班チーフになると局長執務室への出入りが多くなる。入室許可は第2秘書のアルジャーノン・キンスキー・ドーマーが出す。この人は取り立てて大きな特徴がなく、物静かで真面目な男だ。第1秘書のネピア・ドーマーの様に目下の者に厳しくもなく、局長に心酔している風にも見えなかった。しかし秘書としての能力が優れているから局長に引き立てられたのだ。ポール・レイン・ドーマーはキンスキーを侮るまいと気をつけていた。
部下達の報告書は帰りの航空機の中で書かれ送信されているので、チーフの仕事は局長がそれらの報告書に目を通して感想や意見を述べるのを聞くことだ。局長から質問があれば答えるし、逆に局長にアイデアをもらうこともある。ハイネ局長はどんなに忙しくても、必ず部下の報告書のチェックを怠らない。
キンスキーが入室を許可したので、レインは局長執務室に入った。もう直ぐ夕食の時間だが、局長はまだコンピュータの前で仕事をしていた。レインが机の前に立って名乗っても直ぐには顔を上げなかった。
レインは背筋を伸ばして立ち続けた。直立不動の姿勢になる必要はないが、座れと言われないので立っていた。
ハイネがファイルを閉じて、顔を上げた。
「楽にしなさい。自由に座って良いと、前にも言った筈だ。」
「はい・・・」
本当は局長が報告書に何も言うことがなければ直ぐ退室するつもりで立っていたのだ。レインは何か言われるのかと身構える気分で椅子に腰を下ろした。局長はとっくに報告書を全部読んでしまっており、特に彼が口出しする様な事件も事案もなかったので、気軽な口調で話しかけた。
「ベーリングと言う医師がメーカーで、女子誕生の方程式を開発したらしいのだな?」
「そうです。しかし確認に手間がかかりそうです。彼のクリニックは砂漠の辺鄙な場所にあり、客や患者しかそんな場所に近づきません。我々が行けば、直ぐ遺伝子管理局とわかるでしょう。証拠を隠滅する時間を与えてしまいます。」
「それで?」
ハイネはコンピュータのスクリーンの陰でスティックチーズを出して、包みを剥がし始めた。食堂以外は喉を潤すお茶以外は飲食禁止なのだが、実際のところドーマー達はそれぞれの職場でこっそりオヤツを食べており、遺伝子管理局も例外ではなかった。
レインは微かにチーズの匂いを嗅いだ。また局長の病気が出ているな、と思った程度で、彼は気にしなかった。
ハイネが続けた。
「君は既に対策を考えているのだろう?」
「はい。何者かが女性を創る方程式を開発した噂は既に巷に流れています。ですから、私はベーリングの名を明かしてやるつもりです。メーカー同士でその方程式を奪い合うでしょう。連中を共倒れにしてやります。」
「方程式は?」
「ドームが200年かけて解けない謎を、巷のメーカーが解けたとは思っていません。」
「君はガセだと思うのだな?」
「はい。メーカー同士戦わせて殲滅させるつもりです。方程式など幻ですよ。」
「幻か・・・」
ハイネはスティックチーズを手元に置き、引き出しからキューブ型のチーズを出して、レインに「取れ」と言って投げ渡した。レインは不意打ちを食らった気分で慌ててチーズを受け止めた。
「ミニミニカマンベールだ。小さいが美味いぞ。」
「有り難うございます、頂きます。」
食堂以外では食べられないので、レインはその場でチーズを口に入れた。空腹だったので、一口サイズのチーズは実に美味しかった。それにしても、局長は何処からこんな物を調達するのだろう。
「その幻だが・・・」
とハイネが話を仕事に戻した。
「いつから噂が流れているのだ? 最近なのか、もっと以前からなのか? 先日君から話を聞いた時は、古くから流れていた噂の様だったが・・・」
「確証はありませんが、10年以上前から中西部のメーカーの間で噂になっているそうです。」
「もしそれが本当なら、10年以上も前に方程式が完成しているのに、何故そのベーリングとやらは、女の子を量産しない?」
レインはチーズを飲み込んだ。
「そこなんです、俺が方程式の話は眉唾物だと思う理由は・・・」
ハイネはスティックチーズを一口齧って飲み込んでから、言った。
「方程式はないのだろう。しかし、女の子は生まれたのではないか?」
「ええ?」
レインは思わず局長の顔を見つめた。ハイネはチーズの先端を眺めながら続けた。
「ベーリングは偶然女の子のクローンを作った。しかしどうして女の子が生まれたのか、わからない、彼自身が方程式を解こうと躍起になっているのかも知れない。」
レインは考え込んだ。
「あの地方で女の子の住民登録を調べましょう。」
「ベーリングが娘の出生届けを出していれば、見つけるのは簡単だが・・・」
「出生届けを出していなくても、探る方法はあります。」
彼は箱入り息子のボスにそれとなく教えた。
「女の子がいる家庭は、男しかいない家庭とは、買い物の内容が違うのです。」
部下達の報告書は帰りの航空機の中で書かれ送信されているので、チーフの仕事は局長がそれらの報告書に目を通して感想や意見を述べるのを聞くことだ。局長から質問があれば答えるし、逆に局長にアイデアをもらうこともある。ハイネ局長はどんなに忙しくても、必ず部下の報告書のチェックを怠らない。
キンスキーが入室を許可したので、レインは局長執務室に入った。もう直ぐ夕食の時間だが、局長はまだコンピュータの前で仕事をしていた。レインが机の前に立って名乗っても直ぐには顔を上げなかった。
レインは背筋を伸ばして立ち続けた。直立不動の姿勢になる必要はないが、座れと言われないので立っていた。
ハイネがファイルを閉じて、顔を上げた。
「楽にしなさい。自由に座って良いと、前にも言った筈だ。」
「はい・・・」
本当は局長が報告書に何も言うことがなければ直ぐ退室するつもりで立っていたのだ。レインは何か言われるのかと身構える気分で椅子に腰を下ろした。局長はとっくに報告書を全部読んでしまっており、特に彼が口出しする様な事件も事案もなかったので、気軽な口調で話しかけた。
「ベーリングと言う医師がメーカーで、女子誕生の方程式を開発したらしいのだな?」
「そうです。しかし確認に手間がかかりそうです。彼のクリニックは砂漠の辺鄙な場所にあり、客や患者しかそんな場所に近づきません。我々が行けば、直ぐ遺伝子管理局とわかるでしょう。証拠を隠滅する時間を与えてしまいます。」
「それで?」
ハイネはコンピュータのスクリーンの陰でスティックチーズを出して、包みを剥がし始めた。食堂以外は喉を潤すお茶以外は飲食禁止なのだが、実際のところドーマー達はそれぞれの職場でこっそりオヤツを食べており、遺伝子管理局も例外ではなかった。
レインは微かにチーズの匂いを嗅いだ。また局長の病気が出ているな、と思った程度で、彼は気にしなかった。
ハイネが続けた。
「君は既に対策を考えているのだろう?」
「はい。何者かが女性を創る方程式を開発した噂は既に巷に流れています。ですから、私はベーリングの名を明かしてやるつもりです。メーカー同士でその方程式を奪い合うでしょう。連中を共倒れにしてやります。」
「方程式は?」
「ドームが200年かけて解けない謎を、巷のメーカーが解けたとは思っていません。」
「君はガセだと思うのだな?」
「はい。メーカー同士戦わせて殲滅させるつもりです。方程式など幻ですよ。」
「幻か・・・」
ハイネはスティックチーズを手元に置き、引き出しからキューブ型のチーズを出して、レインに「取れ」と言って投げ渡した。レインは不意打ちを食らった気分で慌ててチーズを受け止めた。
「ミニミニカマンベールだ。小さいが美味いぞ。」
「有り難うございます、頂きます。」
食堂以外では食べられないので、レインはその場でチーズを口に入れた。空腹だったので、一口サイズのチーズは実に美味しかった。それにしても、局長は何処からこんな物を調達するのだろう。
「その幻だが・・・」
とハイネが話を仕事に戻した。
「いつから噂が流れているのだ? 最近なのか、もっと以前からなのか? 先日君から話を聞いた時は、古くから流れていた噂の様だったが・・・」
「確証はありませんが、10年以上前から中西部のメーカーの間で噂になっているそうです。」
「もしそれが本当なら、10年以上も前に方程式が完成しているのに、何故そのベーリングとやらは、女の子を量産しない?」
レインはチーズを飲み込んだ。
「そこなんです、俺が方程式の話は眉唾物だと思う理由は・・・」
ハイネはスティックチーズを一口齧って飲み込んでから、言った。
「方程式はないのだろう。しかし、女の子は生まれたのではないか?」
「ええ?」
レインは思わず局長の顔を見つめた。ハイネはチーズの先端を眺めながら続けた。
「ベーリングは偶然女の子のクローンを作った。しかしどうして女の子が生まれたのか、わからない、彼自身が方程式を解こうと躍起になっているのかも知れない。」
レインは考え込んだ。
「あの地方で女の子の住民登録を調べましょう。」
「ベーリングが娘の出生届けを出していれば、見つけるのは簡単だが・・・」
「出生届けを出していなくても、探る方法はあります。」
彼は箱入り息子のボスにそれとなく教えた。
「女の子がいる家庭は、男しかいない家庭とは、買い物の内容が違うのです。」