2017年8月6日日曜日

侵略者 9 - 10

 サンテシマ・ルイス・リン長官は、確かにローガン・ハイネ・ドーマーに危害を与えるつもりはなかっただろう。だがちょっかいは出し続けた。まるでハイネの気を惹こうと悪戯する幼子の様に。

 この男は精神状態が幼いままなのではないか?

 ケンウッドは蒼白な顔で椅子に戻った長官を見つめた。呼吸器系の遺伝病研究で大きな成果を上げて社会的に成功した男だが、誰かに愛情を表現するのが下手なのだ。
 ハレンバーグ委員長が溜息をつき、次の質問を開始した。

「西ユーラシア・ドームはセイヤーズの遺伝子情報を得たはずだが、向こうも彼をそのまま局員として使用したのは、どんな訳があったのだろうか?」

 ハイネが答えた。

「私は動けるようになってから、マリノフスキーに書状を送り、セイヤーズが自身の能力に気が付いていないことを知らせておきました。マリノフスキーはセイヤーズの素直な性格を鑑み、普通に扱ってやるつもりだと返事をしてきました。セイヤーズは彼の期待に背かず、真面目に勤務に励みました。それで、マリノフスキーは、ご褒美に彼に『直便』の役割で里帰りの機会を与えたのです。残念ながら、それが徒となってしまいましたが。」
「セイヤーズは逃げる目的でここへ帰国したのか?」
「それはないです!」

とパーシバルが声を上げ、周囲の注目を集めた。幹部達は彼を咎めず、発言を許す合図に頷いて見せた。パーシバルが語った。

「セイヤーズは到着した時、緊張していましたが、それはリン長官や彼の仲間と出会すことを恐れていたからです。彼は生細胞を届けると直ぐに西ユーラシアに帰るつもりでした。ですが、我々は彼を昔の仲間と会わせてやりたかった。宿泊の準備をして、彼をポール・レイン・ドーマーに会わせました。レインは彼をアパートに連れて行き、そこで何かがあったのです。」

 パーシバルは心の苦痛で顔を歪ませた。

「ファンクラブを主催する私が言うのも何ですが、ポール・レイン・ドーマーは愛情表現が下手な男です。自身の言いたいことをはっきり言えないのです。ですから、周囲に誤解を与えることがよくあります。相手を拒否したつもりで逆に誘っていると思われたりするのです。」

 彼は長官を見たが、長官は彼を見ようとしなかった。

「レインは恐らく愛情を示したつもりで、セイヤーズを撥ね除けてしまったのではないでしょうか。セイヤーズは絶望したに違い有りません。ただ、彼の選択に『死』はなかったと信じます。彼は知らない人ばかりの場所を求めて旅立ったのです。」

 ハレンバーグ委員長は、シュウ副委員長とハナオカ書記長を見た。2人の幹部が目で彼に訴えた。もうこれ以上は話し合うこともないだろう、と。
 委員長は議場内を見廻した。

「ダリル・セイヤーズ・ドーマーが脱走した経緯はわかった。原因はこのドームの職員の勤務態度にあるようだ。これから幹部で審議に入る。午後1時から会議を再開する。それまでは、各自普段通りの業務に励んで欲しい。」

 するとキーラ・セドウィック博士が立ち上がって言った。

「出産管理区は会議に時間を割ける余裕があまりありません。審議の結果はみなさんに委任致します。午後も通常業務に戻ってよろしいでしょうか?」

 女帝の固い表情にハレンバーグ委員長が頷いた。

「出産は待ってくれない。貴女方の貴重な時間を取ってしまい申し訳なかった。どうか業務に戻って下さい。」

 出産管理区の女性達が立ち上がり、黙礼すると足早に議場から退出して行った。
 残った執政官達も立ち上がった。みんな疲れていた。早朝6時からの会議だ。朝食がまだだったし、寝不足の者もいた。
 ケンウッドとパーシバルも立ち上がり、出口に向かって歩き始めると、ハイネも席を立って彼等のそばに来た。

「これから朝食ですか?」
「うん・・・ブランチになるがね。午後の再開までちょっと寝たい。」
「お2人共、酷いお顔ですよ。」

 ケンウッドは頬を手で撫でた。無精髭が伸びている。それはパーシバルも同じだった。ファンクラブのメンバーは全員とても研究者とは思えないボロボロの姿だ。
 ハイネが彼等を見廻して提案した。

「朝食にご一緒してよろしいですか? 外の食堂は久し振りなので勝手がわからなくて。」
「おい、ハイネ・・・」

 ケンウッドは思わず愚痴った。

「君はいつからそんな爺さんみたいなことを言うようになったんだ?」
「私は最初から爺さんですが?」
「それじゃ、僕等は爺さんの引き立て役だな。」

 パーシバルの言葉にファンクラブの面々が笑った。