2018年1月28日日曜日

脱落者 4 - 8

 爆発シーンの映像は3名の犠牲者から始まった。流石に、強烈な酸を浴び破裂したガラスの欠けらに頸動脈を切り裂かれた人間を見るのは耐えられなかった。多くの手術を手がけて来たヤマザキも、恐らく何度も凄惨な事件現場を見て来たであろうドナヒュー軍曹も目を細め、あるいは視点をずらしてしまった。彼等は何が起きるのかわからなかったのだ。薬品が間違っていた。誰かが細工したのか、それとも製薬会社がミスを冒したのか、それはまだ不明だ。しかし、3名の研究者には爆発は待ったく予想外の出来事だった。
一瞬で亡くなってしまったことが、ケンウッド達にとっては慰めだった。苦しむことも、痛みを感じる暇もなかった。
 室内は薬品から立ち上った蒸気または煙で一瞬白く烟ったが、ベックマンの処理で可視状態に戻った。
 薬剤の飛散は実験台から半径1mばかりの範囲だった。その範囲内に居たガブリエル・ブラコフは薬品を顔面に浴びた。彼は仰向けに倒れた。倒れてもまだ意識は数秒間あった。悲鳴を上げ、両手で顔を庇おうとした。
 ハイネ局長は彼の1歩斜め後ろに居た。薬剤の色の異変に一番早く気づいた彼は「伏せろ!」と叫びながら身体を反転させ、女性2人を抱える様にして床に身を投げた。ゴトっと嫌な音が響いたが、エヴァンズの後頭部が床に激突したのだろう。ハイネはそれに気がつかなかった。爆発の衝撃が一度きりで第二波が来ないと悟ると直ぐに頭を上げ、ブラコフを振り返った。ブラコフが悲鳴を上げてのたうち回っているところだった。
 ハイネは立ち上がると、ハン博士達の方を見て、既に手遅れと判断した様だ。薬品棚に飛びつき、扉を引き剥がす様に乱暴に開き、中の物を掴み、次々と床に捨てた。

「何をしているんです?」

 ドナヒューが思わず呟くと、ヤマザキが答えた。

「薬を探しているんですよ。」
「薬?」

 ハイネが何かを掴み取り、ブラコフのそばに行った。その時、セシリア・ドーマーが起き上がった。彼女はぼーっとして床に座り込んだまま、周囲を見回した。
 警報が鳴り出した。部屋の外で鳴っているのだ。恐らくこの段階でコンピュータがフロアを閉鎖して有害な空気が流れ出るのを塞いだはずだ。実験室の出入り口も封鎖された。
 ハイネがブラコフの脇に屈み込み、ブラコフに「しっかり!」と声を掛けた。ブラコフの動きは弱まっていた。ハイネは彼の溶けかけたマスクを剥がした。血が流れ、肉がマスクに付着して、顔の怪我が広がった様に見えたが、ハイネは御構い無しに手に取った容器から液体をブラコフの顔に振りかけた。薬剤管理室長が「ああ」と納得の呟き声を出した。

「ハイネは中和剤を掛けたんだ。だから副長官は骨まではやられずに済んだ・・・」

 ハイネがブラコフを救おうと努力している間に、セシリア・ドーマーは立ち上がり、ふらつきながら実験台の反対側に倒れている3人の研究者に近づいて言った。

「リック?」

と彼女はリック・カールソンの名を呼んだ。そして顔面を滅茶苦茶に破壊された3人の男を発見した。「リック!」と彼女は悲鳴に近い声で叫んだ。
 ハイネはまだブラコフに掛り切りだった。自分のマスクを取り、ブラコフの顎にマスクを当てて喉を上げ、気道の確保を心がける彼に、セシリア・ドーマーが何かを叫んだ。金切り声はケンウッドの耳には聞き取れなかった。ハイネは彼女を無視した。彼の耳にはその場では無意味な言葉に聞こえたのだろう。彼はマスクを薄く剥がしてブラコフの爛れた口に当て、人工呼吸を試みていた。ベックマンはこの場面をそのまま流した。
 セシリア・ドーマーが、ガラスの破片を掴んでハイネの方へ歩き始めた。やっと彼女の声がケンウッドに言葉として届いて来た。
ーーこっちへ来てよ、リックを助けて! その人はほっといて、リックを助けて頂戴!
 ハイネがやっと振り返り、彼女を見た。そっとブラコフから手を離し、彼は立ち上がった。
ーーリックはもう手遅れだ、セシリア・ドーマー。
 ハイネがかすれ声で言った。喉を薬品で痛めた声だ。セシリアの心には彼の言葉が届かなかった。
ーーリックを助けて! さもないと・・・
 彼女はガラス片をまるでナイフか何か武器の様に掴むとブラコフに向かって行った。ハイネが立ち塞がったのに、そのまま突進して行った。
 ケンウッドは思わず腰を浮かせてしまった。セシリア・ドーマーの身体がぶつかった瞬間、ハイネはわずかばかり体を退いた。その動きが彼の心臓を守った。刺されたと同時にハイネは反射的に彼女の顔面に手刀を食らわせた。セシリアの体が背後へ吹っ飛んだ。彼女が床に叩きつけられ、ハイネは胸に刺さったガラス片を見た。薬品による呼吸器の火傷が彼を咳き込ませ、刺された傷と共に彼に激しい苦痛を与えた。彼は床に膝をつき、胸のガラス片に圧力を掛けぬよう、体を仰向けに横たわった。そして目を閉じた。