2017年8月26日土曜日

後継者 2 - 5

「長官は局長を怒らせましたね。」

と配膳コーナーで料理を取りながらロッシーニ・ドーマーがケンウッドに囁いた。

「発信器のことか?」
「いいえ。長官は大声を出したでしょう?」

 長官秘書は局長の部下でもある。そして局長との付き合いの方が長官の下で働いた時間より長いので、ハイネの性格を知っていた。

「局長は大きな声で叱られた経験がないので、いきなり大声を出されると怯えるのです。」

 ケンウッドは、リプリーがハイネの言葉を遮った時の、ハイネが一瞬ビクッとした様子を思い出した。ローガン・ハイネは幼少期から大事に育てられてきた。執政官達は彼を叱る時も穏やかに理を語って聞かせたのだろう。叱ると言うより注意を与える形で。それは普段ハイネが部下に接する時の様子からわかる。彼は失敗した部下を怒鳴りつけたりしない。穏やかに「馬鹿者」と言い放ち、何故叱られるのか説明してやるのだ。

「だから、終盤は局長が冗談と思えない言葉で長官を脅かしたのです。」
「ああ・・・それで意地悪された長官がショックを受けたんだな。」

 ハイネ局長のランチの誘いをリプリー長官は断った。携行食を持っているし、お昼はいつもそれで済ませるからと。事実そうなのだが、局長がそれにも不満そうな顔をしたので、ロッシーニ・ドーマーが長官を諭した。

「長官、いつもそんな物ばかり召し上がっていると体力が落ちます。重力に耐えられなくなりますよ。」

 人付き合いの苦手な長官は「しかし」と反論した。

「私はいつも昼はこれだし、すぐに業務に取りかかれる。朝夕はしっかり食べているつもりだから、心配要らない。」

 ケンウッドはつまらない諍いが起きないように、ハイネを早々に長官執務室から連れ出した。長官は秘書にも昼休みを与えたので、ロッシーニ・ドーマーはすぐに2人を追いかけて来たのだ。
 料理を揃えて支払いを済ませたケンウッドとロッシーニは、先にテーブルを確保して食べ始めているハイネの所へ行った。ロッシーニが上司のトレイを見て、またデザートが先ですか?と呆れた。ハイネはアップルパイを2切れだけ取っていた。

「今日の昼はこれだけで済ませる。だからデザートではない。」

 ロッシーニはケンウッドを振り返った。

「私の上司は2人共子供みたいでしょう?」

 ケンウッドは笑った。

「どっちも拗ねているんだな。」

 ハイネはフンっと言ったきり、後は黙って食べた。
 内務捜査班のチーフでもあるロッシーニ・ドーマーが、ところで、と話をふってきた。

「昨夜もみなさんで飲まれたんですか?」

 ケンウッドはハイネを見た。ハイネはパイを見つめており、彼も部下も見ない。ケンウッドはロッシーニはどの程度知っているのだろうと考えた。執政官がドーマーに酒を与えるのは規則違反だ。少なくとも、金曜日の夜、バーで飲ませる以外は禁止だ。
 しかし、平日の夜、ドーマーが執政官に自室で飲ませるのは、どうなるのだ?

「副長官?」
「飲んだのは、執政官だけだよ・・・」

 ケンウッドはハイネをもう1度見た。ハイネはパイを小さく刻むのに忙しそうだ。

「場所は局長の部屋だったが、局長は直ぐ眠ってしまったし、私達も少し飲んだだけで後片付けをして帰った。だから、今朝はヤマザキも私も元気だったろ?」

 ロッシーニ・ドーマーが溜息をついた。

「それで・・・酒は何方が調達されたのです?」
「ジャン=カルロス・・・」

 遂にハイネが口を開いた。

「君は内務捜査班か?」
「局長・・・」

 ケンウッドは長官秘書がうろたえるのを見た。ローガン・ハイネが本当に腹を立てると意地悪になるのだと悟った。

「酒は執政官が宇宙の業者や庶務班から購入したものだよ。」

 ケンウッドは当たり障りのない事実を述べた。

「違法に手に入れたものではないし、密造酒でもない。」
「そうですか・・・」

 ロッシーニ・ドーマーは気を削がれたらしく、それ以上突っ込まなかった。
 いつもの様にゆっくり食事するハイネはアップルパイ2切れに時間を費やし、部下の方が先に料理を平らげてしまった。ケンウッドもまだ食べていたので、ロッシーニ・ドーマーは「図書館で休憩してきます」と言って、トレイを返却コーナーへ運んで去って行った。
 2人になると、ケンウッドは近くに人がいないことを確認してからハイネに話しかけた。

「もし君が飲酒していると知ったら、彼はどうするつもりだったのだろう?」
「さてね・・・」

 ハイネは他人事みたいに答えた。

「内務捜査班に酒の出所を調査させて、ドーマーに酒を与えた執政官に警告を出すでしょうな。」
「どんな警告?」
「同じことをまたやったらドーム退去を要求すると言う・・・」

 ケンウッドはハイネをじっと見つめた。どうやらハイネは彼に対しても意地悪をしたい様だ。

「昨夜のことを怒っているのか?」
「何のことです?」

 ここでうっかり答えてはいけない、とケンウッドの頭の奥で警報が鳴った。ハイネは睡眠薬を盛られたことに気が付いている。犯人を知りたいのだ。ケンウッドは慎重に答えた。

「君を残して我々だけで飲んだことだよ。」
「酒は減っていませんでしたが?」
「ホストの君がいないので遠慮したんだ。君が眠った後も話し込んでいた。」
「今朝は貴方方は一般食堂に来られなかった。」
「ヤマザキは仕事で朝から忙しかった。ヘンリーと私はここ(中央研究所の食堂)でキーラ・セドウィックと朝ご飯を食べた。それだけだ。他に理由はない。」

 そしてケンウッドはハイネの突っ込みを躱す台詞を思いついた。

「そうだ、キーラ博士が、次の飲み会には彼女も誘ってくれと言っていたぞ。」

 秘密の娘の名前が出たので、ハイネは退いた。

「駄目です。私の部屋は女性禁制です。」

 彼は最後のパイの1切れを口に入れ、よく嚼んで呑み込むと、ケンウッドに警告を与えた。

「あの出産管理区の女帝には私の部屋の話をしないで下さい。あの部屋に入れるのは私の友人だけです。もし余計なことを彼女に教えたら、2度と招待しませんよ。」
「わかった。」

 ケンウッドはこれ以上老ドーマーを悩ませたくなかった。ハイネにとって娘は1人の女でしかないのかも知れない。彼のアパートの部屋は、彼が弟ダニエル・オライオンと過ごした大事な思い出が詰まっている場所だ。ケンウッド達はその大切な場所に入る許可を与えられた特別な友人なのだ。その特別な友人のカテゴリーに娘は入らないのだ。
 今日のハイネは機嫌が悪い。睡眠薬、発信器、大声、追求、兎に角気に入らないことだらけなのだ。こんな時、パーシバルなら持ち前の軽薄さとチーズで宥めるのだろう。しかしケンウッドは重厚で小道具を用いるのを良しとしなかった。

「男は秘密基地を持ちたがる動物だ。我々も君の部屋を気に入っている。絶対に女は入れないと誓うよ。」

 ハイネは低脂肪ミルクを飲み干して、ケンウッドを見て少し笑った。

「今日の私は扱いにくいと思っておられるでしょう。」
「うん。君は意地悪になっている。長官にもロッシーニにも私にも。」
「少し頭痛がするのです。多分、昨夜の酒に何か入れられた・・・」

 ハイネの目が「犯人はおまえじゃないよな?」と問うていた。ケンウッドは頑張った。

「君は疲れているんだよ。まだ体調が完全に3年前と同じに戻っていないのだろう。昨夜は君が早い時間に眠ったので、却ってヤマザキが安心していた。彼は君に酒を沢山飲ませたくないんだ。」
「ああ・・・」

とハイネが微笑した。今度は目が笑っていた。

「犯人はドクターでしたか。」