2018年2月3日土曜日

脱落者 6 - 2

 ケンウッドはアメリカ・ドームの最高責任者だから、友人達の怪我の心配以外にもしなければならない仕事が山ほどあった。彼は友人達のことをじっくり考える時間を作る為に、暫し彼等のことを忘れて業務に没頭しなければならなかった。副長官を欠いたことはかなり痛い。何もかも1人でしなければならない。こんな時はハイネ局長が羨ましい。遺伝子管理局には全権委任された元秘書と現秘書がいるのだから。
 秘書のロッシーニが声を掛けてきた。

「長官、私は少し手が空きましたから、副長官秘書の手伝いをしてきましょうか?」

 ロッシーニは元副長官秘書だった。だから秘書の仕事を手伝って、現副長官秘書に副長官業務をさせてはどうかと暗に示唆したのだ。ケンウッドは一瞬考え込んだ。もう1人の秘書ヴァンサン・ヴェルティエンも元副長官秘書だ。ケンウッドが副長官だった時から働いている。ロッシーニより「最近迄」副長官秘書だった。それに、何か大きな事件が起きれば、ヴェルティエンよりロッシーニがそばに居てくれた方が心強い。

「ヴァンサン、君はまだ副長官秘書の仕事を覚えているか?」
「はい、ジャンより私の方が適任かと?」

 ケンウッドはロッシーニを見た。

「ジャン=カルロス、すまないが、君にはこの部屋に残ってもらおう。」
「わかりました。」
「ヴァンサン、申し訳ないが、お昼が済んでから、あっちの部屋へ助っ人に行ってくれ。副長官執務室には私から連絡を入れておく。」
「承知しました。」
「では、今は目の前の仕事に集中しよう。」

 それから小一時間ばかりケンウッドは書類の山の片付けに没頭した。なんとか署名が必要な書類を片付けた所に、ドナヒュー軍曹が面会を求めてきた。否応無しにまた事件を思い出す。それにしても、ドナヒューは月へ帰ったのではなかったのか?
 渋々応じると、カレン・ドナヒュー軍曹はアーノルド・ベックマン保安課長と共に入室して来た。

「おはようございます、長官。お忙しい所を申し訳ありません。」
「ご用件は?」

 ケンウッドは世間話も無駄な時候の挨拶もしない。もっともコロニーで生まれ育った人間は地球人の様な時候の挨拶をする習慣がなかった。
 ベックマンが2人の秘書をチラリと見た。ケンウッドは言った。

「彼等は構わない。私は業務をスムーズに進める為に、彼等にはできるだけ秘密を持たないことにしている。」

 それで、ドナヒューが頷いて執務机のそばにやって来た。

「薬剤管理室でハン・ジュアン博士が薬品会社に送ったレシピを押収しました。原稿を見たいのですが、アクセス権がありません。保安課長が長官と副長官、遺伝子管理局長の承認がないとマザーコンピュータの許可を得られないと仰います。」

 ケンウッドはベックマンを見た。

「ハン博士のパスワードが不明だと言うことかね?」

 研究関係の書類は重要度にもよるが、全てがマザーコンピュータに管理されている訳ではない。パスワードがわからないので、「表」からではなくマザーが支配する「裏」から見ようと言うつもりなのか?

 ケンウッドは自身のコンピュータを叩き、登録されているハン・ジュアンのパスワードを検索した。それをメモ用紙に書き留め、軍曹の前に差し出した。

「端末に記録しないで頂きたい。これはこのドームのものだから。」
「わかりました。有難うございます。このメモは保安課長に保管していただくことにします。」

 ドナヒュー軍曹はメモを見て、それをベックマンに渡した。