2018年2月16日金曜日

脱落者 10 - 4

「よく覚えていません。」

 ハイネが目を閉じて答えた。ヤマザキはふと遠い記憶が蘇るのを感じた。
 ローガン・ハイネ・ドーマーは相手に不満を抱くと心を閉ざす。普通の人間ならば言葉で言い返したり、腕力に訴えようとするが、彼はドーマーだ。コロニー人に決して逆らうなと幼い頃から躾けられてきた。92歳になっても、彼はそれを守る。逆らいたいと思ったら、質問の答えをはぐらかすのだ。彼は先刻ドナヒューが口にした言葉に気を悪くしてしまった。
 ヤマザキは軍曹に助け舟を出すことにした。ここで2人の関係がこじれては、事件解決に支障が出る。

「軍曹、局長はまだ体調が万全ではない。イエスとノーで返事ができる質問にしてはどうかな?」

 ドナヒューは彼を見て、ベックマンを振り返った。保安課長は看護師が用意した椅子に腰を落として休憩モードに入っていた。ヤマザキは昨日局長第1秘書が面会に来た時に使用していた椅子を引き寄せ、彼女に勧めた。

「お座りなさい。立ったままで質問すると、患者に威圧感を与える。患者は素直になれない。」
「有り難うございます。」

 ドナヒューは素直に椅子に腰を下ろした。ヤマザキはベッドの反対側に移動した。ガラス窓に背を向ける形で立つと、看護師が彼の為に椅子を運んで来た。
 ドナヒュー軍曹は暫く端末を眺めて考え、やがて顔を上げた。

「では、質問を改めます。局長、貴方がハン博士の実験を知ったのは、副長官に誘われた時が初めてでしたか?」

 ハイネは渋々ヤマザキの提案に従った。

「はい。」
「それ以前に実験に立ち会うつもりはなかったのですね?」
「ありませんでした。」
「つまり、誰も貴方が実験に立ち会うと予想していなかった?」
「していませんでした。」
「実験に立ち会うとお決めになった後、誰かにそれを伝えられましたか?」
「薬剤管理室に連絡しました。」
「それは何故でしょう? ハン博士にお伝えするのが普通ではないでしょうか?」

 答えに説明を要する質問をしてしまったが、ハイネは答えてくれた。

「ハン博士には副長官が連絡されました。私は薬剤の変化を見たかったので、それを薬剤管理室に伝えただけです。」
「薬剤の変化?」
「新しい薬剤の開発はどれも興味があります。私は元薬剤師ですから。」
「そうですか・・・その連絡は副長官の誘いを承諾された直ぐ後ですか?」
「翌日の朝です。」
「実験当日ですね?」
「はい。」
「薬剤管理室で局長の連絡を受けたのは誰でしたか?」
「私は代表番号にかけました。出たのはマーガレット・エヴァンズでした。」
「その時、彼女は何か言いましたか?」
「いいえ、その場で室長に私の立会いを告げただけです。」
「その場で・・・」

 ドナヒュー軍曹は薬剤管理室をベックマンと共に訪れていた。通路から入ると直ぐに受付カウンターがあり、その向こうに薬剤師達の机が並んでいた。机の向こうに調剤用のテーブル、その背後が薬剤の棚だ。何重にもなってずっと奥の方へ続いている様に見えた。
エヴァンズが局長と話すのを、室内に居た全員が聞いていた。ドナヒュー達は薬剤師達から、エヴァンズもセシリア・ドーマーも局長の誘いを受けた様に見えなかった、と言う証言を得ていた。

「エヴァンズは貴方と一緒に実験に立ち会うことを何時決めたのでしょう?」