2018年3月10日土曜日

泥酔者 1 - 3

「2つ目の要件は何だね?」

 ブラコフはケンウッドがぎこちない手つきでお茶を淹れるのを見守った。ケンウッドは決して「男子は家事をしない派」ではない。ドームではちょっとした家事は全部ロボットがしてくれるし、それ以外は専門的技能を持ったドーマーがしてくれる。執務室では秘書がお茶の準備をしてくれるので、彼は時々お茶の淹れ方を忘れるのだ。

「僕の後任候補を後でチェックして下さい。」

 ブラコフも3ヶ月後にドームを去る。彼はテロで負傷した時、多くの人々から温かい励ましをもらい、生き延びたのは医療技術よりもその人の心のお陰だと信じている。だから、長い療養と副長官職の両立を頑張って来られた。そして考えたのだ。

 この恩返しは、今度は自分が療養生活をしている人々の支えになることだ。

 彼は地球に未練を残しながらも、火星第1コロニーで最も大きな病院のリハビリセンターで働くことにした。そこでは宇宙連邦各地から送られてくるテロの被害者達が社会復帰に向けて訓練と療養に明け暮れているのだ。
 ケンウッドは愛弟子の決意を誇りに思う一方で、寂しかった。ブラコフもヴェルティエンも彼が副長官になる以前の時代から一緒に働いてきた仲間だったからだ。

 みんな巣立って行くんだなぁ・・・

 自分はここで何をグズグズしているのだろう、とケンウッドは焦燥感を覚えていた。地球人の女性誕生を1日でも早く実現させなければならないのに、毎日予算やら執政官同士の争いの調停やらドーマーの生活改善やらで時間を取られてばかりいる。研究に没頭する時間がないのだ。遺伝子学者ではなく政治家になってしまっている・・・。
 ブラコフが喋っていた。

「自薦他薦色々と紹介状が来て、目を通すだけで2週間かかりました。昔の映画で札束ってあるでしょう? あんな感じですよ、紙がどっさり・・・」

 彼は手で積まれた物を表現した。

「取り敢えず10人選びました。先生に見ていただいて、検討しようと思っています。地球人のことを考えてくれる良い人々であって欲しいのですが。」

 ケンウッドはカップを彼に手渡して頷いた。地球人類復活委員会で働きたい科学者は多い。しかし彼等の多くは地球の為ではなく、自分達の経歴に箔を付けたいのだ。
 ケンウッドは席に戻って、愛弟子を見た。

「君は地球人の為の病院建設と言うのは考えていないのだね?」

 ブラコフはちょっと苦笑いした。

「それは資金が必要です。僕は富豪の子供ではないし、これから稼がないとね。寄付を募る才能も必要ですよ。第一、地球のどの政府もコロニー人が地上でしゃしゃり出ることを望んでいません。」

 悲しいかな、それは事実だった。コロニー人が地球を侵略しようとしていると考える人間も多いのだ。だからコロニー人が地上を旅する時は用心しなければならない。ヴェルティエンの様にバックパッカーになって旅行するのも必ず最初に行動範囲を該当地方の治安当局に届けなければならないのだ。そうしなければ住民とトラブルが起きても守ってもらえない。

「アメリカはまだマシですよ。ポール・レイン・ドーマーの兄さんが大統領選で勝ったでしょう?」

 元ドーマーを父親に、現役ドーマーを弟に持つ、初めての大統領が昨年誕生したのだ。ハロルド・フラネリー、緑色に輝く黒い葉緑体毛髪を持ち、接触テレパスの能力を母親から受け継いだ美形の政治家だ。ケンウッドは彼が就任した時、慣例によって大統領官邸に招待され、ドームの秘密を告げる「儀式」を行った。ハロルドは両親からテレパシーの形で全てを学んでいたので、その必要はなかったのだが、政治の方向性をケンウッドに語って、ドーム最高責任者に「敵ではない」とアピールした。彼はドームに可能な限り援助を約束し、実際に外で働くドーマー達の安全を保障してくれている。コロニー人に対して悪感情を抱く政財界の有力者を感化しようと努力しているのだ。

「ところで、三番目の件ですが・・・」

とブラコフが少し顔を曇らせた。