2018年5月9日水曜日

泥酔者 14 - 2

 夜の仕事を片付けると、流石のニコラス・ケンウッド長官もくたびれて運動に出かける気力がなくなった。アパートに帰ると、妻帯者用の広いスペースががらんとした空間になって出迎えた。賑やかなヘンリー・パーシバルは月へ帰ってしまったし、ヤマザキ・ケンタロウは夜勤当番だ。グレゴリー・ペルラ・ドーマーは「黄昏の家」で高齢者仲間と長い夜を過ごしていることだろう。
 シャワーを浴びて部屋着に着替えたが、眠る気にはなれなかった。疲れているのに横になりたいと思わない。ケンウッドはキッチンのキャビネットを開いた。1本だけ、スコッチウィスキーがあった。ヴァンサン・ヴェルティエンがスコットランドを旅した時に送って来てくれたものだ。その封を切って栓を開けると、急に1人で飲むのが勿体無く思えた。

 これをつまみなしで平気で飲める男は1人だけだな。

 ケンウッドはダメもとで端末の電話を掛けた。相手は直ぐに出た。

「ハイネです。」
「ケンウッドだ。もう部屋に戻ったかね?」
「いいえ、ジムのロッカールームを出たところです。何か?」
「1人か?」
「そうですが?」
「私の部屋で飲まないか? 2人だけになるが・・・」

 ハイネは一瞬黙したが、直に「行きます」と答えた。通話を終えて、ケンウッドは脱ぎっぱなしだった上着をクローゼットに片付け、ソファの上の研究資料を書斎に移動させた。部屋の掃除は維持班の掃除ロボットが毎日してくれるので、床や家具の上は綺麗だ。
出来るだけ清潔なグラスを出してテーブルに置いたところでドアチャイムが鳴った。
 ローガン・ハイネ・ドーマーがケンウッドの部屋に入ったのはこれで2度目だ。運動帰りの彼はスーツではなく私服だった。それも部屋着と呼べるぐらいラフな物だった。
 2人はウィスキーを氷だけでちびちび味わった。視察団が無事に帰ったことを喜び、パーシバルと妻子が元気でいることを喜んだ。そしてブラコフの後任がまだ決まらないことを悔やんだ。
 ブラコフがケンウッドが長官であることを前提とした後任者を探していると言った、とケンウッドが告げると、ハイネが笑った。

「当たり前じゃないですか。ガブリエルにとって、アメリカ・ドーム イコール ケンウッド長官 なのですから。」
「そんなことを言われてもなぁ・・・欠陥だらけの私の補佐をしてくれる人材と言うならいくらでもいると思うが・・・」

 ケンウッドはチラリと相手を見た。

「君がドーマーでなければ採用するのに。」
「私がコロニー人でもお断りしますよ。」

 ハイネが澄まし顔で言った。

「私は今の職務で手一杯です。副長官の仕事など、手に余ります。」
「そうかな? 君の能力なら十分可能だと思うが・・・」

 ケンウッドは彼のグラスにお代わりを注いでやった。

「君は執行部のラナ・ゴーン博士を知っているかね?」
「ええ、卵子提供者の適性などの調査や遺伝子のチェックをなさっている方でしょう。時々ここにも来られますよ。」
「サヤカとも親しそうだったが・・・」
「仲が良いですね。キーラとも親交があるようです。彼女が当ドームに来る場合は、大概出産管理区かクローン製造部に行くので、私はあまり接点がありませんが。」
「クロエル・ドーマーの養母と言うのは彼女だったね?」
「そうです。あのおちゃらけた若者が、彼女の前ではお利口さんになるそうです。彼女のことが好きなのでしょう、クロエルは。」
「彼女は仕事熱心な人だと私は見たが・・・ハイネ、彼女の情報をサヤカからもっと引き出せないものかな? 」

 ハイネがグラスから視線をケンウッドに向けた。

「ゴーン博士を副長官に迎えるおつもりですか?」
「承知してもらえる自信はないが、交渉してみる価値はあると思うんだ。後任が決まらないままでは、ガブリエルが可哀想だ。」
「それでしたら・・・」

 策士ローガン・ハイネは提案した。

「西ユーラシアのマリノフスキーからベルトリッチ委員長に働きかけてもらいましょう。ゴーン博士をアメリカ・ドームに譲ってもらえるように。」
「おいおい・・・ドーマー交換じゃないんだぞ。」

 ケンウッドは笑った。

「先ずは彼女の人柄の調査だ。私はともかく、君や総代と仲良くしてくれる人でなければ副長官は務まらないからね。」