2016年9月18日日曜日

牛の村 5

 ライサンダー・セイヤーズは居間でラムゼイ博士とチェスをしていた。彼は父親に勝ったことは一度もなかったが、博士には負けたことがなかった。ラムゼイ博士は特に不機嫌になることもなく、むしろ自身の作品の出来映えに満足しているかの様に、愉しげだった。そこへ、昼食後にどこかへ出かけていた秘書のジェリー・パーカーが戻って来た。開口一番、彼は博士とライサンダーを驚かせた。

「博士、『氷の刃』を生け捕って来ましたよ。」

 博士とライサンダーはほぼ同時に居間の入り口を見た。
 スキンヘッドの若い男が部下に小突かれながら部屋に入って来た。ライサンダーは立ち上がった。間違いなく、ポール・レイン・ドーマーだ。
 ポールは泥水と牛の涎で汚れたので、捕まって農家に連行された後、風呂に入れられた。関節を外して逃げたり出来ない様に、シリコンゴムの特殊手錠で手首を縛られたので、ジェリーの部下の手で洗ってもらったが、その手を通して不快な思考が感じられたので、酷く気分が悪かった。ドームのファンクラブの連中が酔っ払った時の感情に似ていて、不愉快な空想をしているのがわかったから。
 衣服はもらえず、腰にタオルを巻かれ、その上からバスローブを掛けられた。そんな恥ずかしい姿で屋敷内を歩かされ、ラムゼイ博士の前に引き出されたのだ。
 博士の横にライサンダーが居て、テーブルの上にチェスボードが載っていた。ライサンダーは捕虜ではないのか?
 ラムゼイ博士が立ち上がった。重力サスペンダーのブーンと言うモーター音が聞こえ、初めてポールはこの大物メーカーが自力で立てないことを知った。

「『氷の刃』・・・それとも、ポールと呼んで欲しいかね?」

 博士が彼の本名を知っていようがいまいがどうでも良かったので、黙っていたら、博士はすぐそばに来た。バスローブを剥ぎ取られ、タオルも外された。博士が後ろから前から、右から左から、彼の体をじっくり眺めた。ポールは宙を見つめ、博士もライサンダーもジェリーも、その存在を忘れようと努めた。

「さながら生きたギリシア彫刻だなぁ。」

と博士が感嘆の声を漏らした。

「そう思うだろ、ライサンダー?」

ライサンダーは何故か顔が赤くなるのを防げなかった。見まいと思うのに、目が離せない。こんな美しい男は見たことがない。

 親父が愛した相手だ・・・

彼は力を振り絞って逆らった。

「俺の親父の方がずっと綺麗だ。」

ラムゼイ博士が、カッカッカッと笑った。

「確かに、おまえの父親も別の美しさだな。儂もアレが大好きだよ。残念なことに、ドームが閉じ込めてしまったがな。」

博士はポールの顎を掴んで、自分の方へ顔を向けさせた。目と目が合った。

「おまえは自分の価値を知っているかね?」

と博士が囁きかけた。

「儂は、おまえが知っている以上に知っているぞ。」