2018年2月11日日曜日

脱落者 9 - 1

 ケンウッド長官のコロニー人秘書ヴァンサン・ヴェルティエンは執政官と呼ばれる遺伝子学者でも助手を務める研究者でもなかった。彼はドームでは珍しい文化人類学者だった。地球人とその文化が大好きで、地球人類復活委員会に頼み込んで職員に採用してもらったのだ。ドームに勤務してからは、休暇を取る度にバックパッカーとして辺境の旅に出た。女性が少ないせいで消えていく少数民族の生活を一所懸命記録しているのだ。土着信仰や言語が失われていく。それは大異変の前から起こっていることだが、この200年間で消滅速度が早くなった。ヴェルティエンは焦りにも似た感情を心の奥に抱えていた。だから地球人の絶滅を謳う広域テロリスト組織「青い手」の存在を憂えていた。
 その日のお昼、彼は中央研究所の食堂で見かけたドナヒュー軍曹に迫り寄り、「軍は何をグズグズしているんです? 早くテロリストをやっつけて下さいよ!」と怒鳴って周囲を驚かせた。軍曹は流石に落ち着いており、

「地球人はそう簡単に絶滅したりしませんよ。」

と言い放った。

「貴方のお友達を殺傷した連中は必ず捕まえて見せます。」

 ケンウッドは黙って見ていたが、昼休みが終わって長官執務室に戻ると、ヴェルティエンに軍曹に当たっても意味がないと注意した。ヴェルティエンも冷静さを取り戻して反省した。

「あの人はここで起きたことを捜査しているだけなのですよね・・・将軍じゃないんだし。」

 そして副長官執務室へ応援の為に出かけて行った。
 彼と入れ替わる様に、ジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが昼休みを終えて戻って来た。中央研究所の食堂にはいなかったので、一般食堂へ行っていたのだろう。彼はヴェルティエンが出かけたのを確認してから、ケンウッドに声をかけた。

「フォーリーが気になることを言って来ました。」

 ケンウッドは書類から顔を上げた。

「気になること?」
「薬剤管理室の人間達の証言が食い違っているのです。」

 ケンウッドは椅子の背もたれに体を預けた。

「どんな?」
「監視カメラの映像を見た時の薬剤管理室長の証言を覚えておられますか? 彼は、薬剤はキルシュナー製薬から送られてきたままだった筈だと証言した、とフォーリーの報告にありました。」
「うん・・・そう言った。私も覚えている。」
「また、別の薬剤師が『蓋を開けて空気に触れたら直ぐに変化してしまうので、実験本番の時にしか開けない薬剤だ。』とも言いました。」
「うん。」
「フォーリーは薬剤管理室の主任薬剤師と話をしたのですが・・・」

 薬剤管理室の主任と言うのは、ドーマーだ。ローガン・ハイネも若い頃はこの職に就いていた。即ち、内務捜査班の潜入捜査官だ。コロニー人の薬剤師達が不正を行わないか見張っているのだ。

「主任は何と言った?」
「キルシュナー製薬から送られて来たのは主剤のみで、触媒薬剤はここの薬剤室で調合されたものだ、と言ったのです。」
「何・・・だって・・・?」
「主任の記録によると、ハン博士が主剤を開発し、レシピを書き、それをリック・カールソン研究員が清書してキルシュナー製薬に送った。キルシュナー製薬からは、あちらの開発施設で調合された主剤と、反応を促進させる為に新たに2種類の触媒のレシピが付属で送付されていた。」
「待て・・・ハン・ジュアンが開発した薬は主剤のみで、触媒は計算にすら入っていなかったのか?」
「主任の記録では、そうなります。ハン博士の開発実験では触媒は存在しなかったのです。ですから、レシピが主剤と一緒に送られて来たので、それを見たマーガレット・エヴァンズが首を傾げたのです。エヴァンズは主剤が空気に触れてはいけないと書かれていたので、真空ボックスに入れて、ロボットアームで開封し、中身を確認しました。」
「真空状態で開けた?」
「はい。主任はそれに立ち会いました。」
「ハン博士には言わずに?」
「連絡はしています。博士は確認を依頼し、問題ないと判断しました。」
「主剤は異常なかったのだな?」
「エヴァンズの検査では異常なしと言う結果になっています。しかし、触媒はここで調合しなければなりませんでした。担当したのは、セシリア・ドーマーでした。」