医療区長は、「海洋資源を探りに来た企業側のスパイじゃないか」と冗談を本人の前で言った。スメアは笑って、「ではその企業より高額のボーナスを頂けるなら、ドームの収入になる道を探しますわ」と返した。
 ケンウッドが眠気に抗しきれずに目を閉じた瞬間、端末に電話がかかって来た。ハッと目を開き、通話ボタンを押すと、副長官のガブリエル・ブラコフだった。

「ちょっと3件ばかり所要が出来ましたので、そちらへお伺いしてもよろしいですか?」

 ケンウッドは構わないと答えた。通話を終えて、誰もいないので大欠伸をした。ブラコフが来たら一緒にお茶でも飲もうと立ち上がり、休憩スペースでお茶の準備に取り掛かった。体を動かすと、目が覚めて来た。
 湯が沸く頃に、ブラコフがチャイムを鳴らして入室して来た。小さなカートを押していた。カートには小さな包みがいくつか載っていた。

「ヴァンサンが中央アジアから送って来たんです。先生のお好きな物をお一つどうぞ。」

 ヴァンサン・ヴェルティエンは一昨年迄ブラコフと2人で副長官の任に就いていた。ブラコフがテロ事件に巻き込まれ、重傷を負わされ、副長官職を続けることが危ぶまれた時、月の執行部のハナオカ委員長の勧めで長官秘書から副長官になった。ヴェルティエン自身は遺伝子学者ではなく文化人類学者だったので、彼はドームの副長官になって良いものかと迷い、結局ブラコフが完治する迄共同で任務遂行に当たったのだ。ブラコフがすっかり健康を取り戻し、傷で失った顔面を細胞再生治療で元どおりにすると、ヴェルティエンは地球に来た本来の目的を果たすことに決めた。つまり、地球各地を巡って各地の民族の文化を調査することだった。ケンウッドもドームの仲間達も彼に残って欲しかったのだが、ヴェルティエンの決意は固く、結局ケンウッドは折れた。
 ヴェルティエンはバックパッカーとして地球の表面を旅して回っている。そして時々珍しい産物に出会うとアメリカ・ドームに送ってくれるのだ。
 ケンウッドは小さな箱を手に取った。振ると中で何か軽い物がカサカサと音を立てた。

「これは何だね?」
「チーズだそうです。」
「チーズ?」

 室内は暖かい。ケンウッドはカートに積まれている箱の山を見た。

「これ、全部?」
「そうです。」
「ハイネ宛てじゃないのか?」
「ハイネ局長には一番最初に選んで頂きました。」
「全部同じに見えるが・・・」
「全部同じですよ。乾燥チーズです。」

 それでケンウッドはお茶を淹れるから座るようにとブラコフに言った。