2018年4月30日月曜日

泥酔者 11 - 4

 スポンサー様、即ち地球人類復活委員会の財源を支えるコロニーの大企業の面々が、その莫大な寄付金が正しく地球人復活事業に使われているかどうか、確認の為に視察に来るのだ。彼等は地球時間に換算すると主に2年3ヶ月おきに視察団を結成して地球に降りてくる。企業の経営者がいれば大富豪もいるし、著名な文化人もいる。映画スターもいるし、科学者もいるのだ。さらに宇宙連邦軍の広報もいる。
 彼等は概ね3日の予定で地球各地のドームに滞在する。一番重要な出産管理区を見学して地球人が順調に誕生していることを確認し、クローン育成施設を見学してコロニー人のボランティアから提供された卵子のクローンが立派な女性の赤ん坊に育っていくのを観察する。それから中央研究所で各フロアを回って執政官達の研究の進み具合を見る。日頃ダラダラしている科学者達もこの時は必死でフラスコや試験管や電子顕微鏡を見つめ、モニター画面を検証し、グラフを睨む。それが視察団の第1日目だ。
 2日目は、観光旅行だ。スポンサー様達は、恐らくこれが一番の楽しみだろう、美しい地球の風景を見物に日帰り旅行にお出かけになる。行き先々で美味しい食べ物を味わい、珍しい文化や歴史を楽しむ。
 3日目は、ドーマー達の仕事ぶりを見る。ドーマー達はスポンサー様に失礼のない程度に距離を取って、彼等と接触しないように努力する。しかし、地球人の肉体美に憧れている出資者達はどうしても接近してしまうのだ。ドームの執政官達は、スポンサー様が地球人保護法に違反しないように見守らねばならない。
 アメリカ・ドームの長官には代々申し送りの注意事項がある。1つは、スポンサー様にはなるべく地球産の珍しい酒を出さないこと。地球産のアルコール飲料はコロニー産のものとは比べ物にならない程美味なので、調子に乗って飲みすぎる客が多いのだ。2つ目は、ドーマーにスポンサー様が素手で触れても、ドーマーから苦情が出ない限りは無視すること。一々地球人保護法違反だと目くじら立ててはキリがない。富豪達は平気でドーマーに触りたがるのだから。
 3つ目は、この80年間伝えられている注意事項だ。つまり、ローガン・ハイネを視察団が滞在する間は隠しておくこと。勿論スポンサー様は白いドーマーがいることをご存知だ。映像で見たこともあるのだから、顔も声も知っている。当然興味を持って会いたがる。しかし、視察団が来るとドームは彼を病気だと言って医療区に隔離して会わせない。ハイネは実際のところ元気で、病室で業務を行うのだ。本人が匿ってくれと言った訳ではない。ドームがそう決めたのだ。ハイネが視察団の前に出るのは、彼等が宇宙へ帰る直前だけだ。

「何故、そう言うことになっているのです?」

とブラコフがケンウッドに尋ねた。ブラコフも既に視察団を迎えるのは3度目だ。しかし、まだハイネを隠さねばならない理由がわからない。ハイネも教えてくれない。そしてケンウッドも知らなかった。
 するとハイネの「入院」の打ち合わせに呼ばれたヤマザキがエイブラハム・ワッツ・ドーマーに聞いたと言って、理由を教えてくれた。

「昔・・・今から80年近く前だ。」
「ハイネが20代の頃?」
「彼は今95歳だから、少年期だな。夜中に視察団の連中が酔っ払って養育棟に侵入したのだそうだ。ワッツはまだ幼児室にいたのだが、大騒ぎになったので覚えていると言っていた。」
「何があったんだ?」

 ケンウッドが苛々して尋ねた。視察団を迎えるのは、彼も4回目だが、未だに慣れない。毎回来る面子が異なるし、性格もバラバラだ。今回は大人しい人であって欲しい。
ヤマザキがニヤッと笑った。

「酔った勢いでハイネとダニエル・オライオンの部屋に入り込んだコロニー人がいたんだとさ。白いドーマーを見たかったと後に言い訳したそうだが、そいつはダニエルのベッドに潜り込もうとした。弟の悲鳴に驚いたハイネが、弟を守ろうとして、その無礼なスポンサー様を散々にぶちのめしたと・・・」
「マジか?」
「ワッツがそう言っている。彼は5歳だった筈だがね。」
「つまり・・・ハイネを視察団から隠すのは、彼を守ると言うより、視察団が彼を怒らせないよう手配すると言うことか?」
「まぁ、そんなところだろう。ハイネは視察団が嫌いだから隠れると言うタマじゃないからね。」



泥酔者 11 - 3

 ケンウッドが日常の業務を始めて半時間経たぬうちに月の本部から通信が入った。相手がロベルタ・ベルトリッチ委員長だったので、ケンウッドは乱闘騒ぎが耳に入ったのかと一瞬ドキリとした。

「おはよう! 時刻はこの挨拶で合ってますか?」

 ベルトリッチは相変わらず艶っぽいぷっくりとした唇を優しく動かして尋ねた。ケンウッドは「おはようございます」と挨拶を返して返答代わりにした。委員長自らわざわざどんな用事なのかと目で問うと、彼女はちょっと微笑みを消して真面目な表情になった。

「ブラコフ副長官の後任は決まりましたか?」
「候補者が1名になりましたので、現在研修中です。恐らく彼に決まるでしょう。」

 ケンウッドが候補者の名前を呼ばないので、ベルトリッチが少し憂い顔を見せた。

「あまり歓迎していない様子ですね、長官。」
「私が・・・ですか?」

 ケンウッドは心外なと言いたげに眉を上げて見せた。

「ええ、貴方の部下になる人を決めるのですよ。」
「そうですが・・・ブラコフに一任していますので。」
「そのブラコフ君が決めかねているのではありませんか? だから貴方は相手の名前を覚えようとしない・・・」
「そ・・・そう言う訳では・・・」
「では、地球人側が不承知?」
「いえ、そう言う訳では・・・」

 突然ベルトリッチが破顔した。

「要するに、貴方もハイネもブラコフを手放したくないのでしょう?」

 ケンウッドは赤面した。ベルトリッチはあまり彼をいじめても気の毒だと思ったので、その話はそこで切り上げることにした。

「実は、副長官の後任にもう1人候補ができました。でもその話はまた後日にします。それより、厄介なイベントがアメリカ・ドームに回ってきましたよ。」
「厄介?」

 ケンウッドは一瞬考え込んだ。今抱えている厄介なことは、借金の取り立て屋に追われている執政官と、酒の席で乱闘した執政官と・・・同一人物だった。
 ベルトリッチはケンウッド長官の予想外のことを口に出した。

「スポンサー様の視察団がアメリカに行きます。四日後ですから、よろしくお願いします。」
「四日後?」

 ケンウッドはびっくりした。

「急じゃありませんか?」
「抜き打ちですから、そう言うものです。」

 ベルトリッチはにっこり笑った。

「白いドーマーを隠すことを忘れないでね、長官。」

2018年4月29日日曜日

泥酔者 11 - 2

 ケンウッドとハイネの会話が途切れた。アイダ・サヤカ博士が近づいて来たからだ。彼女は男達が不自然に黙り込んだことに気が付いたが、気づかぬふりをして声を掛けた。

「もう重要なお話は終わりましたの?」
「ええ、終わりました。」

 ケンウッドは女性に聞かれたくない先刻の会話を頭から追い払った。そして彼女の服装が研究着を上に着ることを前提にしたラフなものであると見て取った。

「これから勤務に入られるのですか?」
「お昼を摂ってからです。2時間ばかり時間潰しで図書館に行こうと思っていましたが、ランバート博士が取り替え子のリストを作成したので遺伝子管理局に提出したいと申しまして・・・局長のご都合はいかがでしょう?」

 ハイネは時計を見て、その朝の仕事量を考えた。

「長官が昼前の打ち合わせ会をここで免除して下さるなら、11時に業務が終わるので、その時に。」

 まるでケンウッドが免除してくれるのを前提とした言い方だ。ケンウッドは苦笑した。

「さっきの話し合いで十分だね、局長。じっくり取り替え子の選定をしてくれたまえ。」
 
 ハイネは軽く頭を下げ、それからアイダを振り返って、「では11時に」と言った。アイダ博士も頷き、ケンウッドに会釈して議場から出て行った。
 彼女が出て行くと、ハイネ局長も立ち上がった。そしてケンウッドに挨拶して彼も出て行った。
 ケンウッドは奥の扉に向かって歩き始めた。そして傷心の副長官をどう励まそうかと考えていた。


泥酔者 11 - 1

 ガブリエル・ブラコフは止めに入って殴られただけなので、処罰はなかったが、ケンウッドは軽率な行動だったと注意した。ブラコフも反省した。執政官達が喧嘩を始めた時に保安課を呼ぶべきだったのだ。
 ジャクリーン・スメアも1日の謹慎と謝罪でなんとか大ごとにならずに済みそうだ。
 観察棟に入った人々は、月の本部への通報を免除される条件なので、素直に従ってくれた。しかしドーマー達の間では密かに情報が漏れており、彼等が「刑期」を終えて出てきた時、好奇心に満ちた視線を浴びることになった。

「ドーマー達はドームの秩序を乱す者を嫌いますから。」

と出産管理区の女性医師が執政官会議で言った。

「修道院の僧侶みたいな生活をしなさいとは申しませんが、暴れる場所を考えて下さい。」
「つまり、闘技場で決闘してくれと言うことですね?」

 アナトリー・ギルが茶々を入れたが、彼女はすまし顔で「そうです」と答えて議場内に笑いを起こし、場を和やかにした。乱闘の当事者達は小さくなって仲間のコロニー人達に謝罪した。ドーマー達に舐められたら研究に支障が出るから、これから気をつけろと執政官達が口々に彼等を文句を言って、会議は終わった。
 執政官達がぞろぞろと議場から退出して行くのをハイネ局長が座ったまま眺めていた。誰も彼にドーマー側の意見を求めなかったが、彼も特にコメントする必要を感じなかったので、黙って見送っていた。乱闘の情報は維持班総代ロビン・コスビー・ドーマーから当日に受け取ったが、自身の出る幕はないとわかっていたので、ケンウッドにもブラコフにも意見を言わなかった。ただ、会議が終わってケンウッドがそばに来た時に、彼は一言苦情を言った。

「一体いつになれば、ドーム本来の研究の議論を聞かせてもらえるのでしょうか?」
「面目無い。」

 ケンウッドは執政官代表として地球人の代表に謝罪した。

「何をしても空回りしている気分だ。」

 ハイネが囁いた。

「4Xの情報の真偽を早急に確認させます。もしただの噂ではなく、本当に女性が生まれていたのであれば、研究に何らかの影響を与えられるのではありませんか?」

 ケンウッドは大きく頷いた。

「西ユーラシアから返答が来た。シベリア分室に衛星データ分析の仕事をしている若者が2名いるので、1名を譲ってくれるそうだ。」
「見返りは?」

 長官は少し躊躇った。

「成人したドーマーではなく、元気な精子を1回分・・・」

 ハイネは動じなかった。ドーマーはその様なことの為に育てられているのだ。それにドーマー交換を提案したのは遺伝子管理局だ。

「条件は?」
「特にない。元気な父親の子供が欲しい、それだけだ。」
「承知しました。では、手が空いているドーマーを検索して今夜にでも出頭させます。」

 

2018年4月27日金曜日

泥酔者 10 - 8

 ベックマン保安課長が当事者各自の怪我や行動の報告を行った。軽傷ではあるが怪我人が発生しているのは確かだし、バーの食器を壊している。テーブルなどの調度品にも傷が付けられたとベックマンが告げると、ケンウッドは溜め息をついた。

「当ドームのバーは歴代の執政官達が集めた地球の工芸品である皿やグラスなどを使用している。中には大変高価な物もある筈だ。被害総額はわかるかね?」

 ベックマンは端末を見た。

「現在、バーの管理者に算定させているところです。額によっては当事者全員で負担してもらうことになると言っていました。」

 執政官達が顔を見合わせた。ブラコフもスメアと視線を交わした。「当事者」には自分達も含まれるのだろうか、と不安を感じたのだ。しかしベックマンは彼等は弁償には無関係だと判断した。

「ブラコフ副長官とスメア秘書は器物損壊に無関係と思われます。ただ、秘書氏は・・・」
「暴行罪でしょうか?」

とスメア。感情の赴くままに行動してしまったことを後悔しているのが、ケンウッドにもベックマンにもわかった。ベックマンは彼女に殴られたグラニエールを振り返った。

「スメア秘書を暴行罪で訴えるかね?」

 グラニエールは鼻をちょっと指先で触れてから、首を振った。

「こんなことを言うのも何ですが、女性に殴られて怪我をしたなんて、男としては恥ずかしい限りです。私としては公にして欲しくありません。スメア氏とは示談で解決させて下さい。弁護士を入れても良いですが、ここで話し合っても構いません。」
「スメア氏は?」
「裁判沙汰にして欲しくないのは私も同じです。自分のキャリアに傷を付けたくありません。すみません、我儘を言って・・・」

 それでケンウッドはスメアとグラニエールに部屋の隅で話し合いを持たせた。彼等が話し合っている間に、ハリスと他の4人の執政官の処分も検討した。そして観察棟に謹慎4日と判決を出した。

泥酔者 10 - 7

 朝食を終えて執務室に行くと、秘書のチャーリー・チャンが既に仕事を始めていた。長官の顔を見るなり、挨拶もそこそこに同僚の処分を心配した。

「ジャクリーンはどんな処罰を受けるのでしょうか? 相手に怪我をさせた様ですが・・・」

 ああそうだ、乱闘騒ぎがあったな、とケンウッドはドーマー交換の話題ですっかり忘れていた問題を思い出した。チャンに何かあれば連絡をくれと言い置いて小会議室に入った。
 長官執務室と大会議場の間に小会議室がある。3つの空間は扉で隔てられていて、長官は自由に行き来できるのだ。
 ケンウッドが入ると、そこにいた乱闘騒ぎの当事者達が私語を止めて黙り込んだ。長官執務室との連絡扉に近い席に座っているのが、ガブリエル・ブラコフ副長官と、ジャクリーン・スメア秘書。ブラコフは顎に湿布薬を貼っていた。腫れている様には見えないので、青アザ程度の被害なのだろう。ケンウッドと目が合うと申し訳なさそうに身を縮めた。スメアは黙って頭を下げた。彼女はブラコフが殴られたので、カッとなって相手を殴り倒した方だ。活発な女性だが、そこまで暴れるとは予想外だった。ケンウッドは溜め息をついて見せ、壇上のアーノルド・ベックマン保安課長の側へ行った。
 大会議場への扉の側に若い執政官3名が並んで座っていた。3人共に顔や腕にアザがある。1人は鼻に湿布薬が貼られていた。骨折ではないと聞いているが、ケンウッドは一応声をかけてみた。

「グラニエール博士、鼻の調子はどうだね?」
「骨折ではないので、鼻血が止まってなんとかましになりました。」

 鼻詰まりの声で彼は言った。

「副長官には、止めに入って来られたのに勢いで殴ってしまい、申し訳ありませんでした。」

 ブラコフがちょっと苦笑した。

「僕も酒が入っていたので、無防備でした。貴方が僕を見ていないと気が付いた途端に拳骨をくらいましたから・・・」

 部屋の中央には、レイモンド・ハリスと別の執政官が座っていた。こちらも口の端や目の周辺にアザがあった。

「酒の上での喧嘩と聞いているが、原因はなんだね?」

 ケンウッドの質問に、ハリスは肩をすくめた。

「それがよく覚えていないんです。何かの話をしていたのですが、そのうちに彼方が僕の返答が気に入らないとかなんとか言い出して、僕がうっかり彼の肩を押したものだから・・・」
「押した押さないの問答になったのです。」

 ハリスの隣に居る執政官が言った。彼はハリスと多少気があうのか、食堂で一緒に居るのを何回かケンウッドも見ていた。2対3で喧嘩をして、止めに入ったブラコフが殴られ、スメアがその仇を討った形になる。
 ケンウッドは若い連中に穏やかに言って聞かせた。

「何の話が原因かは聞かないが、酔って喧嘩をするのは会則に違反する。内務捜査班に月の本部へ報告されても文句は言えないぞ。」

2018年4月26日木曜日

泥酔者 10 - 6

「どこかのドームに宛でもあるのかね?」

 ケンウッドの質問にハイネは少し考えた。

「西ユーラシアはシベリア地区を抱えていますから、衛星データで集落を観察しています。ロシア政府の軍事衛星のデータですが、遺伝子管理局が政府が把握していない集落などを見つけたり観察するので人件費が浮くと考えられているそうです。」
「それでデータ解析を任されているのか・・・他には?」
「南・東南アジア・ドームも島が多いので衛星データを使っています。」

 ケンウッドはギクリとした。

「うちの管轄にもカリブ海があるが・・・」
「中米班が積極的に飛び回っていますので、衛星データは必要ないのです。」
「そうか・・・」
「寧ろ、南米のジャングル地帯の監視に衛星が必要です。分室だけでは住人の管理が難しいです。」
「そうだな・・・」

 実際、南米地区は違法メーカーが多い。クローンも大勢いるし、クロエル・ドーマーの様な父親不明の子供も沢山生まれている。

「衛星データ分析官の育成を考えよう。アメリカ政府に頼んで講師を雇っても良い。衛星はアメリカのもので構わないのだろう?」
「勿論です。」
「では、その方向で計画を立てる。さて、ドーマー交換の方だが、執政官会議で了承を得なければならない。君が提案をする形になるが、良いか?」
「執政官達の前で演説せよと仰せですか? わかりました、簡潔に理由を語って皆さんに納得していただきましょう。」
「交換と言うからには、先方のドームも見返りに誰かを寄越せと言うだろうな・・・」

 ハイネは頷いた。彼は長い人生の中で仲間がドーマー交換で去って行くのを幾度となく見送ってきた。執政官が研究の為に提案し、遺伝子管理局はその理由に違法性が認められなければ交換を承認せざるを得ない。遺伝子管理局が承認すれば、ドーマー当人が余程拒否しない限り交換は行われる。
 今回は遺伝子管理局の局員から要請があった交換だ。異例と言えば異例だ。必要な才能をもらう代わりに、生まれた時から一緒に暮らしてきた仲間を譲る。
 ハイネは言った。

「先方が希望する条件を提示してくれば、それに合った者を見つけて説得するだけです。複数いれば、希望者を募ります。無理矢理行かせたりしませんから。」
「もし希望者が現れなければ?」
「交換を提案した本人に候補者の説得をさせます。それで駄目なら、交換は諦めます。自前の分析官が育つのを待つだけですよ。」

 君は待てるだろうが、とケンウッドは思った。若い局員は待てないだろうよ。

2018年4月23日月曜日

泥酔者 10 - 5

 ケンウッドは朝食を摂りに一般食堂へ行った。昨夜の乱闘騒ぎを起こした執政官達は中央研究所の食堂にいるのだろう、それらしき人々の姿はなかった。
 一緒にテーブルに着いたハイネ局長は乱闘騒ぎを知らないのか、或いは知っていてもケンウッドから切り出さないので知らないふりをしているのか、事件には一言も触れなかった。それよりも、もっとややこしい案件を出して来た。

「昼前の打ち合わせ会で申請しようと思ったのですが、今日は副長官の後任候補が本部を見学に訪れるので、今のうちに申し上げておきます。」

 ケンウッドは理由のない不安を感じた。ハイネが急ぐような案件とは何だ? 物凄く重要なことか?

「何だね、勿体ぶって・・・」
「勿体ぶってなどいませんが、ドーマー交換を申請します。」
「えっ?」

 もう少しでケンウッドはフォークを落とすところだった。アメリカ・ドームでは先代リプリー長官の時代から既に15年近くドーマー交換を行っていない。その前のリン長官が遺伝子管理局に無断で行ったドーマー交換の結果、進化型1級遺伝子危険値S1保有者ダリル・セイヤーズ・ドーマーに脱走される羽目に陥った苦い経験があるからだ。
 ケンウッドはフォークを持ち直した。

「どうしてまた急に・・・?」
「北米南部班から、衛星データ解析に長けた人員を要求されました。調べて見ましたが、当アメリカ・ドームには宇宙からの情報を分析する任務に就いているドーマーはおりません。」
「それは、地球人に宇宙の情報を必要以上に与えてはいけないと言う法律があるから・・・」
「宇宙の情報を分析するのではなく、衛星がスキャンした地上データを解析するのです。」
「ドームの中にいるドーマーにさせる仕事ではない。」
「遺伝子管理局は必要と判断しました。」
「何のために?」
「メーカーの監視です。」

 ハイネは、ポール・レイン・ドーマーが掴んだ4Xと呼ばれる女子誕生の鍵を示す方程式の話を語った。ケンウッドには初耳だった。田舎のメーカーが、地球各地のドームのどの科学者も今まで解明できなかった女性が生まれない原因を解き明かしたと言うのか? そしてその方程式で女性を誕生させたかも知れないと言うのか?
 ハイネ局長は静かにケンウッドを見守っていた。長官が激しい心の動揺に必死で耐えているのを黙って見ていた。彼が冷静に座っていたので、ケンウッドも間も無く頭を冷やすことが出来た。

「考えてみるに・・・」

とケンウッドは囁いた。

「そのメーカーは、女の子を誕生させることに成功したとして、何故そうなったのか、自分達でもわかっていないのではないか? だから、方程式などと言う得体の知れないものが実在するかの様に言っているのかも知れない。もし連中が本当に女子誕生の方法を確立させているなら、もっと大っぴらに金になる客を集めていることだろう。」

 ハイネも頷いた。

「私もそう思います。レインも疑っているのです。しかし敵のアジトに乗り込むには口実も物証も何もないので、確認のしようがありません。それで彼は他のメーカー達が件の業者を狙う様に故意に名と噂を流したのです。件のメーカーのアジトは砂漠の中にある一軒家で、迂闊に近ずけません。空からの監視も目立ちすぎます、周囲に何もないところですから。それで、もっと高い場所から見張らせようとレインは考え、私に相談してきました。」
「だから、衛星データ分析官なのか・・・」

2018年4月22日日曜日

泥酔者 10 - 4

 翌朝、ケンウッドはいつもの時刻に起床して、いつものジョギングに出かけた。重力の問題があるから、ドーマー達のペースに比べるとゆっくりめだが、コロニー人では速い方だ。相変わらず問題が多いドーム行政だが、頭の中をリフレッシュさせて機嫌良く走っていると、後ろから軽快に足音を響かせてローガン・ハイネ・ドーマーが追いついてきた。

「おはようございます、長官!」
「おはよう、局長!」

 真剣に運動をしている時は、ハイネは決してコロニー人に歩調を合わせてくれない。あっという間にケンウッドは置き去りにされた。ケンウッドは慌てず、意地になることもなく、マイペースで走り続け、ジムに入った。早起きのドーマー達や夜勤を終えたドーマー達が早朝にも関わらず賑やかにトレーニングに励んでいた。もっとも半時間もすれば、もっと混み合うのだ。
 ハイネ局長は筋トレのマシンのそばにいた。女性執政官数名がそこでトレーニングをしており、局長はそこで1人の女性からメモの様な物を手渡されたところだった。
 ケンウッドはそのままロッカールームに行ってシャワーを浴びた。新しい服を身につけていると、局長がやって来た。

「出産管理区から苦情が来ています。」

と言って、先刻のメモを出して来た。ケンウッドが見ると、アイダ・サヤカの手書きで「ドーム出口でうろついている不審な2人組みの男性あり」とあった。
 ケンウッドは保安課から聞いていた報告を思い出した。

「確か、遺伝子管理局もその連中から声を掛けられたと聞いたが?」
「ワグナー・ドーマーです。ハリス博士はこちらのドームにいるのかと訊かれたのです。」
「取り立て屋だな。」
「ケンタロウもそう言っていました。」
「連中はハリスが正規採用になったので、外へ出かけるのを待っているんだ。」
「ハリス博士は外出される用事でもあるのですか?」
「研究用サンプル採取が必要なら出かけるだろう。だが彼は来たばかりだ。当分は出る用事はないだろう。」
「ではハリス博士は暫くは安全圏内におられるのですな。」
「しかし、ドームに来る地球人達は気味が悪いと感じるだろうな。」

 ドームは地球人が生まれる神聖な場所だ。そこに博打の借金を取り立てに来る宇宙のヤクザがいては落ち着かないだろう。それにしても・・・
 ケンウッドは先刻感じたささやかな疑問を口にした。

「何故アイダ博士はメッセではなく手紙で君に連絡を取ったりするのだ?」
「それは・・・・」

 ハイネは考え込むふりをした。

「取り立て屋の存在を嫌だと感じたのが、彼女ではなく別の女性だったからでしょう。彼女自身は外に出ていないのではありませんか?」
「つまり?」
「メッセは彼女個人の感想ですが、手紙は出産管理区の女性達の感想です。」

 なんだかよくわからないが、出産管理区の女性達はハイネと言葉を交わせて喜んでいたっけ・・・。ケンウッドは秘密の夫を独占しない様に心がけるアイダ・サヤカの努力を健気に感じた。



泥酔者 10 - 3

 ケンウッドは1日の職務を終えて運動もして、入浴を終え、やっとベッドに入ったところで、保安課からの連絡で起こされた。布団から腕を伸ばして端末を取った。

「バーで乱闘騒ぎがありまして・・・」

とアーノルド・ベックマン課長が報告した。

「執政官5名と研究員1名を拘束しました。それから居合わせて乱闘を止めようとした3名からも事情を聴取しています。」
「乱闘?」

 ケンウッドは面倒臭いと思った。バーでの乱闘とは、酔っ払いの喧嘩だ。そんな騒ぎは年に数回起きていたので、ドームでも珍しい事ではなかった。

「全員コロニー人だろう?」
「そうです。」
「まさか身元不明者がいるなんてことはないな?」

 ドームの中の人間は全員身元がしっかりしている。

「ええ・・・」

とベックマンはちょっと躊躇ってから、続けた。

「ブラコフ副長官と貴方の秘書のスメア氏が巻き込まれまして、事情聴取を受けています。」
「はぁ?」

 ケンウッドはやっと体を起こした。

「ガブリエルとミズ・スメアは乱闘の当事者ではないのだな?」
「止めようとした方です。」

 ベックマンは付け足した。

「止めようとなさって、副長官は顔を殴られて転倒、スメア氏が相手を殴り倒しました・・・」

 マジか・・・ケンウッドは思わず片手で顔を覆った。

「ガブに怪我は?」
「ちょっと殴られた箇所が赤くなっていますが、それだけです。スメア氏が殴った相手は鼻血を出しました。」

 立派な傷害罪だ。

「他に怪我人は?」
「乱闘の当事者たちがそれぞれ打撲傷を追っていますが、いずれも軽傷です。」
「そうか・・・では今まで通りの手順で処理をお願いする。副長官と秘書も用が済めば返してやってくれ。明日、当事者全員、小会議室に出頭する様に。」
「わかりました。」

 そしてベックマンは囁いた。

「ドーマーがいなくて幸いでした。」

泥酔者 10 - 2

 レイモンド・ハリスは1人でカウンターの端っこに座り、ウィスキーを注文した。誰とも約束をしていないようで、出入りする人々に関心を向けなかった。だからブラコフもスメアも彼の存在をすぐに忘れた。

「要するに、ドーマー達と仲良くやれるかどうかじゃないかしら?」

とスメアは言った。

「私だって、秘書として優秀だなんて言えないわ。学校では単位を落としたこともあるし、最初に勤めた会社ではお得意様を怒らせて10日でクビになったのよ。でも地球人類復活委員会は私が誰とでも気さくに付き合える人間だって、それだけを高く評価してくれたの。」
「本当にそれだけ?」

 ブラコフは笑った。

「君は優秀だよ。書類整理も文書作成も、人間関係の調停も。それに長官の身の回りのこともしっかり面倒見てくれる。」
「それはチャーリーよ。彼がサポートしてくれるから、私は今日迄やって来られたの。」

 スメアはほんのり頰を赤らめた。お酒のせいではあるまい。

「君は努力している。だから周囲の人間も君を助けてくれるんだ。努力しない人に手を差し伸べるのは馬鹿げているからね。」
「では、今の候補者も努力しているのよ、認めてあげれば?」
「君は彼が次の副長官にふさわしいと?」
「そうは言ってない。でも貴方が彼をふさわしい人間に育てることは出来るわ。」
「でも後一月しかないんだぜ?」

 スメアが言うところの「不完全な」執政官の1人が席を発ってハリスに近くのが見えた。ハリスはいろいろな酒を試していて、既に5杯目だった。飲むペースが速い男だ。近づいた男が何か話しかけた。ハリスがそれを適当に返答していなそうとした。相手は彼の返答内容が気に入らなかった様だ。また何か言い、ハリスと言葉のやりとりを始めた。
 ブラコフは気づかないふりをした。バーは「私生活」の場所だ。ここを取り締まるのは保安課で、執政官同士の良識に任されている。客同士の間で不穏な空気が生まれると、バーテンダーが止めに入るか、保安課に連絡を入れるのだ。ハリスともう1人の執政官との間の会話の内容が聞こえないし、喧嘩をしている雰囲気ではなかったので、彼はまたスメアとの会話に戻った。

「君は彼のどこを長所と見る? どこが彼に欠けている?」
「あら、私に訊くの? 判定するのは貴方なのよ。」
「そうだけど・・・」

 クスッとスメアが笑った。

「要するに、貴方は副長官の座を誰にも渡したくないのね。だから誰もが不合格に見えるのだわ。」
「そんなことはない・・・」
「私の前任者のロッシーニ・ドーマーはあっさりと席を譲ってくれたわ。彼の目から見れば私は足らないところだらけで、今もきっとそうなのでしょうけど、でもあの人は往生際が良い人だった。」
「ロッシーニ・ドーマーはまだここにいるし、君が困難に直面すればいつでも助け舟を出せると思ったからじゃないか?」
「そうは思わない。彼は執務室に一度も戻って来ないもの。ずっと教育棟で子供達の教育にエネルギーを注いでいるわ。秘書の仕事は完全にチャーリーと私のもので彼は口出しすべきでないと信じているのよ。だから、貴方も彼に副長官の椅子を譲ったら?」

 その時、カウンターの端っこでハリスが声を荒げた。

2018年4月21日土曜日

泥酔者 10 - 1

 ブラコフ副長官の後任候補は2名になった。1人は実地見学をして、行政上の仕事が多く研究者としての活動が難しいと判断して辞退したのだ。無理もないことだとケンウッドは思った。彼も副長官就任以来、研究者としての活動を殆ど出来ないでいた。長官になってからは、硏究着に袖を通したこともない。それなのに、ドームを卒業していく執政官達は皆異口同音に、「いつかケンウッド博士が女の子誕生の鍵を見つけて下さいますように」とお題目の様に唱えて去るのだ。
 残された短い日々で後任を決めなければならないブラコフは2名を2週間ドームで実際に生活させることにした。秘書と共にドーマー達の管理をする訳だ。ドーマー達は決して新入りを甘やかしたりしない。候補者達は客ではないのだ。これから彼等自身の生活の便宜を図る仕事をする人間だから、甘い顔をしてはいけないと承知している。面倒臭い用事や細かな事柄に関する苦情や要求を遠慮なく副長官執務室に連絡してきた。
 ブラコフは彼自身の身辺整理に忙しく、秘書と候補者に仕事を任せることにした。決して放置した訳ではないが、監視を怠ったかも知れない。
 3日目に女性候補が明日宇宙へ帰ります、と伝えに来た。理由を問うと、男ばかりの世界にどうしても慣れないと言った。執政官には女性も多いし、出産管理区では女ばかりだと言ったが、出産管理区で寛ぐ訳ではないから、と言われた。彼女の専門分野の研究室が男性ばかりだったのも原因だった。研究者としての時間を持とうと硏究フロアに行っても、男世界で入って行けないのだと言う。部門によっては女性しかいないフロアもあるので、彼女は不運だった。彼女が孤独を感じてしまったことを、ブラコフは気づいてやれなかったと後悔した。
 男性候補者はライバルがいなくなって頑張ったが、能力的にイマイチ、とブラコフには思えた。

「貴方は完璧を求め過ぎるのではありませんか?」

とケンウッドの秘書ジャクリーン・スメアが意見を言った。

「何もかも完璧に職務をこなせる人が副長官になったら、長官が却って気疲れされますよ。」
「そうかな?」

 彼とスメアはコロニー人だけが利用できるバーで飲んでいた。ドーマーは金曜日の夜しか入店許可されないので、コロニー人しかいない。バーテンもコロニー人だ。しかしブラコフは金曜日にのみ登場するドーマーのバーテンダーが作るカクテルが大好きだった。今夜はコロニー人のバーテンダーしかいないので我慢だ。

「僕は不完全だった?」
「人間は誰でも不完全です。貴方が求めている完璧な人なんていません、と私は言いたいの。」

 と、入り口に目をやったスメアが顔をしかめた。

「不完全の見本が来たわ・・・」

 ブラコフがそちらを振り向くと、4、5名の執政官が入ってくるところだった。あまり硏究に熱心と言えない博士達で、経歴に箔を付ける為に働いているのだ。ドーマー達も相手にしない。彼等はテーブル席に陣取ると、いろいろと注文を始めた。

「ドーマーだけでなく、ああ言う研究者の管理もしないとね。」

とスメアが呟いた。ブラコフはコロニー人の管理は長官がしていてくれたなぁと思った。はっきり役割の線引きをしている訳ではないが、厄介な研究者の相手はケンウッドが引き受けていた。もしかすると、ケンウッドは副長官時代からそれをしていたのではなかろうか? 先代の長官ユリアン・リプリーは人間嫌いで、人員管理が苦手だった。
 ブラコフが2杯目に手を付ける頃に、レイモンド・ハリスが入って来た。

2018年4月20日金曜日

泥酔者 9 - 8

 たっぷり1時間経ってから、ビル・フォーリー・ドーマーは運動施設へ出かけた。夜の運動をする人々が体力維持に努めている中を歩き、フィットネスバイクで競っているハイネ局長とヤマザキ医療区長、それにジェレミー・セルシウス・ドーマーの3名を見つけた。ケンウッド長官がいてくれたら良かったのに、と思ったが、長官は副長官の交代人事でこのところ忙しい。それに新執政官ハリスの研究室の問題もある。まだ執務室での仕事が忙しいのか、今夜は姿が見えなかった。
 フォーリーが近くで立ち止まってこちらを見たので、セスシウスが目敏く気づいて局長に目配せした。ハイネが足を止めた。

「何か報告か?」

 ヤマザキは執政官の粗探しをするのが仕事の男をチラリと見て、気づかないふりをした。同じく足を動かし続けるセルシウスに少し「走行距離」で負けていると知って、気張って見せた。セルシウスが苦笑した。
 フォーリーがハイネに近づいた。ヤマザキに聞かれて構わない内容だったので、報告した。

「今日の夕方、局員ワグナー・ドーマーが空港で2名のコロニー人男性から声を掛けられました。彼等はハリス博士を探している様子だったとのことです。」

 そこで彼は口を閉じた。それ以上の報告はなく、ワグナーもそれ以上知らないのだ。ハイネはヤマザキを振り返った。ヤマザキもハリスの宇宙での素行について多少の知識をケンウッドから与えられていたので、足を止めた。

「取り立て屋の遣いだよ、ドーマー君達。借金を踏み倒して逃亡した人間を捕まえて金貸しの元へ連れて行くハンターだ。」
「捕まった人はどうなるのです?」

 とセルシウス。ヤマザキはちょっと考えるふりをした。

「まぁ、ボコボコにされるか、空気のない場所に放り出されるか・・・」
「労働させて借金を返済させると言うことはしないのですか?」
「働いて返せる額だったらねぇ。」

 ドーマー達は借金に無縁だ。ヤマザキはこのドームが永遠に世俗の汚い習慣から隔離されていれば良いのに、と思った。



2018年4月19日木曜日

泥酔者 9 - 7

 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが妻のキャリーと共に一般食堂に現れた時、仲間の夕食会は既に散会しており、ポール・レイン・ドーマーも残った仕事を片付ける為に本部に戻った後だった。
 ワグナーは料理を取ってから、離れた場所にハイネ局長とヤマザキ医療区長、別のテーブルにフォーリー内務捜査班チーフがいるのを見つけた。彼は少し迷ってから、テーブルにトレイを置き、妻に「直ぐ戻るけど、先に食べて良いよ」と言った。そしてフォーリーのテーブルに近づいて行った。

「こんばんは、フォーリー・ドーマー。ちょっとお時間頂けますか?」

 ビル・フォーリー・ドーマーはいつも1人で食事をするのが好みだ。仕事では常に部下からの報告に耳を傾け、書類に目を通す忙しい時間を過ごすので、食事時ぐらいゆっくりしたいのだ。だから局員の申し出に、内心チェッと思ったが、横柄にならないよう心掛けて頷いて見せた。滅多に後輩が声を掛けてこないのだから、声を掛けてくると言うことは何か報告すべき事案があったのだ。
 ワグナーが向かいの席に座った。

「重要事案ではないと思いますが、ドーム内の人に関係することです。」

と断って、夕方空港で声を掛けてきた2人連れのコロニー人との会話を正確に再現して聞かせた。フォーリーは食事する手を休めずに聞いていた。そしてワグナーが、

「宇宙で何があったのか知りませんが、あの博士は当分出かけない方が良いみたいです。」

と言うと、やっと顔を上げた。

「コロニー人が何をしてどんな目に遭おうと、地球に悪影響さえ与えなければ我々の関知するところではない。」
「ごもっともです。」

 ワグナーは取り敢えずハリスが問題を抱えているらしい情報を上司に伝えたので、席を発とうとした。するとフォーリーが独り言に様に呟いた。

「幹部に報告しておく。レイモンド・ハリス博士は今朝の執政官会議で正式に執政官になられたから、それなりに警護の必要が生じる。」

 ワグナーは黙礼して席を発った。そしてフォーリー・ドーマーに面倒臭い仕事を押し付けてしまったのではないだろうか、と内心反省しながら妻のいるテーブルに向かった。


2018年4月18日水曜日

泥酔者 9 - 6

 遺伝子管理局の局員達は、内勤の日は午後3時頃にデスクワークを終え、夕食迄の数時間を運動施設で体力作りに勤しむのが日課だ。しかし外勤務から帰って来た日は、いつ帰ってくるかで行動が決まる。レインは局長執務室を退室するとまっすぐ一般食堂に向かった。先に食事を済ませてから本部に戻って部下の報告書を整理するつもりだった。運動は休む。明日は抗原注射の効力切れ休暇で体が動かないので、今夜のうちに面倒な書類仕事を片付けるのだ。
 食堂でテーブルに着くとすぐにジョージ・ルーカス・ドーマーや数名の部下が来て同じテーブルに着いた。彼等は集まることでコロニー人のファンクラブ等、有難くない支援者の邪魔を防ぐのだ。副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーは妻のキャリー・ジンバリスト・ワグナー・ドーマーを待っているのか、現れなかった。これもいつものことだ。キャリーは精神科医なので、患者次第で帰宅時刻が変化する。
 レインは食べながらベーリング一家の買い物内容を調査する指示を出した。

「あの周辺で買い物をするとしたら、ニューシカゴか、セントラルでしょう。」
「ニューシカゴは大きな町だがベーリングのクリニックからは遠くないか?」
「セントラルはうちの中西部支局がある。メーカーがそんな場所に現れるか?」
「灯台下暗しだ。」
「サウスリヴァーと言う町があるぞ。2、30年前にできた新しい町で、ショッピングモールがある。メーカーも潜伏しそうな賑やかな土地だ。」
「砂漠の近所に新興の町があるのか?」

 レインは内心驚いた。住民登録調査でそんな町を検索した記憶がない。

 まさか、ダリルはそこに?

  彼は心の中で町の名前をメモした。セントラルは空港があるので中西部支局に特に用事がなくてもあの地方へ行く時は必ず通る。裕福な牧場経営者等が多いので、女性の姿も頻繁に見かける。若い女、少女も平気で闊歩する町だ。ベーリングが作ったかも知れない女の子が出かけても不思議はない。だがサウスリヴァーと言う土地は初耳だ。端末で検索すると、ちゃんと表示された。大異変前に大きな町があったらしく、ショッピングモールはその跡地利用だった。辺鄙な場所かと思ったが、幹線道路が通っており、長距離トラックやバスが休憩するドライブインが発展して町になったと情報ページにあった。
 レインは自身の足でその町を訪ねて見ることにした。

 

2018年4月17日火曜日

泥酔者 9 - 5

 班チーフになると局長執務室への出入りが多くなる。入室許可は第2秘書のアルジャーノン・キンスキー・ドーマーが出す。この人は取り立てて大きな特徴がなく、物静かで真面目な男だ。第1秘書のネピア・ドーマーの様に目下の者に厳しくもなく、局長に心酔している風にも見えなかった。しかし秘書としての能力が優れているから局長に引き立てられたのだ。ポール・レイン・ドーマーはキンスキーを侮るまいと気をつけていた。
 部下達の報告書は帰りの航空機の中で書かれ送信されているので、チーフの仕事は局長がそれらの報告書に目を通して感想や意見を述べるのを聞くことだ。局長から質問があれば答えるし、逆に局長にアイデアをもらうこともある。ハイネ局長はどんなに忙しくても、必ず部下の報告書のチェックを怠らない。
 キンスキーが入室を許可したので、レインは局長執務室に入った。もう直ぐ夕食の時間だが、局長はまだコンピュータの前で仕事をしていた。レインが机の前に立って名乗っても直ぐには顔を上げなかった。
 レインは背筋を伸ばして立ち続けた。直立不動の姿勢になる必要はないが、座れと言われないので立っていた。
 ハイネがファイルを閉じて、顔を上げた。

「楽にしなさい。自由に座って良いと、前にも言った筈だ。」
「はい・・・」

 本当は局長が報告書に何も言うことがなければ直ぐ退室するつもりで立っていたのだ。レインは何か言われるのかと身構える気分で椅子に腰を下ろした。局長はとっくに報告書を全部読んでしまっており、特に彼が口出しする様な事件も事案もなかったので、気軽な口調で話しかけた。

「ベーリングと言う医師がメーカーで、女子誕生の方程式を開発したらしいのだな?」
「そうです。しかし確認に手間がかかりそうです。彼のクリニックは砂漠の辺鄙な場所にあり、客や患者しかそんな場所に近づきません。我々が行けば、直ぐ遺伝子管理局とわかるでしょう。証拠を隠滅する時間を与えてしまいます。」
「それで?」

 ハイネはコンピュータのスクリーンの陰でスティックチーズを出して、包みを剥がし始めた。食堂以外は喉を潤すお茶以外は飲食禁止なのだが、実際のところドーマー達はそれぞれの職場でこっそりオヤツを食べており、遺伝子管理局も例外ではなかった。
 レインは微かにチーズの匂いを嗅いだ。また局長の病気が出ているな、と思った程度で、彼は気にしなかった。
 ハイネが続けた。

「君は既に対策を考えているのだろう?」
「はい。何者かが女性を創る方程式を開発した噂は既に巷に流れています。ですから、私はベーリングの名を明かしてやるつもりです。メーカー同士でその方程式を奪い合うでしょう。連中を共倒れにしてやります。」
「方程式は?」
「ドームが200年かけて解けない謎を、巷のメーカーが解けたとは思っていません。」
「君はガセだと思うのだな?」
「はい。メーカー同士戦わせて殲滅させるつもりです。方程式など幻ですよ。」
「幻か・・・」

 ハイネはスティックチーズを手元に置き、引き出しからキューブ型のチーズを出して、レインに「取れ」と言って投げ渡した。レインは不意打ちを食らった気分で慌ててチーズを受け止めた。

「ミニミニカマンベールだ。小さいが美味いぞ。」
「有り難うございます、頂きます。」

 食堂以外では食べられないので、レインはその場でチーズを口に入れた。空腹だったので、一口サイズのチーズは実に美味しかった。それにしても、局長は何処からこんな物を調達するのだろう。
 
「その幻だが・・・」

とハイネが話を仕事に戻した。

「いつから噂が流れているのだ? 最近なのか、もっと以前からなのか? 先日君から話を聞いた時は、古くから流れていた噂の様だったが・・・」
「確証はありませんが、10年以上前から中西部のメーカーの間で噂になっているそうです。」
「もしそれが本当なら、10年以上も前に方程式が完成しているのに、何故そのベーリングとやらは、女の子を量産しない?」

 レインはチーズを飲み込んだ。

「そこなんです、俺が方程式の話は眉唾物だと思う理由は・・・」

 ハイネはスティックチーズを一口齧って飲み込んでから、言った。

「方程式はないのだろう。しかし、女の子は生まれたのではないか?」
「ええ?」

 レインは思わず局長の顔を見つめた。ハイネはチーズの先端を眺めながら続けた。

「ベーリングは偶然女の子のクローンを作った。しかしどうして女の子が生まれたのか、わからない、彼自身が方程式を解こうと躍起になっているのかも知れない。」

 レインは考え込んだ。

「あの地方で女の子の住民登録を調べましょう。」
「ベーリングが娘の出生届けを出していれば、見つけるのは簡単だが・・・」
「出生届けを出していなくても、探る方法はあります。」

 彼は箱入り息子のボスにそれとなく教えた。

「女の子がいる家庭は、男しかいない家庭とは、買い物の内容が違うのです。」


2018年4月16日月曜日

泥酔者 9 - 4

 ゲートでの消毒を終えて新しく支給された衣服を身につけながら、ポール・レイン・ドーマーは副官のクラウス・フォン・ワグナー・ドーマーに尋ねた。

「さっき、外で君に話しかけたのは、収容中の女性の身内か?」
「いいえ、コロニー人です。」
「コロニー人?」

 レインは眉をひそめた。地球人の男性なら、遺伝子管理局に用事があってもおかしくない。お産で収容されている妻の様子を尋ねたり、妻帯許可申請を通してくれと嘆願するのだ。しかし、コロニー人が接触してくるのは珍しい。殆どあり得ない。コロニー人は直接ドームの中の人間と通信で話をする。

「観光に来た人か?」
「いいえ・・・ハリス博士はこのドームにいるかと訊いて来たのです。」
「ハリス・・・?」

 レインは忙しかったので、暫くあの問題児の学者の存在を忘れていた。ああ、まだあの男はここにいたのか、その程度の認識だった。

「博士の身内か?」
「そうは思えません。なんだかキナ臭い感じで、僕がドームの中の情報は言えないと言っても、しつこくいるのかいないのか教えて欲しいと言いました。博士を探してアフリカや西ユーラシアにも行ったとかで・・・」

 レインもワグナーも、レイモンド・ハリスが賭博に関わって借金を作り、返済出来ずに地球に亡命して来たとは夢にも思わなかった。しかし、地球を半周してまで探しているとなると、重要な要件なのだろう。
 ワグナーは、ハリスの身分がまだ未登録住民であるので正規住民にハリスはいないと答えた、とレインに告げた。
 レインはハリスを探している男達は、「追っ手」なのだろうと、見当がついた。何故ハリスが追われているのか知らないが、予定より1ヶ月も早く地球に来たこと自体がオカシイ。早く来なければならなかった理由があるのだ。
 ハリスは罪人か? ケンウッド長官達幹部は何か知っているだろうか?
 レインはメーカーの捜査に没頭したかった。セイヤーズ捜索を忘れた訳ではないが、たまには正規の任務に我を忘れて取り組みたい時もある。ハリスごときくだらないコロニー人の身を心配してやる暇はなかった。

「ハリスを探している人のことは、保安課か内務捜査班にでも報告しておけば良い。あの先生には関わるなと局長から通達があっただろう?」
「そうでしたね。」

 ワグナーは、たまには内務捜査班のオフィスを覗いて見ようか、と暢気に考えた。


2018年4月15日日曜日

泥酔者 9 - 3

 北米南部班の3チームが外勤務からドームに戻ったのは翌日の午後だった。航空機から降りて空港の建物内をドームに向かって移動している彼等に声をかけた者がいた。

「ちょっとお尋ねするが、貴方達は遺伝子管理局の人なのかな?」

 クラウス・フォン・ワグナー・ドーマーが足を止めた。声を掛けて来たのは2人連れの男でビジネススーツを着ていたが、あまり馴染んでいない。民間の地球人ならわからなかっただろうが、ワグナーはドーマーだ、地球人とコロニー人をすぐに見分けることが出来た。
 彼は空港の滑走路を窓越しに見た。シャトルの姿が見えない。搭乗用ウィングに着けている航空機は地球上を移動するものだけで、そのうちの1機は大西洋を渡って来た飛行機だった。

 地球を旅しているコロニー人なのか?

 コロニー人が地球に滞在するには2種類の許可証がある。商用と観光の短期滞在許可証と、学術的研究の為の長期滞在許可証だ。ドームで働いているコロニー人は全員後者の許可証を取得している。それは施設メンテナンスを行う技術者も同じだ。
 目の前にいる2人は、研究者に見えなかった。それにドームに宇宙から客が来たのであれば、シャトルが空港にいる筈だ。ドームに来る予定のないコロニー人は、観光客か貿易関係の人間だが、彼等はそれのどちらにも見えなかった。
 ワグナーは用心深く答えた。

「アメリカ・ドーム遺伝子管理局の局員ですが、何か御用ですか?」

 質問して来た方の男が、頷いて、また尋ねた。

「こちらのドームに、レイモンド・ハリスと言う学者がいるだろうか?」

 なんとなく上から目線で話しかけられているな、とワグナーはぼんやりと感じた。彼はハリスの姿を見たことがあったし、噂にも聞いていた。しかしドームの中のことを外部で喋るのは規則違反だと承知していた。ドーマー達は外へ出る時に、この規則を厳守することを義務付けられるのだ。それはドームを卒業して去って行った元ドーマー達にも一生着いて回る規則だった。
 ワグナーは相手の目を見て答えた。

「ドームの中の人々に関する情報をお話することは出来ません。失礼します。」

 すると、もう一人の男が尋ねた。少し丁寧な口調だった。

「ハリス博士がいるかどうかだけでも教えて頂けませんか? 我々は彼を探してアフリカと西ヨーロッパを3日で回って来たんですよ。地球には4日しか滞在出来ないのでね。」

 ワグナーは歩き出しながら言った。

「ハリスと言う執政官はいません。」
「執政官ではなく研究員かも知れない・・・」
「ドームの正規住民に、ハリスと言う人はいませんよ。」

 彼は嘘を言っていない。レイモンド・ハリスは仮許可でドームに滞在しているだけで、執政官会議での正規住民承認待ち状態だ。
 2人のコロニー人は顔を見合わせた。遺伝子管理局の男達はドームのゲートに向かって歩いている。ドームが外部の人間の侵入を決して許さない鉄壁の守りを持っていることは、アフリカ・ドームや西ユーラシア・ドームで彼等2人は経験済みだった。予約や内部の身元引受人がなければ絶対にゲートを通してもらえない。
  ワグナーが彼等の話し声を聞き取れない距離まで遠ざかると、男の1人がもう片方に考えを述べた。

「さっきの地球人は、『正規住民』と言ったな。ハリスは本当は明日地球に渡航する予定だったんだ。債権者に捕まるのを恐れて、1ヶ月早く渡ったんだからな。もしかすると、正規ではないまま、滞在を許されている可能性がある。」

 彼の相棒がゲートの中に消えていくダークスーツの地球人の集団を見送りながら呟いた。

「それなら、このゲートの周辺で暫く様子を見ることにしよう。あの男が規則に厳格な地球のドームに耐えられずに出て来るのを待つのみだ。」
「だが、俺達の許可期間は今日が期限だ。交代要員がいる。」




泥酔者 9 - 2

 車内でレインはトリスタン・ベーリングを検索した。ウェスト・セント・ルイスから西に300キロほど行った山地にある小さな町に住んでいるとデータベースに出てきた。
ベーリング夫妻はちゃんと住民登録されているし、遺伝子登録もされている。妻は正真正銘のドームで生まれたクローンだ。夫妻には男の子が一度生まれたが、3歳で病死していた。その後子供はいない筈だ。
 ベーリングの職業は医師。しかも男性機能回復のクリニックを経営している。メーカーとして違法クローンを製造するにはもってこいの職業だ。客は少なくないだろうし、クローン製造の為の細胞も簡単に得られる。
 レインは情報屋から得たイメージの中の建物を思い起こした。そしてベーリングのクリニックを検索すると、同じ写真の建物を端末画面で見ることが出来た。
 彼はそれをジョージ・ルーカス・ドーマーに見せた。

「クリニックにしては大きな建物ですね。入院施設も兼ねているのでしょうか?」
「メーカーなら、その程度のカムフラージュはやるだろうな。」
「自宅も兼ねているかも知れません。」
「周囲に店も他の施設もないのに、女性が退屈しないか? 彼は妻帯者だ。」
「奥さんを他の男から守るために要塞を造ったのかも知れませんよ。」

 レインは考え込んだ。乗り込んで行って、「メーカーですか」とは訊けない。ましてや女の子を作る方程式を開発したかなど、質問出来っこない。情報屋を信じるなら、方程式は素人が見てわかるものではないし、簡単に手に入るとも思えない。数式や分子構造の組織図などを、テレパシーで読み取れるほど高度な訓練を受けていないのだ。ポール・レイン・ドーマーはスパイとしての教育を受けたのではない。接触テレパスは親から遺伝した自然なもので、ドームは彼にテレパシー使用の際のマナーをみっちり教えたが、それをどう仕事に活かすかは教えなかった。仕事で使うか使わないかは、彼次第なのだ。
寧ろ上司や先輩達は、彼がテレパシーを使って活動することで余計な体力を消耗しないかと心配してくれる。テレパシーに頼らないで活動する方が評価が高いことをレインは承知していた。

「他のメーカーを探そう。」

とレインはルーカスに提案した。

「メーカー同士戦わせて潰し合いをさせるんだ。ベーリングが画期的な女性クローン製造の方法を開発したと噂を流す。技術を盗みたい連中がベーリングにちょっかいを出してくる。その隙に方程式の存在の真偽を確認する。」
「女性製造の方程式の噂は既に流れています。そいつがベーリングだとバラしてやるのですね?」
「うん。」


2018年4月14日土曜日

泥酔者 9 - 1

  ポール・レイン・ドーマーは北米南部班担当地域の中央辺りにあるウェスト・セント・ルイスと言う町のカフェで人を待っていた。同行しているのは部下のジョージ・ルーカス・ドーマー局員だ。映像撮影が趣味なので地方に出かけると色々な風景や住民の生活を記録撮影しているので、執政官達にファンが多い。美男子のというより才能のファンだ。今回の待ち人は撮影を嫌うだろうから、レインはルーカスにカメラに気づかれないように用心するよう注意を与えていた。ルーカスは手を握ると隠れてしまう小さなカメラを持っていた。遠望は無理だが近撮には効力を発揮する代物だ。
 苦い味が苦手のレインが、泥水の様な不味いコーヒーに辟易していると、やっとドアを開いて髭面の男が入って来た。約束の目印である赤いスカーフを首に巻いている。彼は遺伝子管理局のダークスーツを着た2人の若い美形の男をカウンターに見つけると、さりげない風を装ってレインの隣に座った。
 レインは内心はとても嫌だったが、カウンターの上に片手を出して置いた。男はコーヒーとホットドッグを注文して、黙って古い旧式の端末を出し、ニュースを見始めた。彼等は口を利かずにそのまま黙って座っていた。
 店内は昼時だったので、賑わっていた。コーヒーだけで座っている遺伝子管理局員には迷惑そうな顔をしながらも、店主は文句を言わずに仕事をした。局員に絡むと彼の養子の息子に嫁がこないかも知れない。それは嫌だった。妻帯許可を出して合格したのに、結局相手を見つけられずに、養子をもらったのだ。男手一つで息子を育てたが、同士が大勢いたので、それは辛くなかった。男の為に育児教室がどの町でも開かれているのだ。しかし、妻を得た男が羨ましいのは変わりない。息子にはそんな悔しい思いをさせたくないのだ。だから彼は遺伝子管理局がやって来て、コーヒー1杯で長居しても文句言わないことにしていた。
 ガヤガヤと賑やかに喋るテーブル席の客の声に紛れる様に、男が独り言を呟いた。

「4Xの方程式を完成させたのは、ベーリングと言う夫婦が率いているメーカーのグループだ。」
「ベーリング?」
「トリスタンとマルセルと言う夫婦だ。」

 男はそれだけ言うと、カウンターの上のレインの手に自身の手を重ねた。まるでレインの手を弄ぶ様に握り、レインが指の間に忍ばせていた紙幣を取って、自分のポケットに入れた。その間にレインの頭の中に痩せて岩やサボテンの荒野が見えた。荒野の中に平屋のガラスと鉄筋で出来た建物が建っていた。周囲に樹木が植えられ、噴水も前庭にある。お金をかけた建物だ。

 ベーリング夫妻の研究施設か・・・

 何処にあるかは、男は伝えて来なかった。しかしあまり遠くない場所だろう。
 男が立ち上がり、カウンターにコーヒー代を置いて出て行った。

2018年4月13日金曜日

泥酔者 8 - 6

 ブラコフは3名の候補者に来週もう一度面会して意識の変化を見て見ると言った。彼はそれ以上面接に関して言うことがなかったので、長官に「次へどうぞ」と言った。それでケンウッドは定時の業務確認をして、普段通りの時刻に打ち合わせ会を終わらせた。
 退官と面接のまとめで忙しいブラコフは打ち合わせを終えると、お先に失礼します、と昼食の為に長官執務室を出て行った。ハイネ局長は端末で彼自身の秘書とやり取りをしていたが、長官に報告すべき重要案件はなかった様子で、端末をポケットにしまった。

「昼食はどうされますか?」
「うん・・・一般食堂に行こうか。昨日は中央の方ばかりだったから。」

 2人は立ち上がった。ハイネがさりげなく言った。

「昨夜は挨拶もなくお暇してしまい、申し訳ありませんでした。」

 ケンウッドは小さく苦笑した。

「好きなだけ私を利用してもらって結構だ。あれからすぐ君の部屋に帰ったのかい?」
「ええ・・・少し寄り道しましたが・・・。」

 やはり彼女の部屋に行ったのだ。ケンウッドはそれ以上野暮な突っ込みをするのを止めた。
 彼等は中央研究所を出て一般食堂に向かった。食堂は昼の混雑が緩和される時刻で、テーブルに空きが出てくる頃合いだった。ハイネは機嫌が良かったので若い料理人を冷やかしてから青菜の翡翠炒めや茸の唐揚げなどの中国風の料理を取り、最後にデザートの卵プリンを皿に置いた。ケンウッドも海鮮と野菜の炒め物と牛肉の山菜の炒め物を取った。
今日は野菜の炒め物がたっぷりのメニューだった。2人は箸を上手に操り(ドーマー達は箸の使い方を幼児期に習う)中国料理を楽しんだ。

「そう言えば、遺伝子管理局に綺麗な中国系の局員がいたね。」

 ケンウッドは美少年趣味ではないが、研究者達の間でもっぱら噂になっている若者の話題を出した。小柄だが格闘技の腕はなかなかのものだと言う。なめてかかったコロニー人がこてんぱんにやられた話をすると、ハイネが嬉しそうに笑った。

「パトリック・タン・ドーマーですな。誰もが彼の外見に誤魔化されて、勝てると思うらしいのです。」
「ドーマー達は皆外見より中身が素晴らしいのだが、それを理解出来るコロニー人は少ないなぁ。」

 ケンウッドはちらりと食堂の奥を見た。そこにポール・レイン・ドーマーのファンクラブの面々が集まっているのが見えた。殆どが執政官だ。レインを取り囲んで機嫌を取ったり他愛のない会話を楽しむ連中だ。しかしこの日レインは外に出かけているのか、姿が見えなかった。だからファンクラブも大人しくしているのだった。

「レインのファンクラブの創設者はヘンリーなのだが・・・ヘンリーはドーマーの外見が好きだったが、内面もしっかり理解していた。今のファンクラブを見たら嘆くだろうなぁ。」
「ヘンリーは時の流れも理解していますよ。もしここに彼がいたら、また別のファンクラブを創ったでしょう。」

 ケンウッドはヘンリー・パーシバルがまた月の執行部で働くことになったことをまだハイネに教えていなかった。月に戻ってくるからと言って地球に来るとは限らない。余計な期待を抱かせてがっかりさせたくないのだ。
 ケンウッドは情報の代わりに冗談のつもりで言った。

「そうだな、次は君のファンクラブでも創るんじゃないかな。」

2018年4月12日木曜日

泥酔者 8 - 5

 フォーリー・ドーマーは、長官がどうしてもハリスに我慢出来なくなった時は遠慮なく申し出て下さい、と言った。執政官を追い払う手なら何でも考えつくから、と恐ろしい冗談を言って長官執務室を退室して行った。
 昼前の打ち合わせ会にブラコフ副長官とハイネ局長が2、3分の時間差で現れた。ケンウッドは彼等にハリスの身元照会の結果を真っ先に報告した。2人共、滑稽なほどがっかりした。余程ハリス博士のことが気に入らないのだ。しかし、合法的に追い払えないとわかると、何もコメントしなかった。
 ケンウッドはハリスの件を終わらせると、ブラコフに改めて向き直った。

「3人の候補者から適材は見つかったかね?」

 ブラコフが難しい顔をした。

「優劣をつけがたいです。」

 するとハイネが尋ねた。

「これと言う逸材がいないと言うことですな?」
「ええ・・・まぁ・・・」

 ブラコフが曖昧な笑を浮かべた。

「研究者としては、3人共素晴らしい功績を学校や先の職場で挙げています。しかし、副長官と言う職に適材かと考えると、僕の欲目かも知れませんが、みなさんどこか物足りないのです。」
「足りない?」
「研究者としては優秀な方々なのですが、副長官は研究だけでなく、ドーム内の生活環境の整備やドーマー達の健康管理が仕事です。あの方達はそれがなかなか呑み込めない様で・・・ドーマーがコロニー人と対等の権利を持つ地球人だと言うことは理解してくれたのですが、研究用の特殊な存在だと言うことと人間だと言うことが頭の中で両立しないらしくて。」

 確かに、ドームで働いたことがないコロニー人や地球人にはドーマーの存在意義を理解するのは難しいかも知れない。ドーマーは人間で、権利も義務もドームの外の人間と変わらない。しかし、研究用に育てられるので、ドームが「所有する人間」であり、ドームの外の地球人にはドーマーと言う存在を知られてはいけないし、選挙権と納税義務はない。
ドーマーは研究の名の下では、人間であることを「休止」して素直に検体を提供し、実験に協力する。その見返りにドームは彼等を大切に庇護する。

「執政官はドーマーの親でなければならない、と言うのがなかなか理解してもらえないのです。親は子供に命令出来ますが、同時に子供を愛して守らなければなりません。コロニーから来た人には、何故コロニー人より丈夫で筋力の強い地球人を庇護しなければならないのか、年上のドーマーをどうすれば子供扱いできるのか、と悩む様です。」

 ケンウッドは溜め息を付いた。

「それで? 採用したい人は見つかったのかね?」


2018年4月11日水曜日

泥酔者 8 - 4

 次の日、ケンウッドは久しぶりに「普通の日」を過ごした。朝起きると早朝運動に出て、シャワーを浴びて朝食を摂り、執務室で仕事をした。
 月の本部からレイモンド・ハリスの経歴に関する返答が来たが、それは深刻な問題と思えない内容だった。
 ハリスの専門は「骨の形成」。しかし彼は博打や借金で職場に長く居られないと自覚したのだろう。地球へ亡命する為に、地球人類復活委員会が求める染色体の研究者となる為に通信講座で勉強を始めた。彼が選んだテーマが「紫外線と染色体」だったのだ。取り立て屋から逃げる為に、本来の専門を敢えて口に出さずに、まだ学生の段階でしかない副専攻を看板に掲げている訳だ。
 ケンウッドは執務室に遺伝子管理局内務捜査班チーフ、ビル・フォーリー・ドーマーを呼んで、この件を伝えた。フォーリーはハリスが様々なところで住人に不愉快な思いをさせているので、借金や博打や飲酒、経歴詐称と聞いても驚かなかった。

「真面目に研究されるのでしたら、我々は長官の判断に従う迄です。」
「私は彼を上手く使いこなす自信がないよ。」

 ケンウッドは珍しく弱音を吐いた。

「あの男は不愉快だが法的に違反をした訳じゃない。追い出したくても追い出せないのだ。」

 フォーリーは滅多に感情を顔に出さない。しかし目に同情の眼差しを浮かべた。

「うちのボスの様に無視なさる訳に行かないのですな。」
「遺伝子管理局とハリスは今の所接点がないからなぁ。」
「それに取り立て屋に捕まると、あの男の生命は危険に曝されるのですな?」
「うん。」

2018年4月10日火曜日

泥酔者 8 - 3

 食事中の話題はその日生まれた赤ちゃん達の話だった。アイダは嬉しそうに赤ん坊の誕生の瞬間の話をするが、ハイネはちょっと退いている。帝王切開の出産シーンを一度目撃して以来、少々苦手意識を持っているのだ。ケンウッドは興味があったが、男があまり熱心に聞くのもどうかと自身でセーブして、突っ込んだ質問はしなかった。

「しかし、今日の赤ん坊達が全員丈夫な子達で良かったですね。」

 ケンウッドは、そのうちの何人が取り替え子で養子に出されるのだろうと思ったが、口に出さなかった。ハイネは明日の朝一番の仕事の対象なので、頭の中で話題に登った新生児の数を数えていた。そして徐に言った。

「予定より3人多かったのですね。」

 アイダが頷いた。

「予定日より遅れて産まれた子が5人、今日産まれなかった子が2人、差し引きで3人多くなりました。早産はありませんでした。」

 ケンウッドが苦笑した。

「これでは世間話なのか業務報告なのか、わからないな。」
「申し訳ありません。私は根っからの産科医ですので。」

 アイダも笑った。ハイネはそんな彼女の笑顔を見て微笑した。
 食事が終わると、ケンウッドは眠気を感じた。

「今日は疲れたので、運動をサボらせてもらいます。アパートに帰って寝ますよ。」
「私も右に同じです。」

 アイダもそう言うので、ハイネはちょっと考えるふりをした。

「私も今朝は普段より早起きしたので、休みたいと思います。」

 3人共同じ妻帯者用アパートで一人暮らしをしているのだ。ケンウッドは後の2人が2人だけになりたいだろうと思いつつも、結局3人揃って帰ることにした。帰る、と言ってもアイダ・サヤカにとっては初めて入る部屋なのだが。
 人形で満載のカートを押す彼女を挟んでケンウッドとハイネはゆったりとした歩調でアパートに向かって歩いた。途中で出会った人々が人形を見て驚き、ある者は欲しがったので、アイダは好きな物を取って下さい、とサービスしながら歩いた。
 お陰で、歩いても10分足らずの距離を半時間掛けてしまった。
 エレベータで3階迄登った。ハイネの部屋は最上階だが、彼はケンウッドとアイダと共に3階で降りた。お休みの挨拶をして、ケンウッドは自室のドアを開けた。するとハイネが、一度はアイダの部屋の方向へ行きかけたのに、向きを変えて彼の後ろをついて部屋に入ってきた。
 どうした?とケンウッドが尋ねようとした時、通路の向こうでクラウス・フォン・ワグナーがアイダに挨拶する声が聞こえた。ワグナー夫妻はアイダの新しい部屋のお隣さんなのだ。ハイネは部下と鉢合わせしたくなくて、慌ててケンウッドの部屋に退避したのだ。
 可愛いヤツだ、とケンウッドは心の中で笑った。これからは、度々局長が3階を訪問する口実に使われるのだろう。
 ケンウッドは疲れていたので、ハイネにも来客用の狭い部屋を使って良いと言ってから、その部屋が彼のコレクションの倉庫になっていることを思い出した。
 ハイネは小部屋の書棚に並ぶ女性の形の人形を眺めた。色々な人形が並んでいる。全部地球製で、それも伝統的な工芸品だ。美術品の範疇に入るものもあるが、高価なので数は少ない。几帳面にケンウッドはそれらを購入したり贈られたりした日付や場所、贈り主、製作者などを記録したタグを付けていた。
 ケンウッドは訊かれもしないのに説明した。

「出張で地球の各地へ行った時に購入したんだ。土産物店で売っている安物が殆どだよ。女性が生まれない惑星であっても、人形は女性の形が主流なんだ。きっと古代から、人形は女の子の成長を願うその土地その土地の文化の表れなのだろうね。」

 ハイネは土偶のイミテーションを眺めた。

「これも女性ですか?」
「女性だ。きっと母親を表している。子孫繁栄や、作物の豊かな実りを祈願したのだろう。」

 好きにしなさい、と言って、ケンウッドはシャワーを浴びた。浴室から出ると、もうハイネは姿を消していた。自室に帰ったのか、彼女の部屋に行ったのか、それは不明だったが、ケンウッドは詮索するつもりもなく、ベッドに直行した。






2018年4月9日月曜日

泥酔者 8 - 2

 後ろを振り返ったハイネ局長は困惑の表情になった。

「何ですか、あれ?」

 食堂の入り口にアイダ・サヤカが現れたのだが、彼女はカートを押していた。通常は書類や薬品を運ぶ手押しのカートだ。その上にぬいぐるみや人形や何かモコモコした物が積み上げられていた。彼女のそばに居た執政官が声を掛け、彼女が何か答えると、その執政官は入り口から入ってすぐの壁を指差した。彼女は頷き、礼を言ったのだろう、ちょっと頭を下げて、カートをその壁の際に停めた。それから配膳コーナーへ歩いて行った。

「人形だろうなぁ・・・」

 ケンウッドも彼女がそんな物をカートに積んで現れた理由がわからない。支払いを済ませた彼女が食堂内を見回したので、彼はハイネの代わりに手を挙げて場所を示した。アイダがテーブルにやって来た。ケンウッドとハイネは立ち上がって彼女を迎えた。

「こんばんは、長官、局長。」
「こんばんは、アイダ博士。」
「こんばんは、博士。今朝空港で別れてから、随分長い時間が経った様な気がするよ。」
「私もです。」

 彼等は着席した。ケンウッドは既に料理に手をつけていたが、取り敢えず3人は葡萄ジュースで乾杯した。ハイネが興味深げに尋ねた。

「あのカートの品物は何です?」
「人形やぬいぐるみですよ。」
「それはわかっています・・・」
「ドームでお産をした女性達が時々送ってくれるのです。世話になったお礼とかで。保管場所がなかったので、私のオフィスに置いていたら、どんどん溜まってきてしまい、辞表を出した時に、あんな物が部屋にあったら次の区長が困るだろうと思って、片付けることにしました。綺麗な物は出産管理区に置いて、妊産婦達の励みになるインテリアにするつもりです。余った物は、養育棟に寄付します。選別の為に、部屋に持って帰るつもりなのです。」

 それから彼女は説明を補足した。

「贈り物の宛名は私だけではありません。執政官達やドーマー達のものもあります。彼等の了承を得て、私が処分と管理を任されたのです。」

 ハイネが不安そうに尋ねた。

「今夜、選別なさるのですか?」
「急がないので、日を掛けてゆっくりします。」

 ハイネの肩から力が抜けたので、ケンウッドはもう少しで笑うところだった。ローガン・ハイネは「新婚初夜」をぬいぐるみに奪われるのではないかと心配したのだ。


泥酔者 8 - 1

 夕方迄ケンウッドは執務室で仕事をしたが、月の人事部からの返事はなかった。彼は疲れたので部屋を締めて夕食に出かけた。月から連絡があれば端末に知らせが入るし、緊急でなければ向こうもドームの朝迄待ってくれる。秘書達からも早くアパートに帰って休んでくれと催促されたので、中央研究所の食堂へ行った。
 普段のケンウッドの食事時間より少し早くて、中央研究所の食堂はコロニー人達で賑わっていたが、ドーマーの幹部達も所々で座っているのが見えた。元遺伝子管理局長秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーも妻と一緒に仲良く夕食を摂っていた。ドーマーの幸せはケンウッドの幸せだ。ケンウッドは彼等を微笑ましく眺め、それから自身の食事を確保して空いているテーブルを探した。
 出産管理区の壁から一番遠い、出口に近いテーブルが空いていたので、そこに席を取った。座って間も無く、珍しくローガン・ハイネ遺伝子管理局長が現れた。食堂内を見渡し、ケンウッドが一人でいるのを見つけると、自身の料理を取ってテーブルにやって来た。

「こんばんは。同席を許可願えますか?」
「勿論!」

 ケンウッドは正面に彼が座るのを見ながら、この時刻にここへ来るのは珍しいね、と言った。ハイネが澄まして答えた。

「テーブルを確保しに来たのですが、貴方の場所しか空いていなかったので。」

 ケンウッドは苦笑した。

「要するに、デートだな?」

 心なしかハイネの頰がピンク色に染まった。そして局長は照れ隠しに言い訳した。

「一般食堂に、例の男がいたので、同じ場所で食べたくなかったのです。」
「ああ・・・あの男か・・・」

 それ以上話題にしたくなかったので、ケンウッドもハイネも別の話題を探して数秒間黙り込んだ。
 やがて、局長が尋ねた。

「長官のお部屋も同じ棟でしたね?」
「Cー307だ。確か、アイダ博士の新しい部屋はCー310だったと思う。ワグナー・ドーマー夫妻の309の隣だ。」
「良いフロアに入れた様ですな。」

 ハイネが意味深に頷いた。ケンウッドは同じフロアの他の住人を思い浮かべてみた。部屋は全部で10ある。入居しているのは越して来たアイダを入れて7部屋だ。アパートは5階建で、どの階も3、4部屋は空いている。殆どが男性のドーマー達は同性カップルでも入居を許可されるのだが、独身用アパートに住んで互いの部屋を行き来する方を好む者もいるし、同居を決心するのは歳を取ってから、と言うカップルもいる。コロニー人は夫婦で働いている人が現行ではアメリカ・ドームに居ないので、幹部クラスが使用しているだけだ。ケンウッドもアイダも名実共に立派な幹部執政官なので、入居しても誰からも文句は出ない。
 その時、ケンウッドはハイネの待ち人が到着したことに気が付いた。

「君の彼女が来たぞ。」


2018年4月8日日曜日

泥酔者 7 - 10

「ハリス博士の問題は、月からの返答が来る迄、お預けとする。君達両名を呼んだのは、別の問題だ。」

 ケンウッドは机の上に両肘をついた。ハイネとベックマンを交互に見て尋ねた。

「ハリスの公式サイトを見つけたのは保安課のゲート係だ、と私は某遺伝子管理局員から聞いたのだが、間違いはないか?」

 ハイネが眉を上げた。

「某局員と仰いましたか?」
「うん。今日の昼だ。」

 ハイネは少し考えてから言った。

「ゲート係にハリスの身元を問い合わせたのは、恐らく私が最初だと思いますが。」
「君が?」
「庭園で彼が私の横で昼寝をした時です。覚えておられますか?」

 ベックマンは初耳だったので、え? と言う表情でハイネを見た。ケンウッドは覚えていた。ハリス自身が彼に告げたのだし、ハリスはこともあろうに眠っていたハイネにキスしたこと迄告白した。
 ベックマンが今更ながらハイネに確認を取った。

「ハリス博士は貴方の横で昼寝をしたのですか? 」
「そうです。当ドームに来た当日です。」
「横・・・とは、距離は?」
「私の手が彼に当たって、私は目が覚めました。」

 ハイネは長身だし、腕のリーチは長い。しかし目一杯伸ばしても1メートル超えるだろうか? 少なくとも、体が接触する距離で、見知らぬ人間が寝ていると言うのは不愉快だ。

「驚かれたでしょうな?」
「当然です。すぐにゲート係に身元照会しました。ドームで勤務しているコロニー人ではないと確信しましたので。」
「それで、ゲート係が公式サイトを見つけた?」
「顔認証でデータを探したのです。ゲート通過人物をコンピュータが探し当て、彼の公式サイトにリンクしたのです。」

 ケンウッドが、そうか、と呟いた。ハイネとベックマンが彼を振り返った。

「長官?」
「何か?」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「ドーム内のコンピュータから直接地球外サイトにはアクセス出来ないが、マザーコンピュータ自体は、宇宙連邦内のデータを覗く検索能力を持っている。ゲート通過人物のデータが少なかったので、マザーは自分で更なるデータを外から拾って来たのだ。」

 彼はベックマンを見た。

「ゲート係のドーマーがハリスの公式サイトを見つけたと聞いた時、私はセキュリティの問題だと慌てた。ドーマーが外の情報を見てはいけないと言う規則に疑問を抱いているが、規則がある以上は守らせるのが私の役目だ。その規則が簡単に破られるセキュリティの脆弱さに慌てたのだが、どうやらマザーコンピュータが優秀すぎる為に穴が出来ているらしい。ゲート係は地球外のデータを見たと言う意識はない筈だ。これは委員会にマザーの構造の問題だと報告しておく。」

 ベックマンは、それではもう用事はありませんね、と確認して退室して行った。
ハイネも立ち上がった。挨拶して歩きかけて、彼は背を向けたまま尋ねた。

「長官、もしや貴方は、私がまたハッキングしたとお考えだったのでは?」

 ケンウッドは吹き出した。

「それはないよ、ハイネ。私はゲートのコンピュータがウィルスかバグの被害を受けているのではないかと杞憂しただけさ。君なら専門家を呼ばなくても修復出来るだろう?」






泥酔者 7 - 9

 ドーマーには酒や博打はともかく、夜逃げや借金や取り立てなど無縁の話だ。ハイネ遺伝子管理局長は映画やドラマの中で見る出来事が現実にドームの中の人間の身に起きていると知ると、興味津々で保安課長に尋ねた。

「もし、今ハリス博士を外へ放り出したら、どうなります?」
「ハイネ・・・」

 ケンウッドが憂い顔で振り返ったが、ハイネは気づかないふりをした。ベックマンは当然だと言う顔で答えた。

「取り立て屋が見つけたら捕まえて、すぐにシャトルに乗せて火星へ連れて行くでしょうな。」
「ハリスがシャトルに乗るのを拒否したら?」
「連中は『召喚状』と言う物を持っています。警察の逮捕状みたいなもので、それを提示して借主を乗り物に乗せます。法的に有効なのです。借金を踏み倒すのは犯罪に等しいですから。ただ、捕まえた借主に暴力を振るって支払わせるのは、別の犯罪になります。」
「取り立て屋は、ハリスを連れて行く権利だけ持っているのですね?」
「そうです。だから憲兵隊も連中がハリスを捕まえることは阻止出来ません。捕まったハリスが傷害や殺害されなければ動けないので、捕まらない様に我々に彼を守れと要請して来ているのです。」
「理解しました。有り難う。」

 ハイネが納得したので、ベックマンはケンウッドに彼の考えを告げた。

「私生活で問題のある人物を執政官として雇用するのはどうかと思います。10日間彼を置くのは構いませんが、任官期日が迫っている筈です。どうなさいますか?」
「それなんだ・・・」

 ケンウッドはハリスの経歴がアヤフヤなことをハイネとベックマンに伝えた。

「地球人類復活委員会が雇う人間の身元は確かな筈なのに、何故ハリスの専門分野が公式サイトと自己申告内容では異なるのか? 委員会でも急いで照会に取り掛かってくれている筈なんだ。これは、月からの返答待ちだ。」

 ベックマンとハイネが顔を見合わせた。ベックマンがケンウッドに提案した。

「ハリス本人を呼んで質してみては如何です?」
「そう思ったのだが、どうもあの人物はのらりくらりとこちらの質問を交わすので、私も苦手で・・・内務捜査班もコロニー側の調査は出来ないからなぁ。」

 他人を窮地に追い込むのが苦手のケンウッド長官を、ハイネが謎の微笑みを浮かべて眺めた。

「しかし、公式サイトを見つけたのは、保安課でしょう? 地球外のネット情報だと思いますが?」

 ケンウッドは、ハッとした。それがハイネとベックマンを呼んだ本当の理由だ。


2018年4月7日土曜日

泥酔者 7 - 8

 保安課長アーノルド・ベックマンは長官執務室に入ってくるなり、ケンウッドに尋ねた。

「先刻の憲兵隊からの連絡の件でしょうか?」

 ケンウッドはキョトンとした。

「はぁ? 何のことだね?」

 ベックマンは突っ立ったまま、長官を見つめ、それから遺伝子管理局長に気が付いた。
また視線を長官に戻した。

「ハリス博士のことですが?」
「私の用件は別件だが・・・ハリスも関係している。」

 ケンウッドは椅子を保安課長に勧め、ベックマンが座るのを待って相手に言った。

「君の報告を先に聞こう。憲兵隊から何を言って来たんだ?」
「ジョン・ビーチャー大尉がアメリカ・ドームにレイモンド・ハリスと言う科学者はいるかと尋ねて来たのです。いると答えると、彼の安全の為にドームの外に向こう10日は出さないように、と要請されました。」
「何故だね?」

 ベックマンはハイネを見た。躊躇した様子だったので、ハイネが尋ねた。

「ドーマーに告げてはいけないことですか?」
「コロニーの悪い話です。」

とベックマンは言い、説明した。

「レイモンド・ハリス博士は、火星コロニーで問題を起こしていました。酒と博打で民間の闇金融業者から借金して、返済出来ずに行方を暗ましたのです。家賃を払えず、職場にも債権者が取り立てに来たので、仕事を続けられなくなったそうです。最初はコロニーの警察が失踪届けを受理したのですが、捜索はされませんでした。成人の行方不明者は事件性がない限り、警察は動きませんから。
 ところが昨日になってハリス博士が1ヶ月前に地球行きの航宙券を購入したことが判明し、同時に金融業者の取り立て専門の業者が昨日地球行きのシャトルに乗ったこともわかりました。借主を暴力で従わせ、連れ戻すのが仕事の連中です。一つのコロニーだけの問題ではなくなりましたので、憲兵隊が動いたのです。連中に捕まると生命が危険に脅かされることもあるのです。
 ハリス博士がアメリカ・ドームにいることが連中に知られるのは時間の問題です。しかし連中が持っている入星許可証は4日期限のものですから、彼等が出て行く迄ドームの中に居れば安全だ、と言うことで、彼を外に出さないようにと憲兵隊から要請がありました。」

 ケンウッドは暫く黙って居た。そして呟いた。

「酒・・・博打、そして借金で・・・夜逃げしてドームに来たのか?」

そして職歴詐称なのか? ケンウッドは目眩を起こしそうになった。

泥酔者 7 - 7

 人事のゴッドフリー・シャベス委員は、アメリカ・ドームのセキュリティ問題とレイモンド・ハリスの経歴について調査しますと言って、あちらの方で通信を切った。
 ケンウッドは溜め息をついた。レイモンド・ハリスの身元調査は地球人類復活委員会に任せるしか方法がない。しかし、セキュリティの方は・・・
 彼は端末を出した。電話を掛けると、相手はまだいつも通り仕事中だった。

「ハイネです。」
「ケンウッドだ。大至急話がある。こちらへ来るか、私がそっちへ行くか、決めてくれ。」

 ハイネは一瞬沈黙して、それから尋ねた。

「怒ってます?」
「わからん。」

 ケンウッドはこの件の責任者は誰になるのだろうと思いつつ、言った。

「緊急事案だ。ベックマンも呼ぶから、兎に角来てくれ。」
「了解しました。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは決して執政官に逆らわない。ケンウッドは己の心に落ち着けと言い聞かせた。ハイネはこの件に無関係かも知れない。
 アーノルド・ベックマン保安課長にも声を掛け、部下達が到着する迄ケンウッドは自分で休憩スペースでお茶を淹れて、秘書と共に休憩した。
 チャーリー・チャンとジャクリーン・スメアは長官が本来の仕事以外のことで振り回されているかの様に見えて、ボスの健康を気にした。

「長官、ストレスを溜めてらっしゃるのではありませんか?」
「かなりお疲れの様子です。今日は早めにお休みになられては? 今朝出張から戻られたばかりですし・・・」
「有難う。だが、問題が片付かないと私は落ち着かないんだ。」

 熱いお茶を時間を掛けて飲むうちに、ハイネが到着した。応対に出たスメアが笑顔になったので、すぐわかった。ローガン・ハイネ・ドーマーはすっかりいつのも遺伝子管理局長の威厳を取り戻し、ゆったりと自席に歩み寄った。

「ベックマン課長もお呼びと言うことは、セキュリティの問題でしょうか?」
「うん・・・月から指摘される迄私は気付かなかった。」

 ケンウッドは固い表情で答え、それから休憩スペースを顎で示した。

「お茶を淹れようか?」
「いえ、結構です。」

 ハイネは探りを入れる様な目でケンウッドを見た。今朝月から戻ったばかりのケンウッドは疲れていたし、仕事が溜まって焦ってもいたが、こんな緊張はしていなかった。今彼が遺伝子管理局長と保安課長を呼んだ問題は、その後で起きたのだ。
 お茶を断られたので、ケンウッドは一人でカップに残ったお茶を時間を掛けて飲み干し、カップを休憩スペースに片付けたところへ、ベックマンがようやく現れた。



泥酔者 7 - 6

 昼食を終えるとケンウッドは執務室に戻った。秘書達が午後の予定を教えてくれた以外は特に何もない。執務机の前に座ると、月の本部に通信を送った。人事の役員を呼び出してもらう。1分後、人事のゴッドフリー・シャベス委員が画面に現れた。

「アイダ・サヤカの問題は解決したと聞きましたが、ケンウッド長官?」
「彼女の話ではありません。レイモンド・ハリス博士のことで連絡させていただいています。」
「レイモンド・ハリス?」

 シャベスが考え込んだ。

「そんな執政官がいましたか?」
「まだ正式に着任していません、4日後の執政官会議で任官予定です。」
「あー、ちょっと待って下さい。」

 シャベスがコンピュータを操作した。

「確かに、まだ火星にいますね。」
「火星にいる?」

 ケンウッドは思わず聞き返した。

「まだ火星にいるのですか、ハリス博士は?」
「その筈ですが・・・ドーム勤務予定者の地球渡航は任官前日でなければ許可が下りませんから。」
「では・・・」

 ケンウッドは困惑した。

「先月ここに現れて、現在当ドームに滞在しているレイモンド・ハリス博士は何者でしょう?」

 シャベスがカメラを振り返った。明らかに驚いていた。

「現在アメリカ・ドームにレイモンド・ハリスがいるのですか?」
「日付を間違えてそのまま居座っていますが・・・」
「任官時期より1ヶ月も早かったのに、ゲートは彼を通したのですか?」
「彼は引越しの荷物を抱えており、着任予定であることは保安課のドーマー達に通達が行っていましたので、係は追い返すのは気の毒だと思ったらしいのです。」

 シャベスが天を仰いだ。

「ケンウッド長官、ドームの規則をご承知ですよね?」
「十分承知しています。私が彼の到着を知った時、彼は私の部屋に来ていたのです。」

 シャベスがカメラに向き直った。

「仕方ありませんね・・・ドーマー達の安全が守られているのでしたら、こちらは何も文句をつけられません。」
「それが、一つ問題がありまして・・・」
「何です?」
「ハリスの無断来星から1ヶ月経って通報したのには理由があります。彼のプロフィールに疑問が生じたのです。」
「疑問とは?」
「委員会からの紹介では、彼は紫外線と染色体の関係の研究者となっています。」

 シャベスは再びコンピュータの画面を確認した。

「その通りです。」
「しかし、ドーマーが見つけたのですが、彼の公式サイトでは・・・」
「ちょっと待って下さい。」

 シャベスはケンウッドがそれまで気がつかなかった点を指摘した。

「ドーマーが何を見つけたと仰いました? ハリスの公式サイト? 地球外のサイトをドーマーが覗けるのですか?」

 あちゃーっとケンウッドは心の中で悔やんだ。アメリカ・ドームのネットセキュリティはどうなっているのだ?





泥酔者 7 - 5

 ケンウッドとクロエル・ドーマーは一旦口を閉じた。ブラコフ副長官と3名の候補者が食事を終えて立ち上がったのだ。彼等は2人がいるテーブルに向かって近づいて来た。

「こんな場所で申し訳ありませんが、こちらの方々が貴方に気付かれたので・・・」

とブラコフが食堂で長官を紹介する羽目になったことを謝った。本当はクロエルに気が付いたのだろうと思ったが、ケンウッドは立ち上がった。クロエルも立ち上がり、その長身をアピールした。

「遠くからアメリカ・ドームへようこそ。」

とケンウッドは挨拶した。そして3名の紹介を受け、それぞれと握手した。クロエルも紹介されたが、彼は手を差し出さなかった。地球人から手を差し出さなければ握手を求めるなと言うドームのルールを、3名の候補者は守った。代わりに、素晴らしい筋肉ですね、とか、立派な体格ですね、とか褒め言葉を贈った。外観だけの賞賛なので、クロエルは曖昧な笑みを見せただけだった。テレビカメラの前で見せるお茶目な表情は見せず、真面目な遺伝子管理局の幹部として対応した。
 ブラコフは3名を運動施設に案内しますと引き連れて、食堂を出て行った。
 ケンウッドとクロエル・ドーマーは再び椅子に腰を下ろした。

「ボクちゃん、大人の応対出来たでしょ?」
「うん、ドーマー目当てで来る連中にはがっかりだろうがね・・・」

 男の候補者2名は明らかにクロエルの大きな体躯に驚いていた。映像と実物を目の前にするのとでは印象が随分違うのだ。クロエルは顔は童顔で可愛らしいが、首から下は立派な男そのものだ。

「君なら、あの3名の中で誰が副長官に最適だと思う?」
「そんなの一回の挨拶でわかりませんよ。」

 至極当たり前の返答をして、クロエルはすぐに元の話題に戻った。

「あのハリスって人、紫外線の研究をしているので、ブラコフ副長官の研究室が空いたら欲しいって言いふらしてるみたいなんす。」
「そうなのか?」

 これは失礼な話だ、とケンウッドは感じた。まだブラコフの退官迄2ヶ月あるし、彼の研究室は後輩の研究者が引き継ぐことが決まっている。退官が承認されて間なしに執政官会議で他の執政官達から了承を得た既決事案だ。
 ケンウッドはクロエルに確認した。

「本人が紫外線の研究をしていると言ったのだね?」
「そうっす。だけど、それをボクちゃんが何気にサウナで話たら、ゲート係の人が、ハリス博士は骨の研究者の筈だって言ったんす。」

 ケンウッドは端末でハリスの公式サイトを出した。それをクロエルに見せると、若いドーマーは可愛い唇を尖らせた。

「どっちが本当なんすか? どっちもありってことっすか?」
「わからん・・・紫外線と骨の関係を研究すると言うのなら、そう書くだろうし・・・」

 ケンウッドは彼に言った。

「コロニーでの彼の経歴を本部に調べてもらうつもりだ。フォーリーには無理だから、これは私に任せてもらおう。」

泥酔者 7 - 4

 ビル・フォーリー・ドーマーは遺伝子管理局内務捜査班のチーフだ。上司だったジャン=カルロス・ロッシーニ・ドーマーが引退して養育棟の教育係に転属したので名実共に責任者となった。もっとも殆どのコロニー人は彼が以前から内務捜査班のチーフだと思っていたので、この人事異動に気が付いていないのだ。ああ、長官秘書のドーマーが引退したんだなぁと言う程度の認識だ。
 内務捜査班は執政官の違反を取り締まったり、ドーマー同士の間で起きる事件を捜査するドームの警察みたいな組織だ。チームのメンバーの半分は潜入捜査で維持班や研究助手に混じって日常の仕事をしている。コロニー人にとって厄介な連中だが、ドーマー達にも煙たい存在なのだ。

「フォーリーを探しているって? 本部にいないのかね?」
「午後から内勤を上がってどっかへ行っちゃったんす。ジムにもプールにもいなくて。」
「図書館で調べ物でもしているのかな?」
「あー、そっちはまだでした。先にお昼食べようと思って。」

 緊急の要件ではないらしい。ケンウッドは滅多に人の会話に登場しない人物をクロエルが探していること自体に興味を抱いた。

「フォーリーに何の用事だね?」

 すると、クロエルは周囲を素早く見回し、テーブルの上に上体を屈めて低い声で言った。

「内務捜査班に調べてもらいたい執政官がいるんす。」

 長官に向かって執政官を調べて欲しいと言うとは、穏やかではない。ケンウッドが見つめ返すと、彼は続けた。

「正式にはまだ執政官じゃありませんけど・・・」

 ケンウッドはピンと来た。彼も正にその人物について調査しようとしているのだ。彼は用心深く尋ねた。

「ハリス博士か?」

 クロエルが頷いた。

「あの人、何だかおかしいっす。」

泥酔者 7 - 3

 もう1人の秘書チャーリー・チャンが戻って来たのはダルフームが去った10分後だった。ケンウッドは本部に連絡を取ろうとしたが、スメアが昼食を済ませて下さいと言ったので、従うことにした。
 時間が遅かったので中央研究所の食堂へ行くと、丁度ブラコフが3名の候補者と共に食事をしていた。マジックミラー越しに出産管理区の女性達を観察しながらの食事だ。執政官として大切な仕事だが、ただの興味本位で見る男性執政官もいるので、ブラコフは候補者を観察しているのだった。
 ブラコフはケンウッドに気が付いたが、ここで候補者に紹介するつもりはないらしく、目で挨拶しただけだった。ケンウッドも頷いて、自分の食事を取ってテーブルを確保した。やっとありついた食事だが、ハリスの件を考えると美味しくない。アイダ博士とハイネ局長の問題が最善の形で解決したと言うのに、あの不可解な学者のせいで、またペースを乱された。
 
「長官、お一人ですかぁ?」

 陽気な声が後ろで聞こえ、振り向くとクロエル・ドーマーが立っていた。ポール・レイン・ドーマーに遅れること2ヶ月、彼も遂に幹部ドーマーとして、中米班チーフ副官に就任したのだ。30代中盤で幹部と言うのは順調に出世の階段を登っていると言うことだ。
 ケンウッドはクロエルも一人だと見て取ったので、自身のテーブルの対面を指した。クロエルは微笑んで素直にトレイをテーブルに置き、長官の正面に座った。

「アイダ博士、残ってくれるんですってね!」

 ドーマー達にアイダ・サヤカが辞表を提出した話を発表した覚えはなかったが、執政官の誰かがリークしたのだろう。そして辞表撤回もリークされたのだ。ケンウッドとアイダが地球に帰還したのが今朝だから、話が拡散するスピードは物凄く疾い。ドーマー達は不人気の執政官の動向には無関心だが、好きなコロニー人達がドームから去るかも知れないとなると、反応するのだ。アイダ・サヤカは多くの若いドーマー達にとって母親みたいな人だから、関心を集めるのは当然だ。クロエルは「途中から入って来た子」なので、アイダは注意を払って育てるよう養育係に要請した。そして時間が空けば一緒に遊んでやった。だからクロエルの非公式養母ラナ・ゴーン博士と彼女は仲が良いのだ。

 もしかすると、クロエルはゴーンよりアイダの方に懐いているのかも知れない・・・

 ケンウッドは頷いた。

「終身勤務を月から命じられたんだ。君達、彼女に心配かけるんじゃないぞ、彼女は本業の出産管理区の仕事で忙しいのだからな。」
「わかってますって。ボクちゃん、良い子ですからぁ!」

 候補者の女性がクロエルに気が付いた。春分祭のテレビ放映で有名になったドーマーが近くにいるので、ちょっと喜んだ様子だ。クロエルは候補者には無関心だった。いつもの一般食堂ではなく中央研究所の食堂に来た理由を訊かれてもいないのに説明した。

「フォーリー・ドーマーを探してたんすよ。」
「ビル・フォーリーを?」

泥酔者 7 - 2

 ダルフームが小さく頷いた。

「染色体研究と骨の研究は別でしょう?」
「当然だ。骨を形成する染色体の研究をしていると言うならわかるが・・・紫外線はどう関わってくるのです?」
「彼が執行部に提出したプロフィールと彼自身がネット上で公開しているプロフィールが異なると言うことです。何故でしょう?」
「何故かな・・・私が訊きたいですよ。」

 ケンウッドは大先輩のダルフームが何を心配しているのか理解した。偽の科学者が神聖なドームに潜り込んだ可能性だ。
 スメア君、とケンウッドは秘書に声を掛けた。

「ハリス博士を執政官会議で紹介するのは何時だったかな?」

 ジャクリーン・スメアは予定表を見た。

「今週の金曜日です。」
「後4日か・・・」

 ケンウッドはダルフームを振り返った。

「早急に本部に問い合わせてみます。何か手違いがあったのかも知れない。何だかわかりませんが・・・教えて下さって有難うございます。」
「どういたしまして・・・長官はここ数日アイダ博士の辞表の件やブラコフ副長官の後任選出でお忙しい様子でしたから。」
「アイダ博士の件は片付きました。彼女の気の迷いで、留任してくれます。」

 ダルフームが微笑んだ。

「おお、それは良かった! 彼女は地球人の女性達にも人気があるのです。2度目、3度目の出産でここへ戻ってくる女性達が彼女の顔を見て安心するのですよ。」
「アイダ博士は母親そのものですからね。」

 するとダルフームはぽつんと呟いた。

「副長官も女性であっても構わないと思いますよ。」



2018年4月6日金曜日

泥酔者 7 - 1

 ケンウッドは書類の山と格闘し、昼過ぎにはなんとか片付けることに成功した。ブラコフ副長官は新副長官候補達を連れてドーム内を歩き回っている筈だ。地球勤務経験者は男性1名だけで、それもオセアニア・ドームのパプア分室だと言うから、ドーム本部勤務は未経験者と見做して良いだろう。
 昼休みから戻って来た秘書のスメアが、ジェフリー・B・B・ダルフーム博士の来訪を取り次いだ。アメリカ・ドーム古参の遺伝子学者だ。彼は地球人の男性側のX染色体がクローン女性の染色体を拒むことを発見した。もう40年も前の話だ。それ以降、何故染色体同士が拒み合うのか、どうすれば問題が解消されるかと色々と研究されて来たが、今もって解決策が見つけられないでいた。
 ダルフームも既に70歳を過ぎている。そろそろ重力が負担になってくる頃だ。ケンウッドはこの博士の個人的な生活は全く知らない。あまり研究の接点がなく、研究室もフロアが違うので滅多に顔を合わせない。会議でもダルフームが発言することはなかったし、出席しているのかいないのかわからない。だから、長官執務室に来訪と聞いて、意外な感じがした。
 ロマンスグレーの髪が少し薄くなった中背のダルフームが入って来た。癖なのか、少し背中を丸めて猫背になっている。ケンウッドは挨拶して椅子を勧めた。ダルフームは首を振った。

「すぐに退散します。今日はちょっと疑問に感じたことがあったので、長官に進言に来ました。」
「疑問?」

 研究で進展があったのかと期待したケンウッドはちょっぴり失望しながら尋ねた。ダルフームは秘書を振り返った。スメアは相棒がまだ戻らないので、1人で仕事を始めていた。
彼女がこちらの会話に聞き耳を立てていると思えなかったので、ダルフームは長官に向き直った。

「例の1ヶ月早く来てしまった博士のことですが・・・」
「ええっと・・・レイモンド・ハリス博士のことですかな?」
「そうです、あの方は本当にハリス博士なのでしょうか?」

 ケンウッドは思わず机の上に体を乗り出した。

「どう言うことです?」
「半月前に副長官が我々に発信された広報では、ハリス博士は紫外線と染色体の関係を研究されているとか?」
「うん、委員会から送られてきた個人データにそう書かれていましたが?」

 するとダルフームは自身の端末に開いたデータをケンウッドに見せた。

「これがハリス博士の公式サイトのプロフィールです。」

 ケンウッドは端末を受け取ってデータに目を通した。そして顔を上げてダルフームを見た。

「骨の形成の研究者?」


2018年4月5日木曜日

泥酔者 6 - 4

 ケンウッドは声を低めて地球人類復活委員会にアイダとハイネの仲を認めてもらったとヤマザキに報告した。

「委員長は、西ユーラシアにいたベルトリッチだな?」

とヤマザキが確認した。ケンウッドが頷くと、ハイネが笑顔で言った。

「若い頃から斬新な発想で研究に取り組んでいた遺伝子学者です。マリノフスキーが彼女の大ファンだったのですが、委員長選挙に立候補して当選してしまったので、寂しがっていました。」
「彼女はユニークだからな、ドーマーの良き理解者だ。」
「僕は彼女がロベルトの時代から知っているんだ。思いやりのある面倒見の良い人だ。」

 新委員長を賞賛する会話をしているうちに始業時間が迫ってきた。ケンウッドは急いで残りの食べ物を口に詰め込んだ。ハイネはまだ悠然と食事を続けていた。

「長官は面接に付き合われるのですか?」
「否、私はガブリエルが選ぶ人間に口を出すつもりはない。」
「だが、君の部下になる人間を選ぶんだぞ?」
「だからこそ・・・自分で選ぼうと思うと欲が出て、結局選べないと思うんだ。」

 ケンウッドは冷めたコーヒーをがぶ飲みして、立ち上がった。

「秘書達を待たせたくないので、お先に失礼するよ。」

 良い1日を、と互いに挨拶してケンウッドは食堂を出て行った。ヤマザキは勤務明けだったので急がない。最後のパンケーキに取り掛かったハイネにそっと尋ねた。

「君は彼女の辞任申請がなかったら、告白していたかい?」

 ハイネが手を止めた。医者を真っ直ぐに見て答えた。

「彼女はいつかは宇宙へ帰ると言ったでしょう。その時に・・・」
「遅かれ早かれ、の問題だったのか。」

 ヤマザキは苦笑した。

「彼女がいきなり爆弾みたいに辞表を提出したものだから、出産管理区は大騒ぎだったんだ。彼女が次期区長に推薦したランバート博士はパニックになっていた。僕の所に来て、サヤカを翻意させてくれと泣きついたんだよ。」
「ランバート博士は優秀ですよ。」
「うん。だからサヤカも本人に相談なく推薦したんだろうさ。だけどランバートは彼女の下で働くことで十分満足しているんだ。みんなサヤカの辞意の真意を測りかねて困惑していた。ケンさんが彼女を月へ連れて行ったので、説得してくれるものと期待していたんだ。よもや君の告白で彼女が翻意したとは想像もすまい。」
「私の言葉だけでは彼女を引き止めるのは無理でしたよ。厄介な法律の問題がありますから。長官はそれをクリアする為に月へ行かれたのですね。」
「うん。委員長や理事達を説得すれば大丈夫だと自信があったのだろう。」

 ハイネは最後のパンケーキの一切れを口に入れてよく噛んで飲み込んだ。それから言った。

「ハレンバーグやハナオカが委員長だったら、こうは上手く行かなかったでしょう。彼等年寄りには、私が関心を示す女性を取り上げたがる習性がありましたから。」
「あの人達はあの人達なりの方法で君を守っただけなんだよ。もう60年以上昔の話だろう? 君はまだヒヨッコだった筈だ。年上の執政官達に対して上手く振る舞う方法を見つけられない若造が、女性達に翻弄されるのを見ていられなかったのだろうよ。だが、自分達がとった処置が君を深く傷つけるとは予想出来なかった。そこは連中も浅はかだったな。
 まぁ、何はともあれ・・・」

 ヤマザキはハイネを真っ直ぐ見つめて声を出さずに言った。

「結婚 おめでとう。」

 ハイネは軽く頭を下げてその言葉を受け取った。

2018年4月4日水曜日

泥酔者 6 - 3

 ケンウッドは長い間食べ物を口に入れていなかった様な気がした。ガッついて食べるのはみっともないと思いつつ、朝食にたっぷりと食べてしまった。しかもハイネが目の前で山盛りのパンケーキを食べたので、それに釣られたのだ。

「互いに歳なんだから控えないと・・・」

 ヤマザキ・ケンタロウが呆れて2人を眺めた。彼はケンウッドとハイネにアイダ・サヤカが辞意を撤回すると報告に来たと教えに来たのだ。昨日は忙しかったので、長官と出産管理区長がドームを留守にしていたことを気づかなかった。ハイネがケンウッドを見たので、ケンウッドも見返した。そして2人でプッと吹き出した。ヤマザキは彼等が何を喜んでいるのかわからない。アイダが残ってくれると言う前から、何か浮かれているのだから。
 何だかわからないが、ヤマザキは取り敢えずハイネに「おめでとう」と言った。

「彼女はここに残ってくれる。君も安心だろう?」
「勿論です。」

 ハイネは医療区長も抱き締めたかったが、自重した。食堂内には既にドーマー達が集まり始めており、大きなテーブルでは遺伝子管理局の局員達が朝の打ち合わせ会を始めていた。
 ケンウッドが口の周りに付着したシロップを紙ナプキンで拭いながら提案した。

「今日はこれから忙しくなるので、昼前の定例打ち合わせ会を今やってしまって良いかな?」
「副長官がおられませんが?」
「ガブリエルは今日、後任候補の面接をする。さっきのシャトルで3人が到着したんだ。送迎フロアで出会ったろう?」
「送迎フロア?」

とヤマザキが怪訝な表情で呟いた。

「ケンさん、何処かへ行っていたのか? まさか長官自ら候補者のお出迎えじゃあるまい?」

 ケンウッドはそっと周囲に目を配った。幸い誰もこちらのテーブルに興味はなさそうだった。

「月の本部へ出張っていたんだ。アイダ博士も一緒に。」

 ヤマザキが彼を見て、それからハイネを見た。ハイネはいつもの彼に戻っており、パンケーキの上に載せたフワフワのチーズ入りホイップクリームをいかにして崩さずに最後迄残すか苦心していた。ヤマザキはスプーンを取り上げ、横からハイネのホイップクリームを掬い取って口に入れた。アッとハイネが振り向いた。

「ドクター!」
「人の話を聞いていなかった罰だ。」
「ちゃんと聞いていましたよ!」
「そうかな? 上の空だったみたいだが・・・」
「聞いてました!・・・私のクリーム・・・」

 チーズが絡むと子供になってしまう95歳の男に、ヤマザキは笑いながら、お昼に好きなデザートを譲ってやるよ、と約束した。

2018年4月3日火曜日

泥酔者 6 - 2

 送迎フロアに入ると、まだ太陽がやっと光の端っこを地平線の向こうに出したばかりだと言うのに、ローガン・ハイネがきっちりとスーツを着込んで立っていた。ケンウッドは彼が長官と出産管理区長の不在に気づいてわざわざここまで出て来るだろうと予想していたので、驚かなかった。意地悪するつもりはなかったのだが、故意に冷淡に、

「出迎え、ご苦労。」

と短く挨拶して東の回廊に向かって歩き出した。ハイネはゲートを見た。しかし現れたのは彼の想い人ではなく、見知らぬコロニー人の男性2人だった。彼等は目の前に有名な白いドーマーが立っていたので、びっくりして立ち止まった。ゲート係が彼等に横の面談室で招待者から連絡がある迄待つように、と声を掛けた。
 ハイネが動かないので、ケンウッドは背を向けたまま言った。

「女性は消毒に時間がかかる。其れ迄無駄に時間を潰すつもりかね?」

 恐らくハイネはムッとしただろうが、大人しく後ろについて歩き始めた。
 東の回廊に朝陽が差してきた。太陽がゆっくりと昇って来る。きっと後ろを歩いているドーマーの純白の髪が美しく輝いているに違いない。
 ケンウッドは足を止めて日の出を眺めた。空が澄んでいる。大地の草花が光を浴びて活き活きと輝き出した。
 ハイネが少し距離を置いて立ち止まったので、ケンウッドは言った。

「この惑星はいつ、どこを見ても美しい。そこに住んでいる生きとし生けるもの、全てが美しい。」

 彼はドーマーを振り返った。ハイネは外には目もくれず長官を見つめていた。ケンウッドは微笑した。

「誰も君から大切な人を取り上げたりしないさ。」

 まだハイネが黙っているので、彼は地球人類復活委員会の幹部達の裁定を伝えた。

「アイダ・サヤカ博士は地球での終身勤務を命じられた。これ迄通り定期的に重力休暇を取って健康維持に務めてもらうが、ドーム勤務を無期限に果たしてもらう。結婚は自由だが、立場上公にしてもらっては困る。ドームの中で結婚出来るのは、ドーマー同士のカップルだけだからね。だから、彼女は今日から妻帯者用アパートに宿替えする。人目につかぬよう行き来すると良い。それから、これは承知していると思うが、子供は作らないでくれ。以上だ。」

 ローガン・ハイネ・ドーマーは1分近く固まっていた。ケンウッドの言葉一つ一つを頭の中で吟味していたのだろう。それから数歩でケンウッドに近寄ると、いきなり抱き締めた。ケンウッドは照れ臭かったので、言い訳がましく言った。

「親としての執政官が息子のドーマーの為にしてやれるのは、この程度だがね・・・」

 ハイネが彼の耳元で囁いた。

「有り難うございます・・・有り難うございます・・・」

 ケンウッドは彼の背中を軽く叩きながら、ふと思った。

 送迎フロアでアイダが戻って来なかったら、この男はゲートを突破して外へ出るつもりだったのでは・・・?


泥酔者 6 - 1

 シャトルは大気圏に突入すると速度を落とし、地球の上空を滑空するかの如く優雅に飛行した。緩やかに高度を下げ、最初に北部アフリカのカイロ宇宙港に降りた。そこで西ユーラシアやアフリカ、中央ユーラシア方面へ行く乗客が降りた。ラナ・ゴーン博士も2人の遅刻紳士達も降りて行った。彼等は宇宙港からそれぞれの目的地に向かう地上便の航空機に乗り換えるのだ。時間があれば最寄りの港から船で行くセレブもいるだろう。
 シャトルは再び飛び立ち、大西洋を超えてアメリカ・ドームの宇宙港に到着したのが夜明け前だった。ケンウッドとアイダは10人ばかりの客と共に降りた。宇宙から地球へ降りてくると、必ず簡易消毒を受ける。着衣のまま消毒薬のミストを吹き付けられ、走査検査で指定病原菌の感染の有無を検査され、それから通関だ。審査に通ると、人々はそれぞれの目的地に向かって航空機や地上車に乗り換える。ケンウッドとアイダがすぐ隣のドームへの通路を歩き出すと後ろに男性2名と女性1名が着いて来た。それぞれ小さな旅行用荷物を持っていた。副長官の面接を受ける人達だな、とケンウッドは察したがそれには言及せず、ドーム入り口の消毒ゲートの前に到着した。今度は本格的に体の中まで消毒されるので、男女入り口が別れる。
 アイダ・サヤカが先に口を開いた。

「私は直接出産管理区に入って休暇中の業務内容を確認します。そのまま業務に就きます。」

 ケンウッドは通路の外を見た。まだ空は暗いが1時間もしないうちに日が昇るだろう。

「私も執務室に直行しようと思うが、その前に朝食に行くかも知れない。」

 振り返ると彼女は食事のことは頭になかったようで、ハッとした表情をしていた。

「そんな時間なのですね。」
「そんな時間だよ、ちゃんと食べないとケンタロウに叱られる。」

 ではまた、と2人は挨拶して消毒ゲートの入り口で別れた。
 面倒臭いが消毒は大事だ。地球人の赤ん坊達を宇宙の細菌に感染させる訳に行かない。ケンウッドは慣れていたが、面接に来た候補者達は面食らっただろう。頭髪、手足の爪の中、鼻、耳の中、消化器官、呼吸器官、消毒出来る箇所は徹底的に浄化されるのだ。
 体がさっぱりとすると、新しい衣服が支給される。訪問者はこれも驚くのだ。外から着て来た服は洗濯・消毒されて半時間後には返せる状態になっている、と説明を受けて安心する迄は、持ち物全て預けて心もとない顔をしていた。




2018年4月2日月曜日

泥酔者 5 - 8

 シャトルの座席に座って出発を待っていると、待機時間制限間近になって3人の乗客が駆け込んで来た。1人は女性で、ケンウッドも知っている地球人類復活委員会の執行部で働いている博士だった。急いで最後尾の座席に向かう彼女にアイダが声を掛けた。

「地球へ出張なの? ゴーン博士?」
「あら!」

 ラナ・ゴーン博士が振り返った。血液の研究者だが、現在は卵子提供者の選考委員を務めている人だ。ケンウッドが会釈すると、彼女も会釈を返した。

「西ユーラシアへ日帰りよ。」
「アメリカには立ち寄れないの?」
「残念ながら・・・」
「クロエルが寂しがるわ。」
「来月行きますよ。」

 彼女は後から駆け込んで来た男2人が近づいて来たので、「それじゃ」と言って手を振り、席へ急いだ。
 ケンウッドは何気に彼女とアイダの会話を聞いていたが、ふと気づいた。

「ゴーン博士はクロエル・ドーマーの『おっか様』だったな?」
「そうですよ。」

 アイダ・サヤカがニッコリした。不思議な縁だ。クロエル・ドーマーは実の母親の望まぬ妊娠で生を受けた子だった。母親は堕胎を希望し、ドームは彼を胎児の状態で保護した。実の母に生まれることを拒まれた子供が、多くの人々に愛され、今やドームの人気者だ。しかもコロニー人ラナ・ゴーン博士の非公式ながら養子となっている。ドーマーで「母親」がいるのは唯1人クロエルだけなのだ。
 ラナ・ゴーンは月に1回程度の割合でクロエル・ドーマーに会いに来る。親がいないドーマー達を刺激しないよう、彼女と彼の面会はいつも出産管理区か医療区の面談室で行われるので、アイダ・サヤカはゴーンと親しかった。
 ケンウッドは実の子がいるにも関わらず養子を取った女性の母性の深さに感心した。

「ゴーン博士はクロエルの側で働けたら嬉しいだろうな?」

独り言だったが、アイダにはしっかり聞こえた。

「それは勿論です。遺伝子管理局のお仕事はきついことも多いですから、母親だったら近くで応援したいでしょう。」

 ゴーン博士の後から乗り込んで来た男達は科学者には見えず、かと言って地球の企業と取引をしに出かけるビジネスマンにも見えなかった。どこか荒んだ印象を与える男達で、服装はきちんとしているし、それも値が張る物を身につけていたが、ケンウッドにはそれが品のない証拠に思えた。

 地球に何をしに行くのだろう?

 男達はゴーンと通路を挟んだ席に着いた。シートベルトを締めて静かに落ち着いて座っていたので、ケンウッドは直に彼等の存在を忘れた。



泥酔者 5 - 7

 アメリカではもう夕方になっているだろう。帰り着けば丸1日出かけていたことになる筈だ。ベルトリッチ委員長は多忙で宇宙港迄見送れないことを謝った。

「私も地球に戻って働きたいのですが、この地位に就いてしまうと身動きが取れなくて・・・」

 彼女はアイダ・サヤカに微笑みかけた。

「貴女の口紅の色、素敵だわ。地球製ですよね?」
「はい、ドーマーの男の子が気を利かせてお土産に買ってきてくれるのです。お気に召されたのでしたら、同じ色の物を買ってきてもらいましょう。重力休暇に入る執政官か研究助手達に託けてお届けしますよ。」
「本当に! まぁ、嬉しいわ!」

 女装したハイネ並みに大柄な女性の姿をしたベルトリッチ委員長は頰をピンク色に染めて喜んだ。彼女は車に乗り込むケンウッド、アイダと握手してビルの執務室へ戻って行った。
 車が走り出すと、アイダがケンウッドに尋ねた。

「委員長執務室にスパイラル工業のCEOがいらっしゃいましたね?」
「うん、何か意見をされるのかと危惧したが、黙っていましたね。」
「セイヤーズと言うことは・・・ダリルの母親のオリジナルでしょうね。髪の色が似ていましたし、顔の輪郭も面影がありましたよ。」
「うん・・・」

 ケンウッドはアイダが何を言いたいのか、ようやく気が付いた。

「危険値S1保有者か・・・」
「でもヘテロなので軍の監視対象になっていません。」
「彼女は息子が3人いたと思うが・・・S1は持っていないのだな・・・」
「幸運ですね。コロニー人でもS1の能力が発現すれば軍が黙っていませんわ。」

 ケンウッドは溜め息をついた。

「遺伝子に手を加えるなど・・・本当は人間がやってはいけない分野の筈です。だが、母星である地球を汚染して宇宙に新天地を求めた為に、怪物扱いされる子供を作ってしまった。私達人間は罪深い生き物ですよ。」
「ダリルは良い子ですよ。その証拠に、逃げてから10年以上経つと言うのに、あの子が悪さしたなんて噂はどこにもないじゃないですか。」

 彼はアイダ博士の横顔を見た。口元に微笑を浮かべた彼女の顔は、ヤマザキが冗談で言った観音菩薩を連想させた。男達が安らぎを感じる微笑みだ。

 この人は本当に母親なんだ。大勢のドーマー達のお袋さんなんだな・・・

泥酔者 5 - 6

「失礼ながら、アイダ博士はまだ妊娠可能なお体なのでしょう?」

 ベルトリッチが尋ねた。アイダ・サヤカが頬を赤く染めて頷いた。

「既に閉経しましたが、体力的には出産可能です。」

 女性に何と言うことを言わせるのだ、とケンウッドが心の中で憤慨すると、副委員長が言った。

「ローガン・ハイネはまだ男性の能力を保っていますね。彼の子供は、女の子であれば待機型の進化型1級遺伝子を、男の子であれば白変種の遺伝子を持って生まれます。どちらであれ、ドームの外には出せない子供です。ですから、彼の子供を作らせずに来ました。これからも作る予定はありません。彼と結婚するなら、それを心得ていて頂きたい。」

 アイダが固い表情で首を振った。

「承知しています。私は出産管理区の責任者です。」
「失礼しました。」

 今度は理事長が発言した。

「地球上の各地のドームから、同様の要求が出ていることはご存知か? ドーマーとコロニー人が恋愛をしているので認めて欲しい、と言う要求だ。だが、地球人保護法を遵守する立場として慎むよう、言い聞かせている。アメリカ・ドームには、サンテシマ・ルイス・リンの例がある。執政官がドーマーをペット扱いしてドームの秩序を混乱させた件だ。地球人を弱い立場に追い込んでしまうことは避けねばならない。」
「理事長、今はそんなことを話しているのでは・・・」
「わかっているよ、委員長。私が言いたいのは、アイダ博士とローガン・ハイネに、2人の関係を公にしないよう、慎めと言うことだ。」

 ケンウッドは「慎め?」と呟いた。

「慎めとは、人前では夫婦として振る舞うな、と言うことですか?」
「そうだ、難しくはないだろう?」

 理事長が端末を見た。

「アイダ博士は出産管理区の業務で居住区に居る時間が短い。ローガン・ハイネも彼の業務で忙しい。2人が一緒に過ごす時間はそれほど多くない。これまで通りの生活を続ければ、誰も君達が夫婦だとは気がつくまい。」
「しかし・・・夫婦生活も大事です・・・同居しないで夫婦生活は無理でしょう。」

 ケンウッドの頭に閃くことがあった。彼はアイダを振り返った。

「アイダ博士、アパートを引っ越しなさい。」
「え?」
「貴女は今女性専用アパートに住んでおられる。ハイネは妻帯者用アパートだ。だから、貴女も妻帯者用アパートに部屋を移すのです。貴女は出産管理区長だから、非公式会合で部屋を使用する機会もあるでしょう。」

 それは出産管理区で行える、と言おうとしてアイダは思い直した。ケンウッドは、同じ建物に入居していれば人目を忍んで互いの部屋に行ける、と提案してくれたのだ。会合云々は広い部屋に移る言い訳だ。ケンウッドが続けた。

「私も3年前迄は独身者用に住んでいました。しかし、ある時、ドーマーの長老達と非公式に会合を持ったら、部屋が狭いと呆れられまして・・・翌日勝手に妻帯者用に宿替えさせられました。ドームでは妻帯者が少ないので、部屋が空いてるのです。アイダ博士が引っ越しても誰も気にしません。」

 ベルトリッチが微笑んだ。

「特例はお嫌だと思いますが、現在の法律を潜り抜けるにはこれしかありません。アイダ博士に終身勤務を命じます。これまで通り、重力休暇を定期的に取って下さい。火星のお子さん達とお会いになっても構いません。しかし、決してドーマーを伴侶にして居ることは口外なさらぬよう、願います。」


2018年4月1日日曜日

泥酔者 5 - 5

 会議出席者達と世間話をしてみたが、ドーマーの結婚問題が議題に上がっている様子はなかった。人々はケンウッドがアメリカ・ドームの長官だと気づくと、3年前のテロ事件のことを持ち出し、その後はどうしているのか、副長官と遺伝子管理局長は元気かと尋ねた。それから次の春分祭はどんな扮装をするのかと言う無駄な質問もあったが、ケンウッドが知りたい情報はなかった。
 ベルトリッチは結婚を個人的問題と見做しているのだろう。
 会議再開の時間になったので、ケンウッドは来賓室に戻った。アイダ・サヤカは長椅子に横になって居たが眠ってはいなかった。彼が入ると起き上がったので、ケンウッドは申し訳なく感じた。

「会議では、貴女方の話題は出ていないようです。」
「予算が先なのでしょう。」
「私の顔を見るとすぐに3年前のテロの話題を出して来たので、議題はセキュリティ強化に関係することの様です。」

 それから2人はやっとテーブルの上の食べ物に手を付けた。合成蛋白質のステーキを口に入れて、アイダが呟いた。

「子供の時から食べている筈なのに、美味しくないわ。」
「私もです。」

 それから1時間ほど2人は仮眠を取った。ベルトリッチから委員長執務室へ来るようにと連絡が入った時は、危うく熟睡する寸前だった。急いで彼等は顔を洗い、アイダは化粧を整えて執務室へ向かった。
 ベルトリッチの部屋には、思いの外、人が多かった。委員長、副委員長、書記長、理事長、理事5名の委員会幹部の他に、初対面の中年の女性がいた。初対面だが、ケンウッドは彼女を知っていた。宇宙連邦では有名な女性だ。

「火星第2コロニーの行政長官で、航宙艦造船で有名なスパイラル工業のCEOでもある、アリス・ローズマリー・セイヤーズ女史です。」

とベルトリッチ委員長が紹介した。アイダが口の中で「セイヤーズ?」と呟いたが、それ以上の発言はなかった。スパイラル工業は大企業だ。そして地球人類復活委員会の最大の出資者様だった。
 空いた席に座るよう促され、ケンウッドとアイダは並んで座った。
 委員長が、出席者に既に例の問題の概要を語ったと説明した。理事長がケンウッドに向かって言った。

「ドーマーが結婚することに反対はしない。」

 そしてアイダに向かって言った。

「貴女の幸せを邪魔したくもない。だから、我々は、法律の穴を探る話し合いをする。よろしいか?」

泥酔者 5 - 4

 地球人類復活委員会本部の来賓室で、ケンウッドとアイダ・サヤカは落ち着かない時間を過ごして居た。アイダがハイネに断りもなく地球を出て来てしまったことを後悔しているのが、ケンウッドに伝わってきたが、彼も何も有効なことをしてやれなかった。もし委員会の採決で、彼女とハイネの婚姻を認めず、彼女の罷免が決定すれば、彼女はもう地球行きのシャトルには乗れないのだ。そしてケンウッドも長官と言う立場が危うくなる可能性があった。降格で済めば良いが、罷免もあり得る、と彼は今更ながら思い、気が重くなった。役職に固執する訳でないが、長官でなくなれば友人達を守ってやれない。
 時間が流れ、軽い食事が出た。ケンウッドは窓の外の地球を見た。アメリカではもう夜が明けた。長官業務を怠ることになるが、戻れないのでは仕方がない。またブラコフや秘書達に負担をかけるなぁと彼は思った。
 そんな彼の思いをアイダは敏感に察した。

「私事で貴方の貴重なお時間を使わせてしまい、申し訳ありません。」

と謝った。ケンウッドは振り返り、手を振って否定した。

「いやいや、1日ぐらい私がいなくても地球は回っていますし、女の子はまだ生まれないでしょう。」

 そして彼も謝った。

「有効な説得手段もないのに貴女を地球から連れ出してしまい、出産管理区に迷惑をかけてしまったのは、私の方です。申し訳ない。」

 彼は時計を見た。会議が始まって3時間経つ。

「私は少し外の空気を吸ってきます。貴女はここで横になって休んで下さい。半時間もすれば戻りますから。」

 幽閉されているのではないので、部屋からの出入りは自由だ。ケンウッドは通路に出た。書類を運ぶロボットが行き来する通路を歩き、数人の職員と挨拶を交わしたが、見知った人とは出会わなかった。出会ったとしても、今回の問題に役に立たないだろう。委員会も世代交代している。ベルトリッチはケンウッドの世代だから考え方は柔軟だが、熱烈なハイネファンとは言い難い。ハイネの我儘を聞いてくれると期待してはいけない。
 ヘンリー・パーシバルがここに居たら、何と言うだろうか。ハイネの結婚を認めてやれと言うだろうか? それとも彼女を苦境に立たせたくなければ諦めろと言うか?
 議場の近く迄行くと賑やかな声が聞こえて来た。通路に委員会のメンバー達が出ており、休憩しているのだった。会議の議題が必ずしもドーマーと執政官の結婚問題だけとは限るまい。ケンウッドは意を決して彼等の側へ歩いて行った。

泥酔者 5 - 3

 ロバータ・ベルトリッチの部屋は、ハナオカから引き継いだ委員長執務室だったが、歴代の男性委員長の時代と違って花を飾り、色彩豊かな絵画も壁に掛けられていた。部屋の主が変われば雰囲気も変わるのだな、とケンウッドは感心した。地球は男性ばかりでむさ苦しい。ベルトリッチの様に女性化してくれれば、ドームも外の社会ももっと華やかな世界になるのに、と彼は思った。ドームも同性愛者は少なくないのに、どうして女装しないのだろう。養育棟では常に男であれと教えているのだろうか?
 ベルトリッチは西ユーラシア・ドームでの勤務経験があった。専門は食物に含まれる成分がホルモンの分泌に与える影響を調べることだ。
 ケンウッドとアイダに椅子を勧めてから、彼女は自らの手でお茶を淹れた。2人にカップを手渡し、自席に着くと、会見の目的を促した。

「通信では具体的な面会用件の内容に触れられませんでしたが、一体何のお話でしょう?」

 ケンウッドはアイダを見た。彼女が緊張しているのを見て、彼は自分が話すしかないと決心した。

「当方の遺伝子管理局長が、こちらのアイダ博士との婚姻を希望しています。」

 ベルトリッチが口元に運び掛けたカップを机に戻した。アイダを見て、「マジ?」と呟いた。

「遺伝子管理局長とは、あの、ローガン・ハイネですよね?」
「はい、あの、ローガン・ハイネです。」
「あの、白いドーマーが、こちらのアイダ博士と結婚したがっていると?」

 ケンウッドが「はい」と答え、アイダも頷いた。ベルトリッチが2人の顔を見比べて、再び視線を彼女に留めた。

「貴女はどうなのです? 」

 アイダは深呼吸してから答えた。

「ずっと彼のことが好きでした。でも結婚は出来ないと思っていました。法律がありますし・・・」
「ハイネも法律は承知していますよね?」
「当然です。彼はドームの住人、ドーマーにもコロニー人にも法律を守らせる立場の人間です。」
「それでも彼は貴女との結婚を望んでいる?」
「はい。」

 ベルトリッチはケンウッドを見た。

「貴方はいかがお考えです、長官?」

 ケンウッドは正直に述べた。

「私は彼等の希望を叶えてあげたいと思っています。しかし、現行の法律では障害が多過ぎます。結婚するとなると、アイダ博士は地球永住権を取得しなければなりません。永住権を取ると、宇宙には戻れなくなります。アイダ博士には、故郷の火星コロニーにお子さんとその家族がいます。彼等に会えなくなるのは辛い筈です。それに、委員会が彼女を執政官の身分から罷免すると、彼女はドームに住む資格を失い、外へ出なければなりません。しかし、ローガン・ハイネは外に出られない。彼の年齢では体力的に、外気の中で生活するのは無理なのです。2人は会えなくなります。それでは結婚する意味がない。
 また、宇宙に出られなくなると、アイダ博士には重力障害の危険が生じます。ハイネは平穏無事に生活していけば、この先60年は生きるだろうと予想されています。妻が地球の重力で衰弱してしまうのは、彼にとって辛いことだと思うのです。」
「つまり?」
「2人の結婚を認めることは、特例措置でもなければ無理でしょう。しかし、彼等にチャンスを与えてやって戴けませんか? ハイネは死ぬ迄遺伝子管理の仕事を続けなければなりません。独身のまま、ずっと働かせるおつもりですか? アイダ博士は地球人の母親と赤ん坊達の為に30年間尽くしてこられました。ドーマー達にとっても彼女は良き母親です。でも業務を終えて誰も居ないアパートに帰るのは、寂しいことではありませんか?
 ハイネ局長もアイダ博士も普通の夫婦の様に一つの部屋で過ごす時間を持ちたいだけなのです。どうか、地球人保護法と言う矛盾の多い法律を彼等に押し付けないでくれませんか?」

 ベルトリッチは冷めたお茶を見下ろした。

「簡単に言うと・・・アイダ博士とローガン・ハイネが同居することを認めて欲しい・・・と?」

 ケンウッドは頷いた。アイダ・サヤカは小さく「はい」と答えた。そしてケンウッドを見たので、彼女が発言したがっているとケンウッドは解釈した。彼は頷いた。
 アイダがベルトリッチ委員長を見た。

「私は長い間、ローガン・ハイネに憧れておりました。彼は美しく人間的にも立派な人です。ですから多くの女性執政官が彼に憧れており、私は彼の関心を惹くとは思っておりませんでした。ですが、この年齢になっても彼に恋い焦がれる自分が情けなくなり、先日遂に決心してケンウッド長官に辞表を提出しました。地球を去って、家族と暮らせば、彼を忘れられると思ったのです。ところが、翌日、彼が私のところに現れ、いきなり彼の気持ちを告白したのです。正直、驚きました。」
「驚いた? 相思相愛でしょう?」
「彼はそれまでそんな素ぶりを一切見せなかったのです。」

 ケンウッドが急いで言葉を添えた。

「決して彼女の辞意を翻そうと芝居を打ったのではありません。その後で彼は私の部屋に来て、彼女との婚姻を認めて欲しいと訴えたのです。」
「貴方はそれを信じたのですね、ケンウッド長官?」
「信じます。彼は決して嘘をつかない。アイダ博士を月が呼び戻すなら、自分はドームの外に出ると私を脅迫までしました。」

泥酔者 5 - 2

 月の宇宙港から地球人類復活委員会本部までは車で10分足らずだ。しかし外の景色は没個性のビルばかりで眺めても面白くもなんともない。ケンウッドは火星のコロニーの方が好きだが、月コロニーの唯一の長所は空に大きな青い地球が浮かんで見えることだった。

 しかし、地球に愛する人を残して来た人には、見るのは辛いだろう。

 ケンウッドは将来自身が引退する時の気分を想像して、ちょっと気が滅入った。重力は辛いが、死ぬまであの惑星で暮らしたいと言うのが、今の彼の本心だった。
 昨年、ハナオカが委員長の座を下りて、常勤顧問になった。新委員長が色々と前の職の仕事を引きずっているので、実質ハナオカがまだ委員会の指揮を執っていると言う噂だった。これが今回の騒動に吉と出るか凶と出るか、ケンウッドには予想がつかなかった。ハナオカは前任者ハレンバーグに比べればローガン・ハイネに執着していないが、それでも「白いドーマー」は汚されるべきでないと考える世代の1人だ。ハイネが現役の執政官に恋をしていると知れば、何と言うだろう。
 本部に到着すると、偶然にも新委員長が別の車から下りて来るところだった。約束は出来ないが、時間があれば会っても良いと返事をもらっていたので、ケンウッドが声を掛けると、委員長は振り返り、

「あら、タイミングが良いわね。」

と微笑んだ。それでケンウッドはアイダを紹介した。

「アメリカ・ドーム出産管理区長アイダ・サヤカ博士です。アイダ博士、地球人類復活委員会の新しい委員長ロバータ・ベルトリッチ博士だ。」

 ベルトリッチが笑顔で「よろしく!」と手を差し出した。アイダ・サヤカは一瞬躊躇ってから、その手を握った。綺麗な小麦色の肌の指の長いベルトリッチの手は、骨がしっかりしていた。ベルトリッチが彼女の躊躇いに気が付いて笑った。

「戸惑っていらっしゃいますね?」
「お聞きしていた年齢よりずっとお若く見えますので・・・」

 するとベルトリッチはケンウッドを振り返った。

「地球人は同性愛者が多いと聞きましたが?」

 ケンウッドは真面目に答えた。

「男性の人口が圧倒的に多いので、必然的にそうなるのです。女性が生まれれば、比率は下がるでしょう。」
「そうでしょうね、地球勤務希望者の中には、同性愛の社会を期待して応募して来る人がいるので、困っています。ドーマーの存在を何か勘違いしているらしい。」

 そしてベルトリッチは2人に手招きして本部ビルの中へ入って行った。ケンウッドはアイダを振り返って、手振りで「お先に」と合図した。彼女が彼に並んで囁いた。

「委員長は、彼ですか、彼女ですか? どちらでお呼びすれば良いのでしょう?」

 それが彼女の戸惑いの原因だった。新委員長は女性として生活しているが、染色体は男性を示している人だ。

「普段の生活では彼女で良いのではありませんか? 医学的には彼になるかも知れませんが。」

 ケンウッドの返答に、アイダは得心が行った顔で、やっとビルの中に足を踏み入れた。

泥酔者 5 - 1

 夜空は澄み渡っている。風が少しひやりとして心地よい。ケンウッドは端末を出して大気中の放射線量を測定した。人体に影響はない。気温も適温、湿度も少し乾いているが乾燥しているとは言い難い。大気中のバクテリアも標準だ。ただし、ドームの中の空気に比べると「汚い」。
 足音が近づいて来た。

「お待たせしました。」

 彼は振り返った。アイダ・サヤカ博士が立っていた。私服で、小さなバッグだけ持っている。重力休暇を取るには軽装過ぎる。彼女はケンウッドと共に直ぐに帰ってくるつもりなのだ。子供達と会わないのか、とケンウッドは彼女の決意の固さの度合いに内心溜め息をついた。子供と会ってしまうと決心が揺らぐのか?
 2人はシャトルに乗り込んだ。夜中の出発は、ドーマー達に知られたくないからだ。月の地球人類復活委員会本部で、彼女は委員会に彼女の身に起きたことをこれから報告する。執行部が喜ぶとは思えない。最悪の場合、彼女はこれきり地球に戻って来られない可能性もあるのだ。
 座席に落ち着くと、2人は他の乗客が乗り込むのを10数分待った。アイダがバッグから紙製のクロスワードパズルを出して来た。地球ではどこでも販売しているクイズ専門の雑誌だ。ドームの住人達は端末でネットゲームをするが、時々昔からの遊びもする。電波が届かない場所でも遊べるし、安価で、時にはインテリアにもなる。
 シャトルが出発した。この夜は月が地球のこちら側にいるので所要時間は3時間だ。月から来る場合だと2時間で済む。
 ケンウッドは黙っているのが辛くなったので、そっと彼女に囁いた。

「彼には何も言わずに?」
「ええ・・・」

 アイダはパズルから目を離さなかった。

「もう休んでいる時間でしょう?  今日は朝食の時に彼と会ったきりです。」
「正直なところ、私は驚いています。彼は今迄何も態度に出さなかったので。」
「私も・・・」

 彼女は雑誌を閉じた。しかしケンウッドの方は見なかった。

「ずっと私の一方通行だと思っておりました。だから・・・もう十分だと思ったのです。自分の気持ちを誤魔化してずっと彼の側で働くのはもう無理だと・・・。」
「つまり、貴女は彼から逃げる為に辞表を提出したのですか?」
「・・・お恥ずかしい限りですが、その通りです。孫は言い訳に過ぎません。」
「法律が貴方方の邪魔をしている。それはわかります。しかし、ご自分の心に嘘をついてはいけません。これからずっと後悔されるところでしたよ。」

 ケンウッドは隣の女性をそっと窺い見た。彼女は目を閉じていた。口元に小さな微笑を浮かべていたので、きっと今朝求愛された時の様子を思い出しているのだろう。
 アイダ・サヤカはマーサ・セドウィックとは全く違ったタイプの女性だ。小柄でぽっちゃり系で、子供の様にはしゃいだり、賑やかに仲間とふざけたりする。ドーマー達にとって優しく頼もしいお袋さんのイメージだ。ヤマザキがかつて「キーラ・セドウィックは女帝だが、アイダ・サヤカは観音菩薩だ」とからかったことがあった。

 ハイネも彼女の母性に惹かれているのだろう・・・

 実際にドームに来た時に彼女は既に母親だったのだから。
 彼女が地球永住権を取って子供に会えなくなるのは避けたい。それに永住権を取れたとして、ドームに残れると限らないのだ。
 彼女が外に出てしまえば、ハイネに二度と会えなくなる。それでは宇宙に帰ることと変わらない。