2018年2月17日土曜日

脱落者 10 - 6

 ドナヒュー軍曹もベックマン保安課長も実験室での爆発の様子は尋ねなかった。出来事は監視映像で見た通りだ。ケンウッドが聞き取れなかったセシリア・ドーマーの金切り声は、保安課の音声処理で判明した。彼女はこう言ったのだ。

「そんな筈ない!」

 彼女はハン・ジュアンが考えなかった触媒のレシピで薬を調合し、博士にそれを使用させた。爆発するとは思わなかったのだろう。
 誰かが彼女を騙して爆発物を作らせた。
 色が予想されたものでなく、異常な反応を主剤にもたらした印であることは、監視映像を見た他の薬剤師達の証言でもわかったので、ドナヒューもベックマンも敢えてハイネにそれを訊かなかった。
 ドナヒューは局長に尋ねた。

「何故セシリアは貴方を刺したのでしょう? 」

 映像を見た限りでは、ブラコフ副長官の手当に熱中していたハイネがリック・カールソンに目を向けてくれないので、セシリア・ドーマーが激怒した様に思われた。彼女は副長官が倒れている方向へガラス片を向けて突進した。処理前の映像では、現場は気化した薬品で視界が悪かった。彼女はハイネの位置がわからなかったか、或いは副長官が亡くなればハイネの注意がカールソンに向けられると思ったか。ハイネは彼女がブラコフに向かって突進して来るのを悟って、副長官の盾になり、胸を刺された・・・と思われた。
 しかし、ヤマザキと執刀医クック博士はガラス片が下から上向きに突き刺したものだと傷を見て見抜いた。セシリア・ドーマーはハイネの心臓を狙ったのか?
 ドナヒューの質問に、ハイネは天井に目を向けて、「わかりません」と答えた。

「貴方は副長官に彼女が向かって来るのを見て、副長官の盾になったのですね?」
「彼女の影が見えました。彼女が何を持っているのか、わかりませんでした。」

 ハイネは声の力を弱めた。当時の衝撃を思い出して気力が萎えたのか、それとも喋り疲れたのか。
 
「彼女が倒れているブラコフを踏みつけない様に、前に立ち塞がっただけです。」
「では、刺されてから、彼女が凶器を持っていたことに気が付いたのですね?」
「胸に押される感覚と激しい痛みを感じました。何が起きたのか、わかりませんでした。」
「彼女を反射的に殴った?」
「多分・・・」

 ハイネはまた目を閉じた。

「殴ったと思います。兎に角、ぶつかって来た物を払い退けた、それだけです。」

 ヤマザキは壁際の看護師が目に涙を浮かべているのに気が付いた。看護師は映像を見ていないが、彼が敬愛する遺伝子管理局長が体験した残酷な出来事を想像して、泣きそうになっていた。

「刺されたと気が付いて、ショックだったでしょうね?」

 しかし、ハイネは「理解不能でした」とだけ言った。

「何故刺されたのか、理解出来なかったと言うことですね?」
「そうです。」
「彼女は副長官を狙ったと思いますか? 貴方が偶々盾になったので刺してしまった?」
「それは・・・」

 ハイネがやや不機嫌な声音で答えた。

「セシリア本人に訊いて下さい。」

 そろそろ限界だな、とヤマザキは判断した。ハイネは疲れてしまっている。彼は立ち上がり、患者の手首を掴んだ。脈をとるふりをして、俄か刑事達に言った。

「患者は疲れた様です。聴取はここ迄にしてもらいます。」

 医療区では医師の判断は絶対だ。ドナヒューとベックマンは腰をあげた。ドナヒューがハイネの協力に感謝の言葉を述べて先に部屋から出て行った。ベックマンも挨拶して去ろうとすると、ハイネが片手をあげて彼を手招きした。ベックマンは怪訝な顔でベッドに近づいた。遺伝子管理局長が、低い声で彼に囁いた。

「髭を剃りなさい、保安課長。見苦しい。」