2018年3月3日土曜日

脱落者 14 - 2

 キャリー・ジンバリスト・ワグナー・ドーマーはちょっと髪に手をやって乱れていないか感触で確かめた。今朝、アパートを出る時に夫のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーとハグしてキスをして互いの顔を撫であった。いつもの習慣だ。養育係にしてもらった様に、同じ部屋で育った夫妻はずっとこの習慣を続けていたが、時々クラウスがふざけて彼女の髪をグシャグシャにする。
 観察棟の保安課員達は女性医師が来ることを楽しみにしていた。キャリーは美人だし優しい。素敵なお姉様だ。クラウスが羨ましい。おはようございます、と挨拶してから、1人の保安課員が尋ねた。

「先生は、どうしてワグナー姓を名乗らないのです?」
「名乗っているわよ?」
「でも余り使わないでしょう?」
「長くなるから省略しているの。ジンバリストと言った方が、私だって思い出してもらえるもの。」
「でも、キャリー・ワグナーの方が短いですよ?」

 キャリーは相手の顔を数秒間見つめた。そしてニッコリした。

「そう言われればそうよね・・・」

 ジンバリストを省略しても、先輩キャリー・ドーマーと混同されることはないだろう、ワグナーを付けるのだから。キャリーは保安課員の肩をバンバンと叩いて、颯爽と棟内を歩いて行った。それを見送る保安課員達は、キャリー先生ってなんてかっこいいんだろう、と頷きあった。
 キャリーはセシリア・ドーマーの部屋の前に来ると、先ずはドア横の小さなモニター画面で室内の様子を確かめた。拘束を解かれたセシリアは早い朝食を済ませて、寝巻きのままだが髪や顔の手入れを済ませていた。女性らしく面会者に見苦しい姿を見られたくないのだ。食事を運んで来るロボットには申し訳ないけれど、朝食の搬入時だけは寝起きの顔だ。しかし下げに来る時は保安課員が様子を見に来るので、きちんとしておきたい。
 セシリアがベッドに腰掛けてテレビを見ていたので、キャリーはドアをノックした。セシリアはテレビの音量を下げて、ドアを見た。キャリーが入室した。

「おはようございます、セシリア・ドーマー。」
「おはようございます、ジンバリスト先生。」

 キャリーが照れ臭そうに言った。

「今日からワグナー姓を使うことにするわ。」
「ああ・・・貴女は既婚者だったわね・・・でもどうして?」
「ジンバリストよりワグナーの方が短いから。それだけ。」

 キャリーはテーブルの椅子を出して座った。室内に椅子はそれだけだった。
 彼女は手にしていた書類挟みから一枚の写真を出した。

「昨晩、月に出張中のケンウッド長官が送って下さったものよ。貴女に見て欲しいのですって。」

 手渡された写真を見て、一瞬セシリアは不思議そうな顔をした。見たこともない風景だった。広い緑色の平地の上に、人間が20人ばかり集合してカメラに向かって微笑んでいる。大人がいれば子供もいる。男も女もいる。空は青いが、ドームの天井の様な色ではない。

「これは?」
「コロニーの野菜農場ですって。本当はドーマーにそんな写真を見せてはいけないのだけど、貴女にどうしても見て欲しいって、長官が・・・」

 その時、写っている人物の1人をセシリアは判別した。

「リック?!」