2017年8月19日土曜日

後継者 1 - 1

 ニコラス・ケンウッドは大会議場を出ると一直線に最寄りのトイレに駆け込んだ。ドアの中に跳び込むと、驚いたことに洗面台の前にハイネ局長が立っていて手を洗っているところだった。ハイネはいきなり跳び込んで来たケンウッドにちょっと驚いた様子だったが、すぐ自身の背後の個室のドアを振り返った。閉じられたドアの向こうで「おえっ!」とヤマザキ医師の声が響いた。
 ケンウッドも空いている個室に跳び込んだ。ドアを閉じるのももどかしく、すぐに便器の上に体をかがめた。
 なんとか胃の中の物を出して楽になったので個室から出ると、壁にもたれてハイネがクックと笑っていた。

「『スリーピーボーイズバーボン』ですな?」
「そうかい?」
「あれを飲んだのは貴方とドクターの2人だけです。」
「口当たりの良い、飲みやすい酒だった・・・」
「あの酒は飲んでから数時間後に胃にくるのです。私はあれを初めてもらった時に酷い目にあったので、昨夜はパスしました。」
「一言言ってくれれば良かったのに・・・」
「コロニー人は大丈夫だと思ったんですよ。」
「2人で1本空けてしまった・・・」
「平気そうに見えましたがね。」
「飲んだ時は平気だった。会議中におかしくなったんだ。」
「ドクターはもっと早くに影響が出ていました。」

 すると、個室から声がした。

「アジア系は肝臓がそんなに強くないんだよ!」

 数分後、ヤマザキがまだ白い顔で個室から出て来た。洗面台で顔を洗い、口をゆすいで、やっと落ち着いた様子だった。

「局長は養育棟に行くんじゃなかったのかい?」
「これから行きますよ。貴方方が跳び込んで来たので、心配で様子を見ていただけです。」

 それでケンウッドはリプリー長官から休む許可をもらったことを思い出した。

「長官が気を利かせてくれて会議を休めるんだ。私も養育棟を見学に行っても良いかな?」
「どうぞ。」

 ヤマザキは哀しそうな顔をした。

「僕はコートニー医療区長が会議を欠席しているので、議場に戻る。」
「無理するなよ。」

 ケンウッドの思いやりの言葉にヤマザキは感謝の意を込めて微笑んだ。そしてハイネを見た。

「ところで、局長、貴方に酒を与えたのは誰です? ドーム内でドーマーに酒を販売出来るのはバーだけで、しかも店から持ち出し禁止のはずだが?」

 しかし、簡単に口を割るハイネではなかった。

「世の中、いろいろと親切にしてくれる人が大勢いましてね、その人々の善意を踏みにじる様な行いは、私にはとても出来ません。」
「ローガン・ハイネ・・・」
「あの部屋の中の酒の種類の数ほどの人数の名前をここで挙げろと仰っても無理です。」

 老獪な局長はニヤリと笑った。

「貴方は少なくとも5人の方の善意を飲まれましたし・・・」