2017年8月30日水曜日

後継者 2 - 8

「脱走した若造のことですかな?」

と老いたマーカス・ドーマーがパーシバルの目を覗き込んで尋ねた。パーシバルが肯定すると、何を知りたいのかと問いた気に執政官を見返した。パーシバルは先ず自身がポール・レイン・ドーマーの熱烈なファンであることを明かした。そしてレインのファンクラブを主催しており、レインの恋人のダリル・セイヤーズ・ドーマーとも親しかったと説明した。

「セイヤーズが逃亡する直前に会った執政官は、多分僕だけだと思う。彼は当時のリン長官に憎まれていたから、コロニー人に会いたがらなかった。僕は彼が到着してすぐに出会い、遺伝子管理局本部まで一緒に行った。僕は彼をリンの一味から守ったつもりだ。彼が『直便』の役目を終えると、僕は彼をレインに引き合わせ、そこで彼等と別れた。
 僕はセイヤーズの様子に注意を払っていたつもりだったが、彼が脱走を決意するほど思い詰めていたことに気が付かなかった。もっとあの子の気持ちを理解してやれば良かったと後悔している。」

 パーシバルが一気に喋り終えると、マーカスはケンウッドに視線を移した。ケンウッドは正直に自身の考えを述べた。

「私はセイヤーズの脱走に関してパーシバル博士には何の落ち度もないと思っています。ハイネ局長もセイヤーズの行動はその場の思いつきだろうと推測しています。レインと会ってから、セイヤーズの心境に何か変化があったはずです。」
「セイヤーズ逃亡の責任の話をしているんじゃないんだ、申し訳ない、論点がずれた。」

 パーシバルが謝った。

「セイヤーズは進化型1級遺伝子危険値S1だよね? 将来、彼が発見されてドームに連れ戻されたら、一体どんな処分が下されるのだろう? 危険値S1と言うのは、悪用されれば人類社会に多大な損失と脅威を与える才能の持ち主、と言うことだったと思うが。」

 マーカスは考え込んだのか、深い皺の奥の目を閉じた。ケンウッドはコロニーでは進化型1級遺伝子保有者はどう扱われていただろうか、と考えた。進化型遺伝子は人工的に開発された遺伝情報であり、複雑な組み替えで生み出されたものだ。その歴史は人類が地球から宇宙へ出ていき始めた250年以上前に遡る。存在はよく知られているが、実際にその遺伝子による能力を発揮する人間を見たことも聞いたこともない・・・。

 辺境開拓の為に開発された遺伝子なのに、何故地球にこんなに多くの種類が存在するのだ?

「処分はないでしょうな。」

とマーカス・ドーマーが不意に呟いた。

「処分はない?」
「特殊遺伝子を持って生まれたことは、セイヤーズの罪ではありませんからな。」
「しかし・・・」
「罪状は、脱走罪だけです。ドーマーはドームから無断で出て行ってはならない。脱走者は逮捕されたら、謹慎処分を食らって観察棟に入れられる。それだけです。」
「それだけって・・・謹慎期間は?」
「それは逮捕時の遺伝子管理局長の腹積もり次第です。数ヶ月で終わるかも知れないし、一生かも知れない。」

 パーシバルはケンウッドを見た。ケンウッドも予想外の返答だったので、驚いていた。

「つまり・・・ハイネ次第?」
「ローガン・ハイネの任期中にセイヤーズが捕まれば、そうなります。しかし、あの若造は西ユーラシアの所有だったのでは? そうなればマリノフスキー局長次第となるでしょう。」
「長官の意見は?」
「長官とは、西ユーラシアの長官ですな。彼はセイヤーズの遺伝子をどう研究に使うかを決めるだけです。処罰を決定する権利は地球人側にあります。」

 ケンウッドはパーシバルが落胆するのを感じた。パーシバルはセイヤーズの処分が少しでも軽減されるよう、リプリー長官に掛け合うつもりでいたのだ。しかし、セイヤーズが西ユーラシア・ドームに籍を移していたことをすっかり失念していた。これではハイネにゴマすりしても無駄だ。

「せめて一生観察棟幽閉と言うのは避けてやりたいな・・・」

とケンウッドは呟いた。

「ヘンリーと私がここに後何年勤務出来るかわかりませんが、セイヤーズが戻って来た時に、ドームの中だけでも自由に生活させてやれたら、と思います。アメリカでも西ユーラシアでも、彼を狭い部屋に閉じ込めて一生を終わらせるようなことは、させたくありません。」