2018年1月6日土曜日

購入者 2 - 6

 局長執務室も通路と同様に肌寒かった。暖房が効いていない。執務机の向こうに座っている局長はコートを脱いでいるがマフラーを巻いたままだった。彼はコンピュータの画面を眺めていて、第1秘書のジェレミー・セルシウス・ドーマーが2人の部下の入室を告げても顔を上げなかった。
 局長の机から遠い位置に座っていた北米北部班チーフ・ウィリアム・チェイス・ドーマーが彼等に手招きして空いている椅子を指した。普通局長とチーフが部下を呼び出す時、チーフは局長のそばに座るものだが・・・?
 レインとクロエルは不審を覚えながら指された椅子に座った。チェイスが端末の画面にレインが今朝送った報告書を表示して、2人に見せた。

「この報告書は何だ?」

 声が低い。局長に聞かれたくないみたいだ。レインは首を伸ばして画面を見た。

「何だと聞かれましても、報告書としか答えようがありませんが・・・」
「これのどこが報告書だ?」

 チェイスは低い声でレインの報告書を読み上げた。

「『寒くて堪らないので、支局巡りは予定を切り上げて中止しました。』」
「事実を書いたまでです。」

 チェイスの濃い青い瞳がレインの薄い水色の目を見つめた。

「他に表現の仕様はなかったのか? 吹雪のため視界不良で運転困難、とか、路面凍結で走行に危険が生じる、とか・・・」
「つまり、仕事をサボった理由を具体的に書いて上司を納得させろと?」

 レインの生意気な言葉に、第1秘書のセルシウスがクスクス笑った。クロエルはそっと局長の顔色を伺って見た。局長は部下達の会話が聞こえていないのか、相変わらず画面を見つめていた。クロエルはふと疑問を抱いた。この呼び出しに局長は関係していないのではないか? チーフ・チェイスはただ場所を借りているだけでは?
 ドアが開いて第2秘書のネピア・ドーマーが戻ってきた。手にトレイを持っており、テイクアウト用コーヒーカップが3つ載っていた。彼は1つを先輩セルシウスに手渡し、1つを彼自身の机に置き、最後の一つを持って3人の部下の横を通り、局長の執務机に運んだ。

「キャラメルマキアートでございます。カードをお返し致します。」
「ご苦労。」

 局長が初めて声を発し、カップを受け取って机に置き、次いでカードを受け取ってポケットにしまった。そしてまた画面に視線を戻した。ネピア・ドーマーは恭しく一礼して自身の机に戻った。
 レインとクロエルはコーヒーの香りに挟まれた。冷え切った彼等にそれはさながら拷問だった。
 レインはチーフ・チェイスに謝った。

「申し訳ありません、寒さで心まで凍えてしまい、反抗的になっていました。指がかじかんでキーを打つのが面倒だったのと、唇が上手く動かず音声入力もままならなかったので、ついいい加減な報告を書いてしまいました。以後気をつけます。」

 チェイスはちらりとボスの机の上で湯気を立てているコーヒーカップを見た。ハイネ局長は猫舌なので、まだコーヒーに手をつけずに仕事を続けていた。チェイスは視線を部下に戻した。

「報告書に主観的なことは書くな。『寒いから』とか『冷たいので』と言うのは主観だ。簡潔でも要点が伝われば、問題ない。天候不良で業務中止、で構わないのだ。」
「わかりました。ご指導、有り難うございます。」

 クロエル・ドーマーもコーヒーカップの湯気を見ていた。ドームの中で販売されているコーヒーはカフェイン抜きだ。しかし転属前は南米で働いていたクロエルは、カフェインが含まれた苦いコーヒーが好きだった。体の芯まで冷えている彼は、例え局長好みの砂糖とミルクたっぷりの甘いキャラメルマキアートでも構わないから、熱々のコーヒーが飲みたかった。ふと気がつくと、局長が彼を見ていた。視線がぶつかった。クロエルは口元に微笑を浮かべた。彼は局長が大好きだ。どのドーマーよりも深く局長を愛している自信があった。思いっきり愛情を込めてボスを見返した。「クロエル」と局長が彼の名を呼んだ。

「はい?」

 もし犬だったら、クロエルは尻尾をちぎれるほど振って見せただろう。局長に見つめられ、名前を呼んでもらって、それだけで有頂天になりそうだった。ハイネが言った。

「文面が『てん、てん、てん』とそれだけの報告書なんて、ないよなぁ?」
「・・・」

 レインが、セルシウスが、ネピアがクロエルを見た。既に報告書に目を通していたチェイス・ドーマーが咳払いして、部下の注意を自分に向けた。

「クロエル・ドーマー、報告書の書き方を内勤オフィスへ行って教わってきてはどうだ?」