2018年2月23日金曜日

脱落者 11 - 8

 中央研究所の食堂は遺伝子管理局から離れているが、局長が選んだのには理由があった。腕に力を入れることを禁止されているハイネは、食事のトレイにたくさん皿を載せて運ぶことが出来ないので、給仕ロボットを使っていた。一般食堂にもロボットは配備されているが、これを使用するのは体力がない人、と言う認識がみんなにある。ハイネはドーマー達に自身が弱っているところを見られたくないのだ。リーダーの地位にある男のちょっとした意地だ。
 ケンウッドが食堂の入り口から中を覗くと、彼は既に奥のテーブルを確保してロボットが運んできたトレイを前に腰を下ろそうとしていた。体に負担を掛けない配慮なのか、医療区で被服班からもらった襟付きのデニムのシャツの上に濃紺のカーディガンを着ていた。スーツ姿を見慣れているので、彼の髪が白くなければ誰だかわからないだろう。遅い時刻で客は少なかったが、誰もがハイネに気がつくと驚いていた。
 ケンウッドは料理をトレイに取って、支払いを済ませるとテーブルに近づいた。

「待たせたかな?」

 声を掛けると、端末を眺めていたハイネが振り返り、立ち上がった。ケンウッドはトレイをテーブルに置き、挨拶の握手をしようと彼に向き直った。

「君が元気になって本当に嬉しい・・・うっ!」

 いきなりハグされた。力を入れてはいけない筈の両腕で、ローガン・ハイネ・ドーマーがニコラス・ケンウッドをぎゅっと抱きしめた。ケンウッドの心臓が早鐘の様にドキドキと鼓動した。ハイネがヘンリー・パーシバルやヤマザキ・ケンタロウを抱きしめるのを今迄何度も見てきたが、ケンウッド自身がハグされたことはなかった。互いに尊敬し合い、友情を感じていたから、何もしなくても十分だと思っていた。だが、こうして実際にハグされると、心の奥底で何か安心出来るものを感じて、胸が熱くなった。ハイネは何も言わなかった。黙って友人の体の温もりを感じている様だった。
 やがて自然に2人は離れた。ケンウッドが手で椅子を指して、彼等はテーブルの両側に向き合って座った。
 食事中はガブリエル・ブラコフの話をした。ハイネは退院する前に、副長官の病室を訪問したと言った。ブラコフはハイネが声を掛けると翻訳機で返事をしたが、すぐに電源を落としてしまったのだと言う。それでハイネは彼の手を握って暫くじっとしていた。数分後に彼が手を離して、「もう行きます」と挨拶すると、ブラコフは翻訳機の電源を入れて、一言「有り難う」と言ったそうだ。
 ケンウッドがブラコフの心中を想像した。若い副長官は、きっと複雑な心境なのだろう。彼が誘わなければ局長は怪我をしなかった筈・・・憧れの人に助けられて、その恩に報いなければならない、絶望的な姿になってしまったけれどこれからも生きて行かなければならない。

「彼の怪我は治せる。ただ、完璧に治そうと思えば時間がかかる。地球人類復活委員会の現場勤務は半年の休業が限界なのだ。それ以上休むと契約を解除されてしまう。」
「しかし彼は他人の暴力によって負傷したのです。それを考慮に入れるべきです。」
「うん。だから、私は本部に働きかけている。このドームの執政官達も署名活動をしているのだ。副長官職は無理でも、一執政官として再起出来る足場を確保してやって欲しい、と。」
「ドーマー達も応援している、と本部にお伝え下さい。」

 ハイネはいつもの手段で強調した。

「彼はドーマーが助けたのです。無駄にしないで下さい。」

 ケンウッドは笑いながら頷いた。ハイネの声はいつも耳に心地よかった。