2018年3月17日土曜日

泥酔者 2 - 7

 会いたい人は向こうからやって来た。
 翌朝、ポール・レイン・ドーマーはいつもの様に早朝からジョギングに出かけた。子供の頃からの習慣で、こればっかりは仲良しのダリル・セイヤーズ・ドーマーやクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが真似出来ない真面目な彼の生活の一つだ。夜が明けきらないうちに着替えて運動施設のグラウンドに行き、走り出すと、半周しないうちに後ろから来た人物に追いつかれた。レインは足が速いので、これは意外だったが、声をかけて来たのはハイネ局長だった。

「お早う、レイン! 今日の調子はどうだ?」

 ハイネ局長は機嫌が良さそうで、うっかりすると置き去りにされそうな勢いだ。ハイネは足が速い。その速さは、春分祭の時にインタビューするジャーナリスト達から逃げ去る画像で宇宙に知れ渡っていた。身長があるので脚も長い。歩幅が大きいのだ。レインは彼の速度を緩めるために返答をした。

「お早うございます。すこぶる快調です。局長、今日はお忙しいですか?」
「いつもと変わらん。」

 ハイネは聡い。レインの質問で部下が何か話したいことを抱えていると察した。走る速度を落としてレインに合わせてやった。重力のせいで走るのが遅いコロニー人に合わせて走るより遥かに楽だ。レインも局長が話を聞いてくれるつもりなのだと悟ると、すぐに話題を出した。

「メーカーの間で奇妙な噂が流れていると耳にしましたので、局長も興味を持たれるのではないかと思っています。ガセの恐れもあるのですが、例の優れたクローンを製造している謎のメーカーと関係があるかと思いまして。」

 果たしてハイネはそのネタに食いついてくれた。

「なんだか面白そうだな。君等の朝食会でそれを聞かせてもらっても良いか?」

 遺伝子管理局の局員達は毎朝同じ班の仲間と一緒に朝食を摂るのが慣例だ。外勤務に出ていないチームが集まって食事をしながら点呼を取り、その日の業務予定を確認し合う。出席は義務ではないのだが、互いの業務内容を把握しておく方が、外で仕事をする時の安全確保に有利なのだ。レインは班チーフになったので、必ず出席する。部下達の行動予定を把握しておく必要があった。彼には秘書がいないので、これは必至の課題だ。
 ハイネは常に朝食は1人だ。たまに誰かと一緒の時もあるが、基本的に単独で食事をしている。部下達に気を遣わせたくないのだ。若い部下の中には局長と滅多に出会わないので同席すると緊張して固くなる者もいる。しかしレインは二度手間を好まない人間だったので、局長の申し出を歓迎した。

「朝食会に出て頂けるとは、感激です。」

 ただ朝飯を一緒に食べるだけなのに、とハイネは思ったが、黙って頷いただけだった。
 レインは感激ついでに、好奇心を満足させたくなった。どうか機嫌を損ねないでくれ、と願いながら、質問してみた。

「下世話な話題で申し訳ありませんが、局長が新入りの執政官にご立腹だとか?」

 するとハイネは機嫌を損なうどころか、走りながらハッハッと笑った。

「もう噂が広まっているのか。」
「本当なのですか?」
「腹が立ったのは本当だ。昼寝の邪魔をされたからな。」
「お昼寝の邪魔?」
 
 ハイネが毎日昼食の後で庭園で昼寝をするのは、周知の事実だ。だから、彼が芝生やベンチで寝ているのを見つけたら、みんなそっと回避する。誰だって昼寝を邪魔されたくないのだ。局長が特別な訳ではない。だが、邪魔しようと思う者はいない。
 ハイネが簡単に説明した。

「楽しい夢の最中に、あの男の鼾で起こされたのだ。目を開いて目の前に見知らぬ男が寝ていたら、誰でも驚くだろう? しかも寝返りを打つと手が触れる距離だ。」
「そ・・・それは・・・酷い・・・」

 レインは絶句した。そんな近距離で寝転ぶなんて、常識では考えられない。恋人や部屋兄弟にしか許されない暴挙だ。局長でなくても驚くし、腹が立つ。

「しかし、昼寝の件は私個人の問題だ。私が気に食わなかったのは、あの男がドームに来る予定を無断で早めて、勝手に歩き回ったことだ。ゲート係の案内を無視したのだからな。」

 昨夜もゲストハウス係を無視したことを局長に教えない方が良いかも知れない。レインは納得しました、と頷いて、2人はシャワーを浴びる為にロッカールームに向かって走った。