2020年7月17日金曜日

蛇行する川 2   −2

 それにしても、どうしてサルバトーレはケンウッド博士の端末に直接電話を掛けて戻ってくれと要請しないのだろう。シマロンは疑問に思ったが、それは彼がドームの電話システムを知らないからだった。ドームで働く人々はそれぞれの端末に4つの番号を与えられている。個人用でドーム内部だけの通話で使用する番号、個人用でドームの内外で通話可能な番号、業務用でドーム内部だけの通話番号、業務用でドームの内外で使用できる番号だ。そして内外で使用出来る電話は、例え外にいる人間がやはり外にいる人間に掛ける場合でも必ずドームの保安課の検査機器を通して繋がるのだ。ドーム内部の機密事項が外部に漏れない為の用心で、全ての人の会話を盗聴しているのではない。沢山あるキーワードが会話の中に出てこないか、それだけをチェックしているのだ。だが私的な会話を他人に聞かれている、機械に登録されていると想像しただけでも良い気分はしない。外での仕事が日常的な業務をしているドームの人間は気にしないのだが、ケンウッド博士の様に滅多に外に出ない人は却って気になるものなのだ。
それに護衛している長官に勝手に外出されたと本部にいる上司や同僚に知られるのは、サルバトーレにとって良い事態ではない。叱責されるのは必至だ。いや、サルバトーレは叱責を恐れているのではない。身勝手な外出がドーム幹部に知れ渡ったら、ケンウッド長官自身がバツの悪い思いをするだろう、と若い保安課員は気遣ったのだ。
 そんなドーム側の事情を知らないシマロンは、ハーローに留守番を頼むとサンドイッチの袋を持ってパトロールカーに乗り込んだ。朝食を食べながらのんびり街道を半時間ほど運転して見たが、コロニー人の博士らしき運転者と出会わなかった。サンダーハウスからクリアクリークまで直通で車を法定速度で走れば2時間あまりで着く。サルバトーレの電話は7時前だった。ケンウッド博士は5時前には宿舎を出たのだろう。サルバトーレは何時博士の不在に気が付いたのだ? シマロンは時系列を確認しなかった己の迂闊さに舌打ちした。
 彼が諦めて街に戻るろうとUターンしかけた時、目の前をクリアクリークに向かって一台の乗用車が走って行った。車体にサンダーハウスの所有車である稲妻の模様が黄色くペイントされている薄い銀色の車だ。運転している中年の男の横顔に見覚えがあった。

 見つけた!

 シマロンは車の向きを変えてケンウッド博士を追いかけた。脅かしたくなかったが、サイレンを鳴らすと、驚くほど素直に相手は車を路肩に寄せて停車した。
 シマロンは後ろに停車して車外に降りた。歩いて近づくと、運転者は彼を認め、窓を開けてくれた。

「おはよう、保安官。」
「おはようございます、ケンウッド博士。」

 シマロンは相手の車体に手を突いた。

「サルバトーレさんから連絡をもらって、貴方を引き止めてくれと依頼されましたよ。」

 ケンウッド博士は苦笑いした。

「彼を困らせるつもりはなかったのだが、落し物が消えてなくなりはしないかと想像したら、居ても立ってもいられなくてね・・・森で昨日の散歩コースを歩く間だけでも猶予をもらえないかな?」

 シマロンは空を見上げた。青く晴れ渡った気持ちの良い天気だ。突風も雨もないだろう。

「わかりました、付き合いましょう。サルバトーレさんには俺から連絡を入れますが、良いですか?」
「構わない。そうしてくれた方が、彼にも迷惑がかからないだろう。」

 とっくに迷惑をかけているだろうに、と思いつつもシマロンはその場でサルバトーレに電話をかけた。サルバトーレは運転中だったが、シマロンがケンウッド博士を見つけてこれから一緒に森へ行くと告げると、保安官事務所で待っています、と答えた。
 通話を終えると、シマロンは博士に言った。

「取り敢えず、保安官事務所まで行きましょう。それから俺の車で森の入り口まで一緒に行って探し物をすると言うのはどうです?」
「いいね。」

 博士は諦めの表情で承諾した。

「人に頼めない、つまらない物なんだよ。私個人の宝物でね・・・」