2018年4月1日日曜日

泥酔者 5 - 3

 ロバータ・ベルトリッチの部屋は、ハナオカから引き継いだ委員長執務室だったが、歴代の男性委員長の時代と違って花を飾り、色彩豊かな絵画も壁に掛けられていた。部屋の主が変われば雰囲気も変わるのだな、とケンウッドは感心した。地球は男性ばかりでむさ苦しい。ベルトリッチの様に女性化してくれれば、ドームも外の社会ももっと華やかな世界になるのに、と彼は思った。ドームも同性愛者は少なくないのに、どうして女装しないのだろう。養育棟では常に男であれと教えているのだろうか?
 ベルトリッチは西ユーラシア・ドームでの勤務経験があった。専門は食物に含まれる成分がホルモンの分泌に与える影響を調べることだ。
 ケンウッドとアイダに椅子を勧めてから、彼女は自らの手でお茶を淹れた。2人にカップを手渡し、自席に着くと、会見の目的を促した。

「通信では具体的な面会用件の内容に触れられませんでしたが、一体何のお話でしょう?」

 ケンウッドはアイダを見た。彼女が緊張しているのを見て、彼は自分が話すしかないと決心した。

「当方の遺伝子管理局長が、こちらのアイダ博士との婚姻を希望しています。」

 ベルトリッチが口元に運び掛けたカップを机に戻した。アイダを見て、「マジ?」と呟いた。

「遺伝子管理局長とは、あの、ローガン・ハイネですよね?」
「はい、あの、ローガン・ハイネです。」
「あの、白いドーマーが、こちらのアイダ博士と結婚したがっていると?」

 ケンウッドが「はい」と答え、アイダも頷いた。ベルトリッチが2人の顔を見比べて、再び視線を彼女に留めた。

「貴女はどうなのです? 」

 アイダは深呼吸してから答えた。

「ずっと彼のことが好きでした。でも結婚は出来ないと思っていました。法律がありますし・・・」
「ハイネも法律は承知していますよね?」
「当然です。彼はドームの住人、ドーマーにもコロニー人にも法律を守らせる立場の人間です。」
「それでも彼は貴女との結婚を望んでいる?」
「はい。」

 ベルトリッチはケンウッドを見た。

「貴方はいかがお考えです、長官?」

 ケンウッドは正直に述べた。

「私は彼等の希望を叶えてあげたいと思っています。しかし、現行の法律では障害が多過ぎます。結婚するとなると、アイダ博士は地球永住権を取得しなければなりません。永住権を取ると、宇宙には戻れなくなります。アイダ博士には、故郷の火星コロニーにお子さんとその家族がいます。彼等に会えなくなるのは辛い筈です。それに、委員会が彼女を執政官の身分から罷免すると、彼女はドームに住む資格を失い、外へ出なければなりません。しかし、ローガン・ハイネは外に出られない。彼の年齢では体力的に、外気の中で生活するのは無理なのです。2人は会えなくなります。それでは結婚する意味がない。
 また、宇宙に出られなくなると、アイダ博士には重力障害の危険が生じます。ハイネは平穏無事に生活していけば、この先60年は生きるだろうと予想されています。妻が地球の重力で衰弱してしまうのは、彼にとって辛いことだと思うのです。」
「つまり?」
「2人の結婚を認めることは、特例措置でもなければ無理でしょう。しかし、彼等にチャンスを与えてやって戴けませんか? ハイネは死ぬ迄遺伝子管理の仕事を続けなければなりません。独身のまま、ずっと働かせるおつもりですか? アイダ博士は地球人の母親と赤ん坊達の為に30年間尽くしてこられました。ドーマー達にとっても彼女は良き母親です。でも業務を終えて誰も居ないアパートに帰るのは、寂しいことではありませんか?
 ハイネ局長もアイダ博士も普通の夫婦の様に一つの部屋で過ごす時間を持ちたいだけなのです。どうか、地球人保護法と言う矛盾の多い法律を彼等に押し付けないでくれませんか?」

 ベルトリッチは冷めたお茶を見下ろした。

「簡単に言うと・・・アイダ博士とローガン・ハイネが同居することを認めて欲しい・・・と?」

 ケンウッドは頷いた。アイダ・サヤカは小さく「はい」と答えた。そしてケンウッドを見たので、彼女が発言したがっているとケンウッドは解釈した。彼は頷いた。
 アイダがベルトリッチ委員長を見た。

「私は長い間、ローガン・ハイネに憧れておりました。彼は美しく人間的にも立派な人です。ですから多くの女性執政官が彼に憧れており、私は彼の関心を惹くとは思っておりませんでした。ですが、この年齢になっても彼に恋い焦がれる自分が情けなくなり、先日遂に決心してケンウッド長官に辞表を提出しました。地球を去って、家族と暮らせば、彼を忘れられると思ったのです。ところが、翌日、彼が私のところに現れ、いきなり彼の気持ちを告白したのです。正直、驚きました。」
「驚いた? 相思相愛でしょう?」
「彼はそれまでそんな素ぶりを一切見せなかったのです。」

 ケンウッドが急いで言葉を添えた。

「決して彼女の辞意を翻そうと芝居を打ったのではありません。その後で彼は私の部屋に来て、彼女との婚姻を認めて欲しいと訴えたのです。」
「貴方はそれを信じたのですね、ケンウッド長官?」
「信じます。彼は決して嘘をつかない。アイダ博士を月が呼び戻すなら、自分はドームの外に出ると私を脅迫までしました。」