副長官に就任すると仕事が増えた。兎に角書類仕事が多い。下にいる執政官達からの予算の申請やら実験報告やら実験計画書やら検体採取計画書やら、自身の研究に裂く時間がなくなるほどすることが多かった。
元副長官リプリーはもっと仕事が多くて要領を得る迄の2,3ヶ月は長官執務室から出る暇がないほどだった。たまに食堂で顔を合わせると、長官と副長官は互いの仕事の愚痴を言い合って憂さ晴らしをした。そのうちにケンウッドはあることに気が付いた。
長官就任当初、リプリーは何かを始める場合、先ず副長官のケンウッドの意見を求め、話合い、結論を出してから遺伝子管理局長を長官執務室に呼んで承認させていた。しかし、いつの頃からか、順序が変わった。リプリー長官は先ずハイネ局長を長官執務室に呼んで意見を求め、話し合って結論を出してから副長官を呼び、決定事項を告げるようになったのだ。
ケンウッドにとっては、これは良い方向だと思えた。コロニー人同士で話を決めてしまい、地球人に承認させるのではなく、コロニー人と地球人が話し合って結論を出すのだ。
恐らくリプリーは最初からそうしたかったのだろう。だが彼はハイネに慣れていなかった。ハイネ局長は意見を求められても直ぐには答えない、と言う癖を持っていることを理解するのに時間がかかったのだ。だからリプリーは局長に嫌われているのではないかと心配だった。そえ故に仲介役としての副長官を先に呼んだのだ。しかし何度か面会するうちに彼もこの老ドーマーの扱い方を学習した。ハイネは自身の考えを他人に押しつけるのではなく、他人にもっと考えさせようとする。相手が熟慮の結果出した答えを、彼は支持するかしないか、なのだ。支持しない場合、執政官に逆らうなと教育されたドーマーは、「どうぞご勝手に」と言う態度を取る。長官はその態度から彼が反対していることを察しなければならない。
リプリーはドーム内の綱紀粛正に取りかかっている。ドームの本来の目的から外れた研究をしている者や、地球人を下等動物扱いする者を探し出し、処罰することに力を入れていた。前任者サンテシマ・ルイス・リンのシンパだった執政官の処分はあらかた済んだ。降格、左遷、解雇、いろいろと処分が下され、執政官の入れ替えが必要となった。ケンウッドは大幅な人事異動で影響が出るコロニー人達の勤務シフトの練り直しを余儀なくされた。
コロニー人の人事はハイネ局長には関係のないものだった。ハイネはリン一派に懐柔されたドーマー達の処分に神経を尖らせていた。ドーマー達は被害者であったが、その一方で与えられた優遇処置に浸りきって堕落しかけた者もおり、ドーマー仲間から顰蹙を買い、妬まれ、嫉まれたので、彼等には相応の対処が必要だった。リプリーはドーマーの処分をハイネにさせなかった。そんなことをすれば、ハイネが同胞から恨みを買うことになると、かつて事なかれ主義でコロニー人達から無視されていたこの長官は気を遣ったのだ。遺伝子管理局長が地球人仲間から孤立してはドーム行政そのものが遣り辛くなる。だから、リプリーは敢えて自身が悪役に徹した。思い切った処分にハイネが不機嫌になるほど、彼はドーマー達にもコロニー人と同じ様に公平に臨んだ。
「リプリーは腹が立つ人ですが、遣り手であることは確かです。」
半年たったある晩、各メンバーの手が空いたので久し振りにハイネのアパートに4人が集まった。ハイネがまともな素性の地球産のウィスキーをグラスに注いで客達に配りながら、そう評価した。
「私なら頭でわかっていても、実際には勇気が出なくてやれないことを、彼はしっかりやってくれます。」
「君がそんな風に彼を褒めるなんて、驚いたな。」
とパーシバルが、ウィスキーのグラスを手に取って琥珀色の液体を照明にかざしながら言った。
「今回の3人のドーマーの処分は、行き過ぎだと批判するコロニー人もいるのに。」
「彼等は前長官から贔屓にされているのを良いことに、抗原注射の許可を勝手に取って、ドームの外へ遊びに出かけていたのです。それだけならまだしも、自分達で仕入れた嗜好品の密売までしていました。研究所助手から他の部署へ廻されても文句は言えないはずです。」
「だが、君はその処分に文句を言いたそうじゃないか?」
「私が文句を言いたいのは、下水処理の仕事が処罰になると思われていることです。業務に上下はないのに・・・」
下水処理は実際はロボットの仕事で、人間は汚水槽の点検やロボットの作業の監視や機械のメンテナンスを行うのだ。コロニー人はドーマー達が汚れる仕事をするのを嫌がる。ドーマーは清潔でいなければならないのだ。だから左遷されたドーマー達は監視室でロボットの作業を見守るだけなのだが、研究助手をしていた人間には「落ちた」と思われるのだ。
ハイネはどんな仕事も「罰」ではない、と言いたいのだ。リプリー長官が3人のドーマーに罰を与えたのは評価するが、左遷先を「罰」と見なす考え方は気に入らないと言っている。
「左遷された当人達が屈辱だと思っているなら、どんな仕事でも『罰』になるのだよ。」
とケンウッドがハイネをやんわりと諭した。ハイネはまだ部下を処罰することに慣れていない様だ。
考えてみると、少し不思議だった。ハイネは生まれる前から遺伝子管理局長になると決められていたのに、実際にその任に付いたのは70歳を過ぎてからだ。15代目のランディ・マーカス・ドーマーは局長を30年務めたと言っていた。彼が引退したのは80歳頃だったから、局長に就任したのは50代か? ハイネは随分遅い就任になるのだ。マーカスも「ハイネをかなり待たせてしまった」と言っていた。ハイネが若さを保つ遺伝子を持っているからと言って、そんなに待たせてしまうものなのか?
ケンウッドは思い切って彼に直接尋ねてみた。
「ハイネ、君は70代になってから局長に就任しているが、何故そんなに遅くなったんだ? 君は局長になる為に育てられたのだろう?」
元副長官リプリーはもっと仕事が多くて要領を得る迄の2,3ヶ月は長官執務室から出る暇がないほどだった。たまに食堂で顔を合わせると、長官と副長官は互いの仕事の愚痴を言い合って憂さ晴らしをした。そのうちにケンウッドはあることに気が付いた。
長官就任当初、リプリーは何かを始める場合、先ず副長官のケンウッドの意見を求め、話合い、結論を出してから遺伝子管理局長を長官執務室に呼んで承認させていた。しかし、いつの頃からか、順序が変わった。リプリー長官は先ずハイネ局長を長官執務室に呼んで意見を求め、話し合って結論を出してから副長官を呼び、決定事項を告げるようになったのだ。
ケンウッドにとっては、これは良い方向だと思えた。コロニー人同士で話を決めてしまい、地球人に承認させるのではなく、コロニー人と地球人が話し合って結論を出すのだ。
恐らくリプリーは最初からそうしたかったのだろう。だが彼はハイネに慣れていなかった。ハイネ局長は意見を求められても直ぐには答えない、と言う癖を持っていることを理解するのに時間がかかったのだ。だからリプリーは局長に嫌われているのではないかと心配だった。そえ故に仲介役としての副長官を先に呼んだのだ。しかし何度か面会するうちに彼もこの老ドーマーの扱い方を学習した。ハイネは自身の考えを他人に押しつけるのではなく、他人にもっと考えさせようとする。相手が熟慮の結果出した答えを、彼は支持するかしないか、なのだ。支持しない場合、執政官に逆らうなと教育されたドーマーは、「どうぞご勝手に」と言う態度を取る。長官はその態度から彼が反対していることを察しなければならない。
リプリーはドーム内の綱紀粛正に取りかかっている。ドームの本来の目的から外れた研究をしている者や、地球人を下等動物扱いする者を探し出し、処罰することに力を入れていた。前任者サンテシマ・ルイス・リンのシンパだった執政官の処分はあらかた済んだ。降格、左遷、解雇、いろいろと処分が下され、執政官の入れ替えが必要となった。ケンウッドは大幅な人事異動で影響が出るコロニー人達の勤務シフトの練り直しを余儀なくされた。
コロニー人の人事はハイネ局長には関係のないものだった。ハイネはリン一派に懐柔されたドーマー達の処分に神経を尖らせていた。ドーマー達は被害者であったが、その一方で与えられた優遇処置に浸りきって堕落しかけた者もおり、ドーマー仲間から顰蹙を買い、妬まれ、嫉まれたので、彼等には相応の対処が必要だった。リプリーはドーマーの処分をハイネにさせなかった。そんなことをすれば、ハイネが同胞から恨みを買うことになると、かつて事なかれ主義でコロニー人達から無視されていたこの長官は気を遣ったのだ。遺伝子管理局長が地球人仲間から孤立してはドーム行政そのものが遣り辛くなる。だから、リプリーは敢えて自身が悪役に徹した。思い切った処分にハイネが不機嫌になるほど、彼はドーマー達にもコロニー人と同じ様に公平に臨んだ。
「リプリーは腹が立つ人ですが、遣り手であることは確かです。」
半年たったある晩、各メンバーの手が空いたので久し振りにハイネのアパートに4人が集まった。ハイネがまともな素性の地球産のウィスキーをグラスに注いで客達に配りながら、そう評価した。
「私なら頭でわかっていても、実際には勇気が出なくてやれないことを、彼はしっかりやってくれます。」
「君がそんな風に彼を褒めるなんて、驚いたな。」
とパーシバルが、ウィスキーのグラスを手に取って琥珀色の液体を照明にかざしながら言った。
「今回の3人のドーマーの処分は、行き過ぎだと批判するコロニー人もいるのに。」
「彼等は前長官から贔屓にされているのを良いことに、抗原注射の許可を勝手に取って、ドームの外へ遊びに出かけていたのです。それだけならまだしも、自分達で仕入れた嗜好品の密売までしていました。研究所助手から他の部署へ廻されても文句は言えないはずです。」
「だが、君はその処分に文句を言いたそうじゃないか?」
「私が文句を言いたいのは、下水処理の仕事が処罰になると思われていることです。業務に上下はないのに・・・」
下水処理は実際はロボットの仕事で、人間は汚水槽の点検やロボットの作業の監視や機械のメンテナンスを行うのだ。コロニー人はドーマー達が汚れる仕事をするのを嫌がる。ドーマーは清潔でいなければならないのだ。だから左遷されたドーマー達は監視室でロボットの作業を見守るだけなのだが、研究助手をしていた人間には「落ちた」と思われるのだ。
ハイネはどんな仕事も「罰」ではない、と言いたいのだ。リプリー長官が3人のドーマーに罰を与えたのは評価するが、左遷先を「罰」と見なす考え方は気に入らないと言っている。
「左遷された当人達が屈辱だと思っているなら、どんな仕事でも『罰』になるのだよ。」
とケンウッドがハイネをやんわりと諭した。ハイネはまだ部下を処罰することに慣れていない様だ。
考えてみると、少し不思議だった。ハイネは生まれる前から遺伝子管理局長になると決められていたのに、実際にその任に付いたのは70歳を過ぎてからだ。15代目のランディ・マーカス・ドーマーは局長を30年務めたと言っていた。彼が引退したのは80歳頃だったから、局長に就任したのは50代か? ハイネは随分遅い就任になるのだ。マーカスも「ハイネをかなり待たせてしまった」と言っていた。ハイネが若さを保つ遺伝子を持っているからと言って、そんなに待たせてしまうものなのか?
ケンウッドは思い切って彼に直接尋ねてみた。
「ハイネ、君は70代になってから局長に就任しているが、何故そんなに遅くなったんだ? 君は局長になる為に育てられたのだろう?」