2020年7月17日金曜日

蛇行する川 2   −3

 シマロンはケンウッド博士の車を先に行かせて保安官事務所まで戻った。到着した時は午前8時半だった。事務所内ではハーローが退屈そうに書類仕事をしていた。昨夜は遅くまで居酒屋で騒いだので、遺体回収報告書がまだだったのだ。もっとも提出する上司はシマロンだから急ぎはしない。シマロンも郡警察に報告書を送付しなければならないのだが、ハーローの報告書の方を先に仕上げてもらわなければ書けない。
 シマロンがケンウッド博士の落し物を探しに森へ行くと告げると、ハーローは羨ましそうな表情をした。仕事を交換して欲しそうだったので、シマロンはサルバトーレが来るから一緒に留守番してくれと言った。ハーローはそれで我慢することを承諾した。
 シマロンが外に出ると、ケンウッド博士は姿を消していた。先に森へ行ったのかと一瞬慌てたが、博士はまだ開店していないハンバーガー屋の前に立っていた。朝ごはんがまだなのだ、とシマロンは気が付いた。近づいて来る保安官を振り返って、ケンウッド博士はバツが悪そうに微笑んだ。

「どうも私は間が悪いと言うか、場の空気を読めないと言うか、皆んなに迷惑ばかりかけているようだね。」
「誰も迷惑なんて思っちゃいませんよ。」

 シマロンはホテルの赤い屋根を指差した。

「お時間があるのでしたら、昨日と同じカフェで朝食になさってはいかがです?」
「落し物が気になるから、何か軽い菓子パンでも買って行くよ。」

 シマロンはケンウッド博士をパトロールカーに乗せた。博士は子供の様に嬉しそうな顔をして、昔の映画に出てくる車にそっくりだねと言った。
 この人は本当にアメリカの子供達が生まれるドームの最高責任者なのだろうか、とシマロンは思った。優しいただの小父さんにしか見えない。

「ところで博士、落し物って何です?」

 すると博士は頬を微かに赤らめた。

「指輪だよ。」
「指輪?」
「赤いコランダムで六条の光の模様が見える石が付いた銀のリングだ。」
「まさか・・・スタールビー?」
「本物であればね。」
「と言うと?」
「子供の玩具なんだ。地球でのコランダムの宝飾品としての価値は、私の様な朴念仁にはわからないが、火星のコロニーでは大量に産出される小惑星が発見されて以来、とても安いのだよ。もちろん、高品質の物や綺麗な石はそれなりに高価だが、ほとんどは歪で傷物だったり不純物の含有が多かったりで安いのだ。そう言うクズルビーやサファイヤは子供の玩具に使われたりインテリアの素材に用いられる。私が落としたのは、子供の玩具の指輪だ。」
「そんな物をどうして貴方が・・・」

 パトロールカーはホテルの駐車場に入った。シマロンはカフェに近い場所に車を停めた。2人でカフェに向かって歩いて行くと、コーヒーカウンターでヴァンスが自分用のコーヒーをカップに入れているところだった。幼馴染の保安官とコロニー人の客の組み合わせを見て、彼はおやおやと呟いた。

「おはよう、トニー。おはようございます、ケンウッド博士。」
「おはよう、ジョン。」
「おはよう、ヴァンスさん。」

 シマロンはヴァンスの前で立ち止まり、ケンウッド博士は食べ物を販売しているカウンターへ向かった。ヴァンスが目でシマロンに尋ねた。博士が何故ここにいるのか、と。
 シマロンは自分のコーヒーを入れた。

「彼は昨日の朝、森で散歩した時に落し物をしたそうなんだ。これから2人で探しに行く。」
「大事な物か?」
「彼にとっては大事な物らしい。」

 まだ玩具の宝石の話は完結していない。だが、あのコロニー人の博士にとって本当に大切な物なのだろう。本物の宝石よりもあの人にとっては価値があるのだ。
 ケンウッド博士がフワフワのソフト揚げパンを包んでもらってやって来た。ヴァンスが食べながら歩くのでしたら、と携行用容器にコーヒーを入れてあげた。料金は彼の奢りだと言ったのだが、博士は支払いはきちんとすると譲らなかった。それでヴァンスは容器代だけ無料にして、博士を納得させた。