2017年8月21日月曜日

後継者 1 - 4

「こんにちは、ケンウッド先生、ローガン・ハイネ!」

 少年が挨拶すると、近くに居た教官が怒鳴った。

「クロエル! 局長を呼び捨てにするとは、失礼だぞ!」
「かまわないさ。」

 ハイネ局長は教官に手を振って制した。クロエルは舌を出して見せた。ケンウッドは笑うしかなかった。この父親が不明の為に父親の名前をもらえなかったクロエル・ドーマーは、何時も何かしでかして養育係や教官から叱られるのだが、当人はすぐケロリとして反省の色が見られない。だが、決して馬鹿ではなかった。彼が忘れるのは「彼自身の嫌な思い」であって、叱られた事実ではない。だから同じ失敗はしないし、記憶力は人並み以上だ。コンピュータの画面いっぱいに書かれた文章を一瞬で読み取り理解する能力を持っている。

「僕ちゃんとハイネ局長は永遠のライバルなんすよね?」

 ハイネとは真逆の早口で彼は喋った。スペイン語訛りがあるので、慣れないと聞き取りにくいかも知れない。

「何のライバルだね?」

とケンウッドは尋ねた。授業中ふざけられると腹が立つが、クロエルは面白い発想をする子だ。教官としては嫌いになれない生徒だ。クロエルは自身の縮れた髪を手で撫でた。

「ありとあらゆることですよ、先生。」

 彼はハイネを見てウィンクした。するとハイネが突然提案した。

「クロエル・ドーマー、私と一本お手合わせを願いたい。」

 ケンウッドは思わずハイネの顔を振り返った。若さを保っていると言っても、ハイネは82歳だ。しかも退院してまだ1ヶ月。さらに言えば、昨晩大量に酒を飲んでいた。対してクロエルは19歳、ピチピチの活きの良い若者で、身長はハイネと同じだが肩幅はずっと広い。ハイネが華奢に見えてしまうほど体格が良かった。
 教官も驚いて、局長に思いとどまってもらおうとした。

「局長、この子は教えた通りに動きません。無茶な・・・」
「実戦では教科書通りに闘わないだろう?」

 実戦経験が全くないハイネが教官を遮った。彼は更衣室に向かって歩き出していた。

「クロエル、おまえが勝ったら3年前の貸しをチャラにしてやる。」
「そうですか? んじゃ、僕ちゃんも本気出しちゃいまーす!」

 クロエル・ドーマーが準備運動を始めた。教官がケンウッドに言った。

「局長を止めてくれませんか? 何かあれば私がワッツ・ドーマーや長老達に叱られる。当然、執政官からも厳罰を受けます。」

 ケンウッドはハイネの気まぐれに戸惑っていた。まさか少年と勝負するのが目的で養育棟に来たのではあるまい。何故こんな展開になるのだ?
 ケンウッドは準備運動をしているクロエルに声を掛けた。

「クロエル・ドーマー、3年前の貸しとは何だね?」

 クロエルが動きを止めて答えた。

「僕ちゃん、食堂で最後に残っていたチーズケーキを取ったんす。初めて養育棟から出してもらった日で、ルールがわかんなくて・・・。そのケーキは司厨長が局長の為に残してたんすよ。そんで、ローガン・ハイネが怒っちゃって・・・。」

 ケンウッドは思わず大笑いしてしまった。